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徽宗皇帝のブログ

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安部的なものが巨大化する理由
「哲学者」山折何とかと、JR東海名誉会長(人事権を持つのだから、最高権力者だ。)葛西某の対談である。葛西某は、言うまでもなく、安部総理の盟友だ。こういう思想の持ち主が安部総理のお友達であるわけだ。そして、山折某は、「哲学者」扱いされ、大学入試の国語の試験素材にもよく使われている。(私は、彼の文章をいいと思ったことは一度もないが。)
日本全体が安部化していくのも当然だろう。




(「東洋経済オンライン」から抜粋転載)




山折:教育について考えると、問題の根源は「子どもたちが、いつの間にか野生化している」ということに尽きるのではないでしょうか。今度、道徳を新しく教科に組み入れるという考え方の起源になった事件は、滋賀県の大津の凄惨ないじめ事件です。あれで、教育の世界でも何とかしなければならないという声が大きくなった。


人間は放置をすると、限りなく野生化します。これは人類が2足歩行を始めて以来の大問題でした。野獣化、野生化をどう抑え込むか、これこそが人類が何千年、何万年考え続けてきたことです。

野生化を防ぐための4つの文化装置

では人類は、どう対応したか。私の仮説では、4つの文化装置を考え出したのだと思います。


1つは、スポーツです。スポーツは本質的には人間の野生化を食い止めるための遊びの文化装置です。


2番目が軍隊です。よく軍隊は、戦争するためのものと言いますが異常なるもの、危険なるものを限定的なものにし、コントロールする働きがある。


3番目が宗教です。先ほどのイギリスのパブリックスクールでも、日本の江戸時代の藩校にしても宗教的な施設から発展してきている。もちろん宗教は十字軍戦争であるとか、日本の一向一揆のように、戦争の発端ともなるわけですが、軍隊と同じように、人間の野生化をコントロールする性格を持っていた。


そして4つ目が学校です。いちばん大事なのは、学校です。学校は、スポーツ、軍隊的な世界、それから宗教的な世界を包含するような形での大きなシステム、文化装置です。大学から幼稚園までと考えると、そういうことになります。そういう観点から、人間の野生化を食い止めるという問題意識から、教育全体の問題を考える必要があると思います。


いじめ事件や猟奇事件などが発生すると、世論が一時的に盛り上がりますが、のど元過ぎれば忘れる。一時的な手当てに終わってしまう。一向に教育全体の問題を考えるという動きにならないというのが、残念でなりません。


葛西敬之(かさい よしゆき)●1940年生まれ。東京大学法学部卒。1963年日本国有鉄道(国鉄)入社。職員局次長などを経て、1987年に分割民営化で発足した東海旅客鉄道(JR東海)の取締役総合企画本部長。 1990年副社長、95年社長、2004年会長。2014年4月から代表権を持つ名誉会長に就任


葛西:そういう面はありますね。僕は、人間というものは1世紀に1回ぐらい劣化すると思っています。野生化と言ってもいいのかもしれません。野生化、あるいは過度に劣化した状態になる。自立的な生命力がおかしくなってしまうような異常性、異様性が出てくるのではないかと思います。人間だけでなく、人間が作った社会も同じです。仕組みが劣化して、もうこれ以上はもたないとなる。日本だけでなく世界の歴史を見ても、1世紀に1回ぐらい、そういう制度疲労、人間劣化が起こっています。


そこで起きるのが戦争です。たとえば、18世紀から19世紀に変わるときは、フランス革命とナポレオン戦争という変動期を経て、18世紀の人が夢にも思わなかったような19世紀の仕組み、Nation State(国民国家)が生まれました。


この19世紀の仕組みが20世紀の仕組みに変わる移行期間は、第1次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件から、日本の敗戦まで。あの期間に世界中は、ヨーロッパの時代からガラッと変わりました。


通常、世紀の転換が起こるときというのは、人間は劣化する。19世紀末はデカダンス―退廃の時代で、大正デモクラシーもそんな時代だった。劣化した人間を鍛え直す、それから過剰な製造能力によって生じたデフレ状態、失業者の増加を、破壊によって是正するという動きが出たわけです。


戦争に勝つための知恵を総動員するので、発明が起こり、新たな市場が用意される。戦争による破壊、人間の鍛え直し、そして新技術の発明というものが、人間の歴史であったことは間違いありません。これが、人間が野生化した場合の処方箋だったと思います。

どうやったら人間を鍛え直せるのか

しかし、技術が飛躍的に進歩した結果として出現した核兵器により、状況は様変わりしました。20世紀はヨーロッパの時代から米ソ冷戦の時代へ移り、核の抑止力によって戦火を交えることはなくなった。その後、ソ連が立ち枯れ状態になって滅び、アメリカは唯一の勝者になった。その間に戦争という破壊を伴っていないために、余剰生産能力を抱えた状況で21世紀に入ってきたわけです。


それを解決するために、アメリカはグローバリゼーションと称し、国境を越えて労働力の安いところに製造能力を移転し、アメリカの資本主義ルールを浸透させつつ、相対的優位を確保しようとした。結果として世界各地が産業化したが、供給過剰のデフレ傾向は却って強まってしまった。また、製造業の移転を補うほど、インターネットなどの技術による雇用や市場は大きくもなかった。


こう考えると、世界は経済的に見ると余剰の時代、人間的に見るとデカダンス―退廃の時代です。かつてであれば戦争による破壊、鍛え直し、発明というパターンが動き出すのですが、それはできない。それが、今だと思います。


では、どうやったら人間を鍛え直せるか。それが今の教育の課題なのだろうと思います。


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