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徽宗皇帝のブログ

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政府経営「安楽死施設」を希望
「逝きし世の面影」から転載。(前半略)
年金について論じるのが面倒くさいのは、年金は国家(政府)に納める金と国家から給付される金をどちらも「年金」と呼ぶからである。前者は「年金納入金」、後者は「年金給付金」と区別して呼ぶと、話の混乱が避けられるだろう。「厚生年金」という呼び名自体も分かりにくい。「厚生」とは何か。「生活を厚くする(豊かにする)」のなら、別に老齢者だけを対象とした給付でなくてもいいはずで、そもそも年金を支払うのは国家ではなく「過去の自分」なのだから、恩着せがましく厚生省(厚生労働省)の名で呼ばれる筋合いは無い。
いや、「過去の自分」が支払うのではなく、「若い世代が年寄り世代を養っているのだ」という議論がここで出てくるだろうが、老齢年金を受け取る高齢者層の肩身を狭くさせ、貧弱な給付で我慢させている、というのが分かりにくい年金システム(や、その名称)の根本の理由だろう。私はいまだに「厚生年金」と「老齢年金」の違いも分からないのである。まして「課金方式」とか「賦課方式」とか言われても理解できない。(「課金方式」という言葉は無いか。「積立方式」と「賦課方式」だったような気がする。)理解する気もない。いずれにしても、国民から金を徴収して、政府がそれをプールし、いずれ国民に返すのだから、「過去の自分」が払った金を今の自分が受け取るにすぎないとしか思えない。なぜ、「若い世代に養われている」などという話になるのか、まったく馬鹿げている。
さて、年金の成り立ちを見れば、これがドイツでも日本でももともと「戦費の調達」のために作られたものだと分かる。(下の記事の通りである。)と言うことは、「金を出した人々の大半が戦争で死亡して、金の還付の必要は無くなる」というのが最初の皮算用だったというのも容易に推測できることである。だが、一度作った「政府の収入源」は、役人どもの財布を潤す大事な金だから、戦後になってもそれは存続することになったわけである。そして、戦後の経済発達によって、年金制度の生命は維持されたわけだが、高齢社会の到来によって、「納入金」より「給付金(還付金)」のほうが遥かに高くなる、という事態に立ち至ったわけである。
これは、年金制度そのものの破綻はこのままだと不可避だ、ということだ。今は給付金を少しずつ削減することで糊塗しているが、いずれは「年金制度そのものの打ち切り」という事態もあり得るのではないか。その時点で、年金で生きている老人たちは死刑判決を受けたも同然、ということになる。
これはありえない想像ではない、と私は思っている。この国の政府なら平気でやりかねないことである。もしも、そういう政治を今後も大人しく受け入れるというのであれば、これからは、いかにして周囲に迷惑をかけず、見苦しくない自殺ができるか、ということを今の老人たち、すぐに老人になる年代の人たちは考えておくのがよいだろう。周囲に迷惑をかけないという点で一番いいのは餓死だろう、と私は考えているが、これはなかなか苦しそうだから、他人にはお勧めしがたい。餓死を言い換えれば即身成仏である。(笑)
一番いいのは、今回の記事タイトルに書いたことで、私は本気でこれを言っている。これを望む老人は日本全国にたくさんいるはずだ。政府費用で遺体処理までしてくれるのなら、(葬儀は「般若心経」を係の役人が読むだけの10分程度で十分。墓はコインロッカー程度でいい。)希望者殺到であることは請合ってもいい。だが、日本政府にそんな親切心を望むのは無理だろう。貧乏人は勝手に死ね、死んだらなけなしの金で葬式やら何やらの費用を払って少しでも経済に貢献しろ、といったところではないか。




(以下引用)




 『(根本的な勘違い)「年金」についての基礎知識』

年金を歴史的に見れば欧州でドイツ統一を目指す破竹の勢いの軍事独裁国家だったプロイセンの鉄血宰相ビスマルクが世界で初めて『年金』を創設(発明)したのが『ものの初め』である。
国家がもしも『戦争をするために増税する』と真実を語ったのでは国民の不満が高まり、戦意が低下するので不都合、円滑に戦争が出来ないのである。
年金の目的はもちろん国民の福祉は二の次三の次(口実)であり、ずばり『戦費の調達』だったのである。
しかし、国家が将来必ず自分たち国民に還元するだろうと信じた善良な国民は、増税には文句を言うが『年金の支払い』には文句を言わなかったのである。
世界の初めての年金創設がビスマルクなら、日本国の初めての年金創設は1941年絶望的な対米戦争を開始した後の東条英機によって給与から天引きされる厚生年金が始められている。
もちろん年金の支払いは遠い遠い将来の話であり、戦費調達こそが本当の目的だった。
創設当時は、年金支給年齢よりも平均寿命の方が遥かに低くて、大多数の加入者は掛け金を払うだけで、年金を受け取れ無い仕組み(国家ぐるみの振り込め詐欺)だったのである。
当時の年金支給とは、宝籤並みに運よく生残った少数者だけが対象だった。ドイツや日本ではまったく別に見える戦争と年金が『中身』で繋がっていたのである。

『個人年金よりももっと不吉すぎる予兆、恐ろしい個人向け国債』

戦争とはとんでもない金食い虫なのである。
幾らつぎ込んでも金が足りなくなる。
これ等の国では個人年金名目での戦費調達でも金が足りなくなって、国家財政が破綻状態に陥った時に考え出された最後の『次の一手』が、個人向け国債だったが敗戦で全て紙切れになっている。
財政破綻の確実な予兆である不吉すぎる個人向け国債であるが、敗戦後の日本では11年前の2003年(平成15年)3月から始まっている。
個人国債も個人年金も同じで、勝てば出資者にも還元されるが逆に敗戦時には紙切れになる仕組みなのである。
(個人国債を売り出した10年ほど前ですが、今とは大違いで当時のマスコミ報道では、『年金の破綻』が大々的に取上げられていて連日報じていた)
しかし、今の日本では年金問題が以前よりも深刻化しているが、何故かマスコミは大きく扱わない。
戦費調達目的だった大昔の『年金』創設とは大きく違い、現在では無関係に見える『最低賃金』と『生活保護』と『年金問題』の三つが密接にリンクしていて『国民の生活保障』として切り離せない。

『三題噺、「年金」と「最低賃金」と「生活保護」の近すぎる関係』

財政的に崩壊寸前の基礎年金ですが、今大問題になっている生活保護費と最低賃金と連動しているのであるが、しかし困ったことに重大なこの事実を認めて、マスコミで語る有識者はほぼゼロなのです。
現実問題として、現状の基礎年金の支給額が低すぎて、最低の生活費を基準とする生活保護や最低賃金と比べられないのである。
我が日本国では、不十分な基礎年のために、法律的には存在する筈が無い生活保護基準の数分の一以下の超貧困の高齢者家庭が生まれている。(日本の生活保護の補足率は1割程度の低すぎる数値で、これは国家による未必の故意による犯罪に限りなく近い)
国家の経済が健全であるならフルタイムで働いた最低賃金が一番高くなる。(高く設定しないと国民の健全な勤労意欲が削がれる)
受け取る人が掛け金を払う年金と、掛け金を払う必要が無い生活保護では年金の方が高くなる。(これも高く設定しないと支払い意欲が削がれる)ところが我が日本国では根本的な順番が無茶苦茶、逆さまなのである。
日本国の資本主義ですが今見えている『年金問題』は氷山の一角に過ぎ無いのです。年金以前に基本的に制度として崩壊しているのです。
国家の債務不履行(デフォルト)では企業の倒産と同じで、それまでの負債が帳消しとなるのですが、我々一般の国民の側から見れば個人年金とか個人国債が踏み倒されるのである。
今マスコミで大問題だとされているGDPの2倍に達している日本の債務(借金)であるが、事実は日本国の銀行など大企業が国債として保有している債権(貯金)なのである。
経済では日本が黒字になれば相手国が赤字になる貿易収支と同じで、全体を合計すれば、常に債務と債権とはコインの裏表の関係であり、まったく同一なのである。(全員が黒字になることは理論上不可能)


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