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徽宗皇帝のブログ

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庶民にとっての地上の天国は少し前まで実在した
「マスコミに載らない海外記事」の記事のほんの一部だけを引用する。
現在の中東の混乱と悲惨は欧米によるリビア破壊から始まった(いや、イラクが最初で、リビアから本格化した、と言うべきか)、欧米によって破壊し尽くされた、「独裁者」カダフィによるリビアの政治がどんなものだったかを、改めて見てみよう。
これは世界のどの国にもかつて存在しなかった「理想の福祉国家」ではないだろうか?
あなたは「民主主義」のアメリカ、「民主主義」の日本は、このかつてのリビアより優れている、と思うだろうか? 少なくとも、私なら無条件でリビアに住むことを選ぶ。
「民主主義国家には少なくとも自由がある」?
さあ、そうだろうか。その自由は支配する側が何でもできるという自由であり、支配される側には名目程度の自由しかなく、少しでも邪魔になる存在はいつでも拘束し、処罰できる、というのが「自由主義国家」の自由だ、というのはすべての事象が示すところである。
ならば、カギカッコ付きの「自由」以外の点では完全な福祉国家たる「独裁者」の国を選ぶことに何の不思議があるだろうか。
だが、その「リビア」はもはや消滅し、後には破壊された国土と「民主的な(笑)」新リビアしか残っていない。

*この記事を転載するのは、上記の詰まらぬ恨み事を言うためではない。かつてのリビアが成し遂げていたことは、新しい日本がこれから目標とするべき姿である、と言いたいのである。つまり、これは「実現可能な国家の姿」なのである。現在のアメリカや日本、あるいは欧米諸国の姿とかつてのリビアをよく比較してほしい。
リビアには石油資源があったから実現できたことで、金の無い日本には不可能な理想だ、と言われるだろうか? 実は日本は現在でも金融資産ではスイスに次いで世界第二位の富裕国であり、同様にアメリカも世界第三位なのである。スイスは世界中の大金持ちのための銀行国家だから当然だが、日本とアメリカの場合は「富の偏在」によって庶民の貧困化が起こっているだけだ、というのは歴然としている。
「金はある」のである。守銭奴たちの蔵の中に。



(以下引用)


カダフィは "リビア国民が国の石油資産を分けあうことを願っていたが、これはアメリカや他の西欧社会にとっては異質な観念だ。彼の1999年決定No. 111のもと、全てのリビア国民が、無料の医療、教育、電気、水道、訓練、リハビリテーション、住宅補助金、障害者年金、老齢年金、無利子の国家融資、留学、新車購入への豊富な助成金、結婚時の支援、事実上ただのガソリン、等々を得ていた。"

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