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徽宗皇帝のブログ

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家父長制社会とフェミニズム
ケイト・ミレットの下記の主張は非常に正しいと思う。そして、フェミニズムはこうした父権主義(家父長制社会)への批判として出発したのではないか。だが、それが「性的曖昧者」(私の造語である)までも運動の中に包含し始めたために、フェミニズム運動自体が泥沼化し始めたと私は見ている。「こちらはこちら、あちらはあちら」で共闘すればいいだけのことを、すべてを「フェミニズム」に包含しようとしたのが大間違いだったということだ。或る種の傲慢さの現れだろう。まあ、混乱こそが社会体制を壊滅させ、新しい社会を生むという、ロシア革命期に革命運動家がとった手段の猿真似かもしれない。だが、建物を崩壊させると多くの人が死ぬのであり、悪人や権力者だけが死ぬとは限らない。
ちなみに、patriarchyという言葉はおそらく相続とか世襲という意味が中心で、それが男権的な意味合いになったのは、古代社会が男権的だったからだけの話だと思う。父祖から受け継いだ国を愛するのがpatriotismではないか。まあ、これは私の妄想だ。


(以下引用)

  • ケイト・ミレットは『性の政治学』での父権制patriarchyに関して次のように主張する。「われわれの社会秩序の中で、ほとんど検討されることもなく、いや気づかれることさえなく(にもかかわらず制度化されて)まかりとおっているのが、生得権による優位であり、これによって男が女を支配しているのだ」[14]。「軍隊、産業、テクノロジー、大学、科学、行政官庁、経済ーー要するに、社会のなかのあらゆる権力の通路は、警察の強制的暴力まで含めて、すべて男性の手中にあることを想い起こせば」[15]、われわれの社会が他のあらゆる歴史上の文明と同じく父権制であるという事実は、直ちに明らかになる。「父権制の支配を制度ととらえ、この制度によって人口の半ばを占める女が残り半分の男に支配されるものとするならば、父権制の原則は、男が女を支配し、また年長の男が年若い男を支配するというように二重に働くように見える」[16]

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