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安保法制を巡って、その反対派が国会議事堂前でデモを行いました。過去最大規模だそうです。


その数は主催者発表で10万人超。警察発表では3万人だそうですが、この手の数字を警察が控えめに発表するのはいつものことですから、10万人は超えていなくともこれよりは多かったでしょう。


さて、数字の大小はともかくも、このデモの結論は明らかです。


この法案は可決されます。間違いありません。


そして、このことは国会議事堂前に集まったすべての人は皆知っているはずです。


この類のデモというのは基本的に議会制民主主義の中では最初から敗北しています。法案を提出した自民党が議席の絶対多数をもっているのですから当たり前です。そしてそれでもやるというのは「敗北主義」です。


ここでいう敗北主義とは、負けるとわかっていてもやらねばならないという態度のことです。なぜならばそれが次につながるからです。そうすると、この敗北主義というのは負け方が重要なことになります。いかにうまく負けるか、それが焦点です。


ここで負けても実は最後には勝っている・・・それを目指すのが敗北主義の目的です。議会制民主主義を肯定するならばそれは当たり前の態度です。ここで安保法案が成立しても、次の選挙で勝てばいいだけですから。よって負け方が次につながらないと如何様にもならない。


ところが往々にして敗北主義なのに本気で戦って敗北してしまう人がいるのは政治の世界ではよくあることです。勝てるはずもない戦いに勝とうとすれば、それだけ傷も深くなる。もちろん動員のために、タテマエとして勝利を目標にするのはあるでしょう。だが、それをタテマエだとわからなくなってしまう人がいるのもよくあるパターンです。


ホリエモンという人が、デモに参加する学生は自分だったら採用しない、思想が理由ではなく仕事できなそうだから・・・みたいなことを言ったと聞きます。これはこの事を指します。敗北主義を本気になってやって、それ自体が何事かを成すと思いこんでいるのは、バンザイ突撃を繰り返して死屍累々の無惨を晒した日本軍と同じだと私も思います。


 



 


以下は、敗北主義における「負け方」を考えるための試論です。そのために過去を振り返り、日本の左翼史をざっくりとさらっていきます。


国会前に集まり抗議するのは、首相官邸前で抗議するのに動員をかけた3.11以降の反原発運動からの流れです。この首相官邸前抗議が、これまでの市民運動のスタイルから歴史的に隔絶されたものというのは気づいている人は多いと思います。それは思想もさることながら、動員のスタイルや人的リソースにまで及びます。


ネットなどを見ていると、右派サイドからあたかも新左翼の学生運動と似たようなものと捉えている人がいるようです。ですが、これには大きな間違いがあります。


さらに、この反安保法案の運動が、若者によって担われているところから、新しい運動のスタイルだと考えている左派サイドの考えも間違っています。これは反原発運動以来の流れを注視していればわかることです。


まずはここを戦後左翼史の文脈で整理していきましょう。読みとくためのポイントは国家と議会制民主主義に対するスタンスです。


 

(中略)

60年安保闘争は「ナショナリズム」だった

 


この反日本共産党の「全学連」が60年安保闘争を始めました。ですが、それはコア部分がそうだったというだけで、その運動は凄まじい反響を呼び拡大していきました。


国会議事堂前に集まったデモ隊の最大動員は11万人と言われています。今回の国会議事堂前には13万人という主催者発表がありましたが、きっとこれを意識したものでしょう。


これは国会前だけの数字で、国会ではなく各地の労働者によるストライキも多発し、最盛期で480万人がこれに参加したといわれています。当時は「労働者が本隊」という考え方ですから、学生主体に集まった国会よりも多いのは当たり前のことでしょう。これに比較すれば、まだ今回のデモは規模として小さいものです。


この60年代の安保闘争には社会党系も共産党系もすべて参加しました。もちろんそれ以上に政治に関係ない人たちや、必ずしも左派思想を持つひとではなくとも参加しています。戦争の焼野原からまだ15年しか経過してないのですから、皆は軍事的な政策に対して今以上に過敏だったのです。


さらにポイントだったのは、この60年安保闘争が「民族主義」だったことです。なお、ちょっと右派の民族主義と混同してしまう可能性があるので、ここからこの民族主義というのを「ナショナリズム」と呼ぶことにします。


60年安保を新左翼とは違う側から支持したイデオローグのひとりに丸山眞男がいます。丸山の思想は一言でいえば市民ナショナリズムです。


 自立した個人が自分のスタンスで政治に関わっていくことが必要という主張です。彼はリベラルですが、必ずしも左派というわけではありませんでした。自立した個人が自由を求めて出来たのが国民国家であるという考え方を持ち、その市民主義的な国家をどのようにつくりあげていくのかが彼のテーマでした。


そのためか、福沢諭吉の研究でも知られるとおり、その意味で明治までの日本を評価していました。このへんは明治までの日本は良かったという「司馬史観」ともつながる話です。・・・というか司馬は丸山の影響を受けていたのではないかと自分は推測しています。なお、先日に発表された安倍総理による戦後70年談話は、明治までは良かったが、その後に道を間違えたという、見事に司馬史観を反映しています。


さて、その丸山はいわゆるコスモポリタニズムを無責任なものと断じていました。それはまずは国家があっての話だろうというわけです。丸山のような立場の人達はむしろ多数派だったようです。つまり国民として日本の平和を守るためには、その方が良いという判断です。東西冷戦真っただ中で目の前で朝鮮戦争が起きて、マッカーサーは原爆を使う寸前までいったのは、この60年安保のほんの数年前です。どちらにも与することがないという選択肢は、徒に空想的な理念ではなく、当時の政治的判断として現実的なものだったのではないかと私は思います。このへんは議論の余地がありそうなのですが、先に行きますが、このへんの詳細を知りたい人は、名著である『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性 』を読んでみてください。


市民主義的な国家があって、そのうえでの安保反対というスタンスがこの60年安保闘争では主流ではありましたが、ところが全学連の新左翼は違いました。彼らは議会制民主主義ではなく、本気で革命のための動乱を起こそうと考えていました。彼らは国会に突入したり、アメリカの大統領の使者を羽田空港で追い返したりしていました。自分はその是非はここでは問いません。ひとつ付け加えると、一方で自民党は暴力団と右翼を糾合させて国会前のデモ隊を襲撃させたりしていました。これも酷い話です。


国会に突入したりした全学連の新左翼もこれが勝てる戦いだと思ってはいなかったでしょう。彼らはこれを「革命的敗北主義」と呼びました。だが実態は無計画だっただけと言われても仕方ありません。国会への突入は、穏健な議会制民主主義路線を進めたい共産党や社会党はおろか、ほとんど全てのメディアに批判されました。ですが、その思想的なインパクトだけは残りました。そうです。思想的なインパクトだけです。


60年安保ではこれを進めていた岸内閣は退陣することになりましたが、政権交代後の衆議院選挙では自民党は296議席の確保しています。これが60年安保の議会制民主主義の結論です。何がいけなかったのか?そう内省する前に、思想的なインパクトだけが走り始めます。


 

その後の学生運動 -1968年からの3つの潮流

 


60年安保闘争は新左翼にとっては「敗北」と総括されました。確かに敗北でしょう。


ただ一概にそれが後につながらない敗北だったとは言えません。ここで市民が政治を動かすという理念に共鳴した人達は多かったはずです。これが、様々なリベラリズムを高揚させたということはあると思います。実際、自民党はこれ以降しばらく右派よりの政策を立てづらくなっています。しかし、それでも新安保条約は締結されます。これが良かったのか悪かったのか、それもまた別の議論ですので控えましょう。


(中略)

帰ってきた丸山眞男 -復権する市民ナショナリズム

よくネトヨウ筋のみなさんが、国会前のデモを見て新左翼の過激派ガーみたいなことを、この方々に言いますが、これまで見てきたとおり、これは大きな間違いです。さらに、これらの反原発から、途中に秘密保護法反対と、現在の安保法制反対に至る潮流を「新しいムーブメント」という人もいます。これはある意味で当たっていますが、基本的にはハズレです。


ある意味あたっていると書いたのは、現在の国会前のデモの中心の人達が、00年代までの左翼運動とほとんど断絶していることです。


自分は2003年前後のイラク派兵反対のデモに顔を出していましたが、これは今考えるとまるっきりオールド左翼(政党や新左翼のフロント団体等)のデモのやり方でした。変わったのは、もちろん3.11の反原発の官邸前抗議からです。


ここでさらに切断がおきます。渋谷でナイキパークの建設反対運動をしていた人たちや麻生邸見学ツアーのようなものを行ってきた、自分の言うところの高円寺系アウトノミアが、この反原発の方針を巡って切り離されます。これにはもちろん人間関係の累積や、反原発の運動に右派をいれるか(民族派右翼が共闘していました)などもありますが、なんといっても、国家と議会制民主主義に対するスタンスが抜本的な問題だったのではないかと思っています。アウトノミアの皆様は、革命フェティシズムが強い。権力と戦う!というのを現実性無しに振り回すタイプが多すぎるのです。現実解決能力が著しく低いと言わざるを得ません。これは世界のアウトノミアの共通傾向です。


後述する反差別運動のしばき隊界隈の人が、彼らを「ヘサヨ」というのは、これが原因です。ちなみに勘違いしている人もいますが、新左翼の人達をしばき隊界隈の人は同じく排除してますが、これは「ヘサヨ」とは言いません。なにせ、彼ら気合い入って何十年もやってますからね(笑)


ただ、新しいという意味では、アウトノミアの人の方がより新しい。スタイルとしても斬新なところがありましたし、これはこれで00年代には説得力があったわけです。


それに比べて、むしろ国会前の思想は古い。新左翼のように議会制民主主義を否定もしないし事実上追認しているうえ、アウトノミアのように反権力でもなく、むしろ議会制民主主義を肯定しながら特に組織の力も借りずにやるというのは、60年代のベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)に近いスタイルです。


国会前のみなさんは、やたらとキーワードに60年安保が出てきて、これを目標にしているようですが、あれのコアは議会制民主主義否定していて、大学自治会にベースにした新左翼全学連がコアになっていますので、少し違います。また、あそこを目指すべきではないでしょう。


また丸山眞男も彼らの有力な思想の参照元になっているはずと目星を付けていたのですが、SEALDSの皆さんが彼の活動を理解するうえで読むべき推薦図書みたいなものをあげていた中に、丸山眞男が入っており、やっぱりということになりました。つまり彼らの方向は、既存左翼路線から脱した市民ナショナリズム=保守リベラルなのです。


丸山は、新左翼の思想とは全く相反していました。国家を前提とした市民主義は、むしろマルクス主義者にとって打倒すべきブルジョアの思想だったからです。ですので、丸山の思想は新左翼にとって、悪しき「戦後民主主義」の象徴となりました。


 『「丸山眞男」をひっぱたきたい–31歳、フリーター。希望は、戦争。』という赤木智弘による素晴らしい論文があります。これが発表された当初、赤木は右派的志向の持ち主とみなされ批判されることがありました。もちろんそんな話ではないのです。


戦争中、インテリ学者として当局に目をつけられ、二等兵で召集された丸山は、低学歴の貧しい農村出身の上長や古参兵にいじめ抜かれました。これを高学歴アカデミズムに対する反知性的な下剋上だったのではないかというのが、赤木の主張です。この下剋上は戦争のみが可能にする。そうすると学歴も収入もいったんリセットされる。


なるほど、徴兵制の軍隊を「疑似デモクラシー」と呼ぶ人もいます。徴兵制の下では、いったんすべての人間は兵士としての素質のみで判断され、平等になるからです。


そして、それは格差社会が広がるなかで、そのデモクラシーは戦争が起きないと実現されないのではないかという考えをもとに、鬱屈が溜まったひとたちは戦争を希求するという考えです。こうして右傾化していくというわけですね。もちろん、そうならないためにはどうしたらいいのかという主張を裏に携えているのが、この赤木の論文です。


その丸山は、敗戦直後の「戦後民主主義」のなかで華々しく登場し、しばらくはその市民ナショナリズムの思想は光を放ちます。ところが、今度は新左翼に攻撃されます。そんなのは国家主義にすぎないではないか、というわけです。そして、彼らもやはり戦後民主主義を否定するために、丸山を「ひっぱたく」わけです。それはマルクス主義という名の知性のように見えて、実は極めて反知性的な下剋上です。丸山眞男、ひっぱたかれてばかりですね(笑) でも彼は戻ってきました。


その丸山のいわば復権の意味するところは明らかです。議会制民主主義と国家主義の肯定です。


 

市民ナショナリズムとは何か -反差別の「愛国主義」

 


こうして、現在の国会議事堂前では、3.11以降に入ってきた人達によって人員リソースがつくられたという意味では新しく、しかし議会制民主主義と国家主義を肯定する思想という意味で、古いということになります。そして、それはアウトノミアや新左翼とも切断されている。


ただ、こうしてみるとひとつ否定できない事実があります。つまり、この主張は日本共産党と同じなのです。そのためネトウヨ筋のみなさんが民青(日本共産党の青年組織)ガーというようなことを言っています。この国会議事堂前のデモの主催者とされるSEALDSを指して「志位るず」と揶揄しているのもありました。面白いです(笑) そしてこれは実際そういうメンバーもいるでしょう。まるっきりそうとは思いませんが。実際は無党派層の左派リベラルのコラボというのが実態なのでしょう。


それと、「国家主義の肯定」が特徴と書きましたが、これはこっそり追認しているという方が正しいでしょう。おおっぴらにはナショナリズムは出していません。このへんは左派としては打ち出しにくいからでしょう。私みたいに嫌がる人いますからね。ここは60年安保闘争との大きな違い。また、国家主義というと誤解を招くかも知れません。市民ナショナリズムといってもしっくりいきません、が、そういうようなものを目指しているというのは間違いないと思います。


 「しばき隊」という反差別運動がありました。この運動はいろいろな意味で画期的でした。なにが画期的かというと、従来の反差別運動がマイノリティの側から行われていたり、それに連帯する形で行われていたのに対して、別の方向性を打ち出したからです。


前者のマイノリティが自ら行う反差別運動は民族主義と親和性が高く、難しい言葉でいえば遠隔地ナショナリズムと三者関係モデルの摩擦を生み出しやすい性質を持ちます。これについては「朝鮮学校無償化除外問題にみる遠隔地ナショナリズムのゆくえ」をご覧ください。


後者はそのマイノリティと連帯して行う運動で、前述の『窮民革命論』を思いだします。もちろんこれもアリだと思います。


ところが、それを前提にしばき隊が主張したのは、「自分たちは必ずしもマイノリティのために反差別を唱えているわけではない」という理論でした。これはどういうことかといえば、ようするに市民ナショナリズムです。「市民」というのはもともと民族や宗教を超越した存在で、それがフランス革命の理念でした。国家と契約する人達はすなわち市民であるというものです。さらに市民概念が拡張されるにつれ、国籍と市民というのは別概念とみなされることが多くなってきています。その国に居住する人は市民であって、その全体がひとつの国家を形成するというのが、欧州の考え方です。日本はドイツのような血統主義的で民族的ナショナリズムしか知りませんので、これがピンときません。


マイノリティのために反差別の運動をするのではなく、国家のために市民主義を貫く、それが結果としてマイノリティのためにもなるし、健全な市民社会を維持することで自分たちのためにもなるという考え方です。


ナショナリズムというと、それだけで否定的な反応を示す人がいます。かくいう私も実はそうなのです(笑)  が、ここは人の話をしているので、それは置いて続けるとしましょう。


ナショナリズムとは何かといえば、それはリベラリズムの結果として出来たものです。その国の民衆がその国の責任を持つ。国家の主人は民衆である・・・というのがナショナリズムの原型です。この概念はフランス革命で出てきたものです。その成員についてはいろいろな考え方があります。ドイツではフランス革命の影響を受けて、これに「民族」という概念をミックスさせました。日本はこちらを明治期に主に参照して国家制度を構築しました。 だからわかりにくいのですが、そもそもナショナリズムとは民族や宗教を超越したものなのです。しばき隊の市民ナショナリズムはこれです。これを保守リベラリズムと言い換えてしまってもいいでしょう。


しばき隊はやはり反原発界隈から出てきた人達がつくりあげたものです。そこに、陣地戦の概念で個別の社会正義を実現したい人が集まった。それは左右混淆のものでした。これも古いコンセプトをリニューアルした概念です。丸山眞男のリバイバル的コンセプトと言えます。実際に、しばき隊とその周辺のアクティビストのかなりの部分が民族派の新右翼でした。


 

ファシズムとはリベラリズムが進化したものである

それではそろそろ国会議事堂前に戻りましょう。


デモは最初から敗北主義だと言いました。もちろん違う種類のデモもあるでしょう。独裁体制の民主化デモなどはそうですね。


ですが議会制民主主義がキチンと機能しているのではあれば話は違います。


仮に今回安保法案が通ったとすれば、どうすればいいのか。次の選挙でひっくり返してこの法を廃棄すればいいだけです。


この民主主義的な道理を理解していない・・・わけないでよすね。国会前の彼らもわかってます。では、それが難しいと思っているんじゃないでしょうか。そうすると、これを止めるには議会制民主主義をひっくり返すしかない。60年安保で国会に突入した新左翼のように。それとも「前衛」を集めて武装闘争しますか?しかしそんなつもりはないでしょう。国会前の皆さんも議会制民主主義と国家は前提です。


国会前のみなさんのなかには、現政権を指して「ファシズム」という人がいる。自分は必ずしもそうは思いませんが、実際にそうだったとしましょう。


そうすると、まだマルクス・レーニン主義の革命フェティシズムに染まっている人は、権力を倒せという。国家は一部の人に支配されていると思いこんでいるからです。


しかしファシズムというのは一部の人が大多数を支配するようなものではないのです。議会制民主主義の果てにファシズムがあります。リベラリズムの結論が18世紀にはナショナリズムで、それをさらに突き詰めたのがファシズムです。


ファシズムの正体とはそこいらにいるオッサンオバサン有権者のことです。


スーパーで野菜が高くて困るとか、ダンナの給料の上がり下がりに一喜一憂したり、ランチの値段を比較しながら美味い店を探して昼休みにオフィス街をうろついたり、ヤフーニュースを読んで単純な義侠心から韓国けしからん!と思っていたり、中国の株式市場の動向を不安そうに見つめていたり、ニッポンは外国でこんなに評価されているというテレビを見てちょっと嬉しくなったり、3.11の後に自民党じゃなきゃやっぱりダメだと民主党から鞍替えしたりする人です。国会前でまた左翼が騒いでいると思っている人もそうです。


議会制民主主義を肯定していくならば、このオッサンオバサンたちを味方に引き入れるしかない。それに国会前の敗北主義がプラスになるかならないか。問題はそこの部分なのです。


 

「最後に笑うものが最もよく笑うものだ」

 


すでに見てきました。60-70年代の新左翼の前衛主義(少数派でも正しいことを言っている自分たちが正しく、わからない人たちを先導していくという考え方)は大失敗しました。だが、陣地戦に入り、自分の生活範囲内で地道に活動してきた無党派は確実にリベラルとして存在し、勢力として今でも強いです。


ここで負けても実は最後には勝っている・・・それを目指すのが敗北主義です。議会制民主主義を肯定するならばそれは当たり前の態度です。よって負け方が次につながらないといかようにもならないのです。


復刻 人しれず微笑まん―樺美智子遺稿集


「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ


『人しれず微笑まん』から「最後に」 樺 美智子


 


はたして最後に笑うのは誰でしょうか。