忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

政府による国民いじめと自殺
朝日jpより転載。
福島県の農家や漁家に対し、原乳や農産物、魚の販売を禁止し、しかもその補償はしないままに放置するという残酷な状況がこのまま続くと、福島県の第一次産業従事者はすべてこの記事の男性のように自殺するか廃業するしかない。第一次産業従事者だけではない。福島県全体が人間の生活できない場所になるだろう。そして、あるいはそれが政府の狙いかもしれない、というのは前に書いた通りである。つまり、福島県を巨大な原発廃棄物処理場にしてしまおうという考えだ。
生活保障などせずに放置しておけば、住民は自分から福島を離れていく。残された土地を格安で手にいれようという悪魔の計画だ。
原乳の出荷を禁止するなら、その分の金を政府が支払うのは当然であり、他の野菜や魚なども同様だ。
誰かが書いてあったが、東電本社に、その魚や原乳や野菜をどんどん運びこんで、輸送料も含めて東電に買い取らせるのもいい。あるいは国会議事堂や霞が関の役所群に運んで、そこを巨大なゴミ捨て場にしてもいい。
自殺する前に、まずこの理不尽な状況への明確な抗議をしなければ、政府の姿勢が変わることはないだろう。
これでは、まるでいじめにあった子供が自殺するのと同じであり、問題の解決にはまったくつながらないのである。自殺する前に、自分をいじめた相手を殺せ! 自殺するのはその後だ。


(以下引用)


新築の壁に残した無念 福島・酪農家の男性自殺2011年6月20日4時5分


.
ベニヤ板の壁にチョークで書かれた男性のメッセージ=13日、福島県相馬市、金子淳撮影

新築したばかりの堆肥舎。この奥の小屋で男性が亡くなっていた=福島県相馬市
 福島県相馬市の酪農家の男性(54)が今月、自ら命を絶った。「残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください」。メッセージは、新築したばかりの堆肥(たいひ)舎の壁に残されていた。

 男性は、東京電力福島第一原発から約60キロ離れた相馬市の山あいの小さな集落で、約40頭の乳牛を飼っていた。なだらかな斜面の奥に母屋があり、手前に牛舎と堆肥舎が並ぶ。

 真面目で仕事熱心――。酪農家仲間や知人の一致した印象だ。午前3時から牧草を刈り、牛の世話をした。世話を終えた後に、畑仕事に出ることもあった。昨年末には、堆肥をつくって売るために堆肥舎を新築し、農機具も少しずつ増やしながら、父親から継いだ牧場を大きくしようと懸命に働いていたという。

 原発事故で3月21日に原乳が出荷停止となり、搾った原乳を捨てる日々が約1カ月続いた。「牛乳が出せないからお金も入らない」と仲間たちにこぼした。男性が所属するJAそうま酪農部会の酪農家28戸のうち、営業を再開できたのは16戸だけだった。

 知人らによると、男性はフィリピン人の妻(32)と長男(6)、次男(5)の4人暮らしだった。そろいのヤッケを着た妻が、牛舎で牛の世話を手伝った。

 男性は長男の入学式を楽しみにしていた。「郡山市まで行って、高いランドセルを買ってやったんだ」。20年来の友人の酪農家(52)は、男性がそう言って笑っていた姿を思い出す。

 妻子は4月中旬、原発事故を心配したフィリピン政府に促されて帰国した。長男の入学式の直前だった。

 男性は同月下旬、妻子を追って出国した。「おらだめだ。べこ(牛)やめて、出て行く」「子どもらがいなくて寂しい」と周囲に漏らしていた。

 フィリピンに行った男性は、連絡をしてきた知人に「牛は処分してけろ」と頼んだ。近所の農家や仲間が手分けして世話することを決め、引き取った。5月初旬、男性は1人で帰国した。「戻る気はなかったけど、言葉も通じなくて」。牛舎から牛は1頭もいなくなっていた。「迷惑をかけてすまなかった」と酪農仲間にわびたという。

 今月11日午前、広報誌を配りに訪れたJA職員が、亡くなっている男性を堆肥舎で見つけた。ベニヤの壁には、白いチョークでメッセージが残されていた。


 姉ちゃんには大変おせわになりました。原発さえなければと思ます。残った酪農家は原発にまけないで願張て下さい。仕事をする気力をなくしました。(妻と子ども2人の名前)ごめんなさい。なにもできない父親でした。仏様の両親にもうしわけございません。(一部省略、原文ママ)


 隣の牛舎には、黒板に「原発で手足ちぎられ酪農家」「やる気力なくした」といった言葉がつづられていた。

 14日、相馬市で葬儀が営まれた。家族や酪農家ら200人が男性の死を悼んだ。フィリピンから駆けつけた妻子3人は寄り添い、泣きじゃくっていたという。

 男性が残した書き置きには2人の知人の名が記されていた。1人は新しい堆肥舎を建てた大工の男性。その代金を完済しておらず、「保険で全て支払って下さい。ごめんなさい」とあった。

 もう一人、隣の酪農家(64)には「言葉で言えないくらいにお世話になりました」と書き残した。この酪農家は「体は大きいけど気は小さくて、仕事一筋の真面目な人だった。もう、ああいう人を出してはいけない」と話した。(矢吹孝文、丹治翔)
.

拍手

PR

コメント

コメントを書く