忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

後藤健二と湯川遥菜のあまりに密接な関係
「世に倦む日々」から読者コメント付きで転載。
ISIS人質事件ではこの「世に倦む日々」ほど精密な論証を行い的確な意見を言ったブログは無い、と思う。国会の野党陣営が、こうしたブログに目を通すほどの「勉強心」が無かったのが、今の大政翼賛会事態の原因だろう。政治において、無知は最大の罪である。
下の記事についての私の意見は、各読者コメントと同じである。
一つだけ特に書いておく。

「すでに指摘されている重大な事実だが、湯川遥菜が経営していた民間軍事会社(PMC JAPAN)のサイトを見ると、驚くことに、ナビゲーション・バーのメニューの中に「INDEPENDENT PRESS」の項目がある。

まるで、後藤健二のINDEPENDENT PRESSが湯川遥菜のPMC JAPANのディビジョン・カンパニーのような、もしくは、セブンイレブンとイトーヨーカドーの関係の如き同資本系列の兄弟企業のような扱いに見せている。これは何を意味するのだろうか。湯川遥菜の会社は設立して間もない企業だが、立ち上げてHPを開設すると同時に、後藤健二の会社と密接不可分の提携関係であることを示している。二人の人間が、実は大きな<組織>や<機関>の一員であり、任務を受けた同じ仲間として動いていた印象は否めない。だが、1/20から2週間以上経っても、国内での二人の関係を精緻に洗い出した報道はなく、スクープが出ず、こうした重大な疑惑に関心を向けるマスコミの議論がない」


というのは初耳の情報である。マスコミや野党は、この点をも追及するべきだろう。(などと言いつつ、まったく期待はしていないのだが、一応ね。ww)


注:最初載せた時に「体制翼賛会」と書いてあったのを訂正しようとしたら、管理ページにアクセスできず、慌てて「酔生夢人ブログ」にそのいきさつを書いたが、再びアクセス可能になったので、誤字を訂正した。まあ、人によっては「大政翼賛会」だろうが「体制翼賛会」だろうが同じだ、という大雑把な人もいるだろうが、私は言葉の正しい表記は大事だ、という考えなので。そのわりには自分自身の言葉の内容には無神経なのだが。というより、あえて無神経な発言を好んでやっている。そういう趣味なのである。




(以下引用)

再び湯川遥菜のBlogを検証する - 後藤健二との関係の現場に戻ろう

事件の原点に立ち戻って、あらためて湯川遥菜のBlogを検証したい。湯川遥菜のBlogに後藤健二の名前が最初に登場するのは、5/3に記された「シリア内戦視察」からである。4/22に成田を出発してトルコ経由でシリアに潜入した湯川遥菜が、帰国後に2週間にわたる活動報告を記した最初の記事だ。冒頭、こうある。「僕が入国して数日後、ジャーナリストの後藤健二さんが入国し、お会した」。と書きながら、当該記事には後藤健二について続きがなく、その後は総括的な感想みたいなものが綴られている。今から読み直すと、この冒頭の一行には微妙に意味深な気配が漂うのを否めない。5/15から「第1話」が始まり、具体的な出来事が紹介されていく。「第4話」に後藤健二が登場する。キリスから国境を越えてシリアに入った湯川遥菜が、自由シリア軍の検問所で怪しまれて拘束され、司令部に連行されて尋問を受けることになる場面だ。こう記述がある。「『ジャーナリストの後藤健二を知っているか?』僕はもちろん知っていると答えた。明日シリアに来ると言うのだ!僕は二ヤけた(略)僕が日本で会いたかった人の一人。まさかシリアで会えるとは運命としか考えられないよぉ!だって会える確率的に万に一つだよ!(※しかし僕は第六感と言うか、後藤健二さんとは日本に居る時からシリアで逢う気がしていた。それが今回現実になった)そして後藤さんとは来週東京都内で再会する」。

翌日の夕方、後藤健二が自由シリア軍の軍営に来る。「第5話」にこう書かれている。「後藤健二さんと初対面♪僕は握手を交わした。そこには見た事がない司令部幹部が5、6人来ていた。そこでまたシリアに来た理由や経緯を聞かれ後藤さんが通訳を始めた。会話をしてから30分ぐらい経過。その後・・・。ショック。後藤さんを通して聞かされたのが、『今夜国境まで送るので、そこで宿泊して翌朝トルコへ帰れ』と自由シリア軍幹部の連中から聞かされたと告げられた」。こうして、後藤健二の出現と助力によって湯川遥菜は嫌疑を解かれ、窮地を脱出することができた。この経緯のあらましは、今は日本中の誰もが知っている事実であり、昨年8月、湯川遥菜がイスラム国に拘束された際に後藤健二がテレビで証言していたとおりだ。われわれの頭の中では自然な説明として入っている。だが、一寸立ち止まって考えてみよう。自由シリア軍は、拘束した湯川遥菜の尋問の通訳(介助役)にどうして後藤健二を選んだのだろう。この複雑な戦地での湯川遥菜の身元の確認と保証に、どうして後藤健二が顔を出すのだろう。通常であれば、自由シリア軍が連携している米軍やCIAを通して米国政府から日本政府に照会があり、パスポートを示して本人確認の証明を得るのではないか。占領している北部の土地では、自由シリア軍は「政府」である。パスポートが偽造ではないか、真に害意のない日本人か、それを審査する手続では政府機関に正式に照会するものだ。

自由シリア軍は、トルコ国境から潜入する外国人に神経質になっていた。警戒の理由は、言うまでもなくイスラム国(ISIS)に義兵参加する外国人が増えていたからである。こういう状況に遭遇した場合、普通の日本人だったらどうするだろう。リスクのある情勢不穏な外国の土地を観光中に、不意に反政府軍ゲリラに拘束され、観光客を装ったCIAのスパイではないかと怪しまれたとき、われわれならどう身を守るだろう。すぐにチャネルを通じて日本大使館に照会してくれ、私の素性はこうだとパスポートを見せて弁明するのではないか。頼りになるのは日本政府であり、救ってくれるのは外務省である。このとき国民の生命を守れるのは(国際法を執行する)国家権力だけだ。湯川遥菜もそう反応するのが当然で、自由シリア軍がチャネルを持つ日本の公的機関への問い合わせを懇願しただろう。とすれば、ここで自由シリア軍の司令部に直行すべきは、すでにアンマンに移転していた旧在ダマスカスの日本大使館の職員か、それに繋がるところの、日本政府の権能を準代表できる公的立場の者ということになる。一介の民間人のジャーナリストが、果たしてこの任務を全うできるものだろうか。あるいは、そこまで自由シリア軍が後藤健二の立場を信用し、後藤健二の調整と差配に従った理由は何だろうか。なぜ、自由シリア軍は後藤健二を選んだのか。

また、どうしてこれほど都合よく、後藤健二が偶然その近辺にいたのだろうか。私は二つのことを推測する。一つは、自由シリア軍が日本政府の出先にコンタクトして照会したとき、日本政府の関係者が後藤健二を代理全権として派遣したという筋書き。つまり、後藤健二は事実上の外交官で、日本政府と自由シリア軍を繋ぐ臨時大使の役割を持っていたのではないかという推測だ。もう一つは、最初から後藤健二が近辺にいることを湯川遥菜が知っていて、さらに後藤健二と日本政府と自由シリア軍の三者の「関係」も知っていて、湯川遥菜が尋問時にすぐに後藤健二を呼び出すよう自由シリア軍に依頼したというシナリオ。したがって、Blogの記述には真相を隠蔽したウソがあり、自由シリア軍の方から後藤健二の名前を出したというのは虚構で、公開している日記だからそのように故意にカムフラージュしたという見方である。いずれにせよ、湯川遥菜は後藤健二のことを事前に知っている。そしてまた、後藤健二は湯川遥菜の後を追うようにシリアに入国していて、実にタイミングよく救出に向かっている。湯川遥菜がこの仕事を始めたのは昨年の初めからで、Blogの記事からは、2月にインド、3月にレバノン、4月にシリア、6月にイラク、7月に再びシリアと、忙しく海外渡航を繰り返している。レバノンを除いて他の4件については報告があり、特に4月のシリアと6月のイラクの報告が詳しい。

その詳しい報告記事の中に、後藤健二が濃厚に顔を出す。イラクには6/22に出発し、一週間後には帰国して感想が書かれていて、第一報である6/29の記事の冒頭に、後藤健二と一緒に撮った写真が添付されている。クルド人地区で撮影したものだ。報告の「第一話」と題した7/9の記事には、次のように書かれている。「今回はイラクに行った。前回同様戦地に行く前は武者震いし、気合が入ってくる。今回はジャーナリストの助手でもあり、護衛でもある。この2つの目的を持って行った。現在の仕事は国際専門の武装ガードとジャーナリストの助手」「僕の仕事はジャーナリストとの関係は絶対必要だと思っていたところに必然にもシリアで出会う事になった。そして初めて一緒に行動した。直感で感じたが、一生の友になるだろう」。次の「第2話」にも後藤健二が写真で登場する。「第3話」と「第4話」と「第5話」にも後藤健二の写真が貼られている。この6月のイラク渡航は、後藤健二の護衛が仕事なのだ。だが、不思議なことに、イラクレポートでは後藤健二は名前で呼ばれず、終始「ジャーナリスト」と書かれ、敢えて親しい関係を反映させない記述になっているのだ。シリアレポートでは、「後藤さん、後藤さん」と書いているのに、イラクレポートでは「ジャーナリスト」なのである。意図して個人的な親密な関係を出さないように配慮しているのか、不自然な表現で一貫させている。

8月に後藤健二がテレビに出演して湯川遥菜との関係を説明したとき、自由シリア軍のアジトから救出した「出会い」の経緯については語ったが、6月にイラクで取材活動をしたとき護衛してもらっていた件は一言も話さなかった。このことと、湯川遥菜の6月のイラクレポートに「後藤健二」の名前がないことは関係しているのだろうか。頭隠して尻隠さずで、写真にはきっちり姿が収まっている。逆に4月のシリア潜入紀には、救出の恩人である後藤健二の写真がない。5/17の記事に、「ホントは後藤健二さんと写真を撮ろうと思っていたが、挫折感ですっかり忘れてしまった」とある。私は、これは何か裏に事情のあるエクスキューズではないかと疑う。二人が殺害された現時点で捉え直すと、湯川遥菜の二つのレポートは実に奇妙で、二人の関係は怪しさに満ちている。確実に推測できるのは、東京にいるときも二人は仕事上密接した関係にあり、日常的に接触していたということだ。6月のイラク渡航は、完全に後藤健二と同行する任務になっていて、そのビジネスを委託された形になっている。いったい誰が、湯川遥菜に後藤健二の護衛を依頼し、その報酬を支払ったのか。すでに指摘されている重大な事実だが、湯川遥菜が経営していた民間軍事会社(PMC JAPAN)のサイトを見ると、驚くことに、ナビゲーション・バーのメニューの中に「INDEPENDENT PRESS」の項目がある。

まるで、後藤健二のINDEPENDENT PRESSが湯川遥菜のPMC JAPANのディビジョン・カンパニーのような、もしくは、セブンイレブンとイトーヨーカドーの関係の如き同資本系列の兄弟企業のような扱いに見せている。これは何を意味するのだろうか。湯川遥菜の会社は設立して間もない企業だが、立ち上げてHPを開設すると同時に、後藤健二の会社と密接不可分の提携関係であることを示している。二人の人間が、実は大きな<組織>や<機関>の一員であり、任務を受けた同じ仲間として動いていた印象は否めない。だが、1/20から2週間以上経っても、国内での二人の関係を精緻に洗い出した報道はなく、スクープが出ず、こうした重大な疑惑に関心を向けるマスコミの議論がない。湯川遥菜のBlogがなぜ削除されないのかという声をよく聞くが、これは誰が考えても分かるとおり、削除すれば誰が削除したのかという疑義が生じるからだ。また、公開されている情報からは足はつくまいという、<組織>の関係者たちの達観もあるのに違いない。湯川遥菜のBlogは虚実織りまぜた情報が散在していて、絶対に出してはいけない急所は周到に隠蔽されている。このあたりは、軍事に関わる特務工作員の心得として理解してよいのではないか。後藤健二と湯川遥菜の関係について、真実をよく知っている者は何人もいるが、最も確実に指摘できる人物としては、後藤健二の妻であるJICA職員の城後倫子を挙げることができるだろう。

湯川遥菜のBlogは、故人が残した謎めいた遺書となった。そして依然として、この事件を真相解明する有力な証拠資料であり、刑事事件の捜査で言うところの<現場>である。現場に戻って一から認識を整理しないといけない。



by yoniumuhibi | 2015-02-12 23:30 | Trackback | Comments(3)
トラックバックURL : http://critic20.exblog.jp/tb/23478836
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by 半覚醒状態 at 2015-02-12 18:48 x
私も、このブログを拝見してから、湯川氏のブログを読みましたが、先入観なく素直に読んでいくと、この二人の関係はかなり密接なものであるなと感じ、また文面の内容の自然な流れに乗って読み進めていけば、流れをより自然なものとするために補わないといけない大きな幾つかの空白に出会いました。主さんは、その辺りを論理的に筋を通しながら、しっかりと埋めて下さっています。ありがとうございました。
Commented by まゆ at 2015-02-12 19:56 x
やはり二人は明らかに政府?関係者に雇われていたのでしょうね。湯川さんは確か去勢されてましたね。厳しい決まりのあるイスラムでは神を冒涜していると見られてしまうでしょう。もしかしたらもっと早くに死亡していたかもしれません。後藤さんも国からの助けも無く騙されて?死亡してしまった。最初からこの二人を利用するつもりだったのでしょうね。どのような過去があったとしても、大切な二人の命を奪った政府?関係者を許せないし、許してはいけないと強く思います。
Commented by カヨコ at 2015-02-12 23:17 x
初めてコメントさせていただきます。
一連の経緯がブログ主さんの推察どおりかどうかは私には判断がつきません。
しかし少なくとも,政府の公表を鵜呑みにする愚は避けたいと思っています。
今回のように重大な事件の場合はどれが正しいか間違いかよりも,玉石混交,様々な指摘や推測や批判が浴びせられる中で,ようやく一粒の真実が見えてくる,そんなものではないかと思います。なのに,野党もメディアも一般人も,ただ空疎な熱狂の渦にのまれて小石1つ投げ入れることもしない。すでに全体主義が始まっているかのようです。
朝日新聞アフリカ支局の三浦記者のリポートが出ていました。
http://togetter.com/li/780896
これを読むと,政府がシリア周辺取材を「安全」の名のもとに妨害するのは,人質事件の裏事情を現地で取材されたくないからではと勘ぐってしまいます。
ヨルダンの人たちが日本人人質の死を悼む様子が日本人からの非難を防ぐための小芝居だったとは驚きました。
情に訴えれば弱いと知っての演出だったのでしょうか。
このような事実も,現地取材がないとわれわれにはわからなかったことです。
とにかく,息苦しい世の中になってきました。このいらだちをなんとしたものかと日々思っています。

拍手

PR

コメント

コメントを書く