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徽宗皇帝のブログ

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文政権と安倍政権の違いは社会主義と新自由主義の違い
「世に倦む日々」記事の後半である。
「野戦病院方式(コロナ患者と通常患者を分けて対応する)」も、文政権と安部政権の違いは「社会主義的政権」と「新自由主義政権」の違いだ、というどちらの意見にも同感である。

新自由主義とは自己責任主義(政府の仕事は政権関係者の利得増進のみ)のことであり、政府は上級国民のみ政策対象(利益供与対象)にし、一般国民の福祉を最低限にする。社会主義は社会全体の幸福の増進を目標とし、政府ができるかぎり国民の福祉を高めようとする。コロナへの対応が明白に別れたのは当然である。

(以下引用)

一週間で感染者が倍増してゆく状況では、おそらく、ホテルを宿泊施設にする対策も効を奏さず、重症者を入れる病院ベッド数も集中治療室も不足し、軽症者を療養施設で観察する医師・看護師の数も不足する。結局のところは、NYで大型展示場を病院に改造したように、首都圏もまた、体育館や展示場やドーム型野球場を野戦病院にする方策になるだろう。患者を一か所に集中させる野戦病院の形態が、最も効率的で合理的なのだ。治療する医師と看護師の数を節約でき、ロジスティックスが簡便で費用が安上がりだから。地域の病院をコロナ患者と切り離すことができるから。さて、結論だが、韓国と日本の対策の違いはどこから来るものだろう。テレビに登場する御用学者や官邸に媚びへつらうしか能のないキャスターやコメンテーターたちは、韓国にはMARS禍の苦い経験と教訓があったからと理由を述べる。だが、本当にそうだろうか。私は違うと思う。もし、韓国が李明博政権や朴槿恵政権であったなら、このような理想的な対策はとれなかっただろう。


韓国がソシアルな理念を持った左派政権だったからこそ、こうした模範的な社会政策を打つことができたのだ。韓国のコロナ対策は、単に検査方式の見事さだけでなく、検査費と治療費を無償にしたり、隔離した患者の家族に十分な給付金を支給したり、国民に対する支援が最初から手厚い点が特徴だった。憲法25条的なコロナ政策が一貫して遂行されていた。それは、ソシアル主義の政権だからできたことだ。日本の場合は真逆で、コロナ対策に当たってはネオリベラルな自己責任主義が中軸に据わり、無検査による市中感染放置(集団免疫路線)が徹底され、自宅での自前の療養克服(4日間我慢)が国民に強いられた。その結果が、現在の韓国と日本の彼我なのである。

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