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徽宗皇帝のブログ

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新技術の生む経済破壊
「ダイヤモンド・オンライン」の三品和広という大学教授の論説の一部を転載する。なぜこの部分かというと、(他の部分にはあまり興味を惹かれなかったが)、この一節は現代の経済の大きなポイントを示していると思うからである。
ITによって中間管理職の仕事や一部職種でのベテラン技術者の仕事が不要になったために大量の失業が生みだされたというのが現在の経済状況だが、私自身も気がつかなかったことが、下記記事にある「機械が機械を駆逐する」あるいは「新しい機械の出現がそれまでのジャンルそのものを駆逐する」という視点だ。つまり「機械が人間の仕事を奪う」のではなく、新しい機械によってこれまでの文化形態そのものが消滅するということだ。もちろん、それによってその文化に携わっていた人々は失業する。(今日のニュースでもNECが大量解雇に踏み切ったという記事があるようだ。企業業績回復対策は、その失敗の一番の責任者である社長や幹部社員の減俸ではなく、なぜか社員の大量首切りから始まる。)
簡単な例では、電子書籍やインターネットによって紙(印刷)文化が消滅しかかっているなどである。しかし、問題はより複雑で、新しい電子技術によって過去の機械や技術は不要になっていくわけだが、そのサイクルが今は非常に速いのである。簡単な例で言えば、フロッピーディスクが発明され、流通したのはほんの短い間で、それはすぐに記録用CDに取って代わられ、それもすぐにUSBメモリーに駆逐された。だが、それだけなら、まだそのメーカーにとっての被害だけだ。下記記事にあるように、スマートフォンにパソコンや電話やカメラや書籍が統合されるということは、それらに関した生産設備も生産人員もすべてお払い箱になるということなのである。そして、そうした過去の技術が保っていた経済規模の何分の一くらいしか、新しい市場は作り出せないとなると、これは世界経済自体が急速に縮小していく運命にある、と考えられる。
よくクラウド・コンピューティングを未来の理想的姿と言う人がいるが、端末機一台ですべての用が足せるということは、その他の情報産業がすべて不要になるという、恐ろしいことでもあるのだ。
まあ、こうした「統合的技術」は今のところスマートフォンくらいのものだが、このような「新しい技術が経済全体にもたらすマイナスの、あるいは破壊的な効果」を我々はよく考察しておく必要がありそうだ。
もちろん、長い目で見れば、その破壊から社会はやがて回復するから新技術を忌避せよと言うのではないが、その途上で無数の「経済的死体」が路上に溢れるのである。「経済的死体」とは私の造語だが、倒産、失業、破産の意味だ。
西原理恵子ではないが、「金の無いのは首のないのも同じ」なのだから、失業者や破産者とは生ける死体(ゾンビ)だということになる。新技術の破壊的効果(経済的マイナス面)を識者はもっと述べ広めるべきだし、新技術が生み出す倒産や失業に対するセーフティネットを政府はもっと確かなものにしていく必要がある。
まあ、失業者は「臨時公務員」として採用する制度などがいいのではないか。仕事は街の清掃などでいいのである。公務員が世襲制度みたいに一部の人間に独占されている(私の知人にも一家全員公務員という家族がいる。)から公務員はあれほど嫌われているのである。自分も簡単に公務員になれるのなら、誰も公務員批判などしない。

(以下引用)


日本エレクトロニクス総崩れの真因
大同団結や徹底抗戦は愚の骨頂

神戸大学大学院経営学研究科教授・三品和広


 後から市場に割り込んできた韓国勢も手強いが、いまのエレクトロニクスにとって本当に怖ろしいのは、ソフトウェアによるハードウェアの置き換えである。かつて、音楽プレーヤー、ポータブルDVDプレーヤー、PDA、ICレコーダー、デジタルカメラ、電卓、携帯ゲーム機、電子辞書、腕時計などは、携帯電話端末とは別に独自のハードウェア市場を形成していた。
 それが、いまや肌身離さず持ち運ぶのは、スマートフォン1台の時代に入っている(機能代替品)。この大統合を推進するアップルやグーグルは、売上高営業利益率30%前後と絶好調に見えるが、彼らが置き換えたハードウェア市場全体の規模に比べると、売上高の水準は数分の1にも満たないのが現実である。ここで起きていることは、まさに市場破壊にほかならない。テレビやカーナビが消える日も、確実に近づいているのではなかろうか。

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