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徽宗皇帝のブログ

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日本が無謀な原発計画を推進してきた、知られざる理由
「副島隆彦の学問道場」から転載。
副島は、福島まで行って、「福島(の放射能)は安全だ。避難する必要は無い」と、まるで政府の広告塔のようなことを言ったために、反原発論者たちをがっかりさせ、副島も御用学者の一人か、と評価を低落させたが、その弟子の「アルルの男・ヒロシ」は、なかなか明晰な頭脳の持ち主で、しかもいろいろと良く勉強している。ある部分では(判断力の健全さなど)師匠よりも上を行っているのではないか。下の文章は、何となく文体まで師匠に似てきたようだが、そんな所は似なくてもいいのに、と思う。副島の陶酔的自己称賛癖と、半キチガイ的な感情的文章は、(彼の精神的師匠の小室直樹の下手な真似だろうが)彼の欠点であり、彼が世間の多くの人から敬遠されている理由なのである。副島の師匠の小室直樹の方は「本物」の政治学者だったが、昔、白石隆という市井の賢人が言ったように、彼の欠点はロスチャイルドやロックフェラーの政治への影響について口をつぐんでいたことだ。つまり、いわゆる「陰謀論」を無視していたのだが、それでは「本当の政治的現実」を論じることは本質的に不可能だろう。
無駄なおしゃべりが長くなった。
下記記事は、かなり長いので前半と途中をカットして引用する。
苫米地英人の言っていることは、案外と原発問題での盲点になっていたことではないだろうか。すなわち、日本が米国の属国である限り、原発を廃棄することは永遠に不可能だ、ということである。
要するに、苫米地英人のこの一言に尽きる。

 「原発施設は、表面的には、日本の民間企業の施設ですが、現実にはアメリカ軍の「軍事施設」と言っても過言ではありません。」

下記記事には、日本人があまり知らない有益な情報がかなり含まれていると思う。

なお、井口博士のブログとつむじ風ブログの両方に「東京原発」という映画のハイライトシーンが転載されているが、この動画は必見である。私も、2004年の時点で、ここまで原発の本質に突っ込んだ映画が作られていたとは知らなかった。上の苫米地英人の言葉を重ねて、この動画を見ると、なぜ日本がこの無謀な原発計画を推進してきたかも納得できるだろう。単なる原子力村の金儲けだけの問題ではないのである。



(以下引用)*誤記が数か所あるが、目に付く二か所だけ注を入れた。




<「日本はアメリカの核燃料備蓄場」であると喝破した苫米地英人>

 このように、日本の原子力政策が「異常」であることはそもそも、日本の原発政策はかつての占領国であり、現在は非対称な同盟関係を結んでいる覇権国のアメリカの許認可によってようやく成り立ってきた、という歴史的な事実に起因している。

 そして、その最たる存在は「日米地位協定」であることは前回にお知らせしたとおりだが、この地位協定に基づいた日米安保体制、日米同盟体制を維持したままでは、いかに原子力政策を正常化させようとしても、さらに日米同盟態勢を既得権益にしている日本の外務官僚たちと、アメリカのジャパン・ハンドラーズの思惑に絡め取られてしまうだけなのだ。

 そのことを痛感させてくれたのが、苫米地英人(とまべちひでと)が書いた『原発洗脳』(日本文芸社)という本だ。

(中略)

 苫米地氏は、この本の中で「日本の原子力を今もアメリカが支配している」という重要な事実について述べている。

 具体的にはそれはどういうことかというと、「日本の原子力の技術はアメリカではもはや古臭いものになった民生技術であり、本当に優れた高度なアメリカの原子力技術はウェスティングハウスの原子炉を備えた米原子力空母の軍事技術である」ということなのだ。

 『原発洗脳』から引用しよう。「原子力技術に関しては、日本は最高レベルだという意見」に対して、「何を根拠にそのようなことを言っているのか、全く理解出来ません」と述べて、苫米地氏は、次のように書いている。

(引用開始)

  確かに、日立、東芝、三菱は、世界の原子力の主要プレイヤーであり、東芝は高い原発技術を持つアメリカのウェスティングハウス・エレクトリックの原子力部門を傘下に収めています。
しかし、ウェスティングハウスは東芝の傘下には入りましたが、核分裂を持つコアの技術は手放していません。がっちりと握ったままです。依然として中核技術の特許は押さえています。(略)

  ウェスティングハウスは、軍事機密の部門を切り離して、残りを東芝のコントロール下に置いたのです。東芝が買った技術は、原子力発電のいわば「メンテナンス技術」だけです。原子力発電のコアの部分である核分裂技術に関しては、何ら技術を持っていません。

『原発洗脳』(六九-七〇ページ)
(引用終わり)

 このように述べており、戦闘機の分野と同じように、日本は属国なので、中核技術は決してブラックボックスのままにされて、アメリカから譲り渡してもらえないのだ、と述べている。さらに、次に、GEの沸騰水型原子炉に関しても苫米地氏は次のように述べている。これは、私が実際に原発メーカーの技術者から聞いたのと同じようなことだ。

(引用開始)

  原発建設に関わった技術者を知っていますが、実際の現場では、GE(ゼネラル・エレクトリック)などの特許をマニュアル化した知的財産権のルールが細かく規定されていて、その範囲内で、マニュアル通りに技術者が動いているだけです。

  福島第一原発1号機は、GEが主契約者で、2号機はGEと東芝が主契約者でした。3号機と4号機は、東芝と日立が主契約者でしたが、東電からの元請けが東芝と日立というだけであって、GEの技術者が来て、その指示のもとに作ったのです。(略)このような実態がある中で、「日本が世界最高の原発技術を持っている」とは、とても言えないはずです。(略)

  言い方は酷になりますが、東芝と日立は、アメリカの原子力技術の販売代理店に過ぎません。日本企業がベトナムやトルコに原発を売れば、特許収入がアメリカに転がり込む仕組みなのです。日本の原発施設は、アメリカ企業にとって、住宅展示場のようなものです。

『原発洗脳』(72-73ページ)
(引用終わり)

 このように苫米地氏は見抜いている。確かに、アメリカでは今日まで30年間、スリーマイル島のメルタダウン事故以降、アメリカ国内では原発アレルギーが起こり、その一方でロックフェラー系のカーター政権などは石油戦略を打ち出したので原子力がスローダウンしたので原発の視線説(徽宗注:「新設」の誤記か)はなされなかった。

 アメリカでは民主党のカーター政権でスリーマイル事故が起きたあとに、使用済み核燃料の再処理を含めた原子力民生ビジネスに対して意欲を失っていく。その間にも、日本は田中角栄の「電源三法」に代表されるような、地方への原発誘致と引き換えに莫大な補助金を流してこんで、地方を電力需要の必要上にたくさんの「原発銀座」にしてしまった。

 これが苫米地氏の言うとおりであるならば、これはアメリカが属国から「金を巻き上げるビジネス」の一貫として機能していた、ということにほかならない。

 後でも述べるが、原子力ビジネスというものはそもそもアメリカと日本が原子力協定を結んだからこそ、実施が許されたものであり、アメリカは許認可、ライセンスを与える立場になるのである。田中角栄の後にもアメリカのお気に入りの中曽根政権になっても原発建設が止まらなかったことは理解できる。

 (中略)

 苫米地英人の『原発洗脳』に話を戻す。このように、苫米地氏は日本の原子力技術がアメリカの最新の軍用の原子力技術に比べても、民間の最新の原子力技術に比べても大きく遅れていることを述べた上で、本書の本当に重要な「アメリカの日本に原子力支配」について論じている。

 ここで、アメリカの許可なしに日本が原子力を持つ事ができた、と考える人は、日本がアメリカと戦争で殺し合ったという事実を無視しているのと同じだとのている。アメリカの敵国であった日本がすんなりと戦後わずか10年後(1955年)に原子力を持つことが出来たのは、アメリカの国益が背後にあったためだと述べているが、苫米地氏が優れているのは、彼が次のように述べているところである。

(引用開始)

  アメリカにとっての国益とは、「安全保障(ナショナル・セキュリティ)」です。日本の原発は、アメリカの安全保障を脅かさず、アメリカの安全保障に寄与することを条件に認められた私設(徽宗注:「施設」の誤記、あるいは転載ミスか)です。この条件なしには、アメリカは日本に原発を認めることはありませんでした。つまり、原発は、アメリカの管轄下に置かれ、アメリカがコントロールすることを前提にして、敵国・日本に認めた施設なのです。この条件を担保するもののが、日米安全保障条約です。こういった経緯を踏まえずして、原発問題を議論してもほとんど意味がありません。

『原発洗脳』(117ページ)

(引用終わり)

 このことが極めて重要である。属国・日本論の立場と合理的選択論で政治分析をする立場からすれば、苫米地氏の上の文章は次のように言い換えられるだろう。

○ アメリカは、日本に商業用原子力発電をやらせるという「合理的選択」を行なっている。

 アメリカが敵国・日本に、商業用原子力発電を認めるための論法の一つが、アイゼンハワー大統領が核保有国アメリカの大統領として打ち出した、「アトムズ・フォー・ピース」(平和のための原子力)というプロパガンダである。原子力発電というのは先程も原子力空母や潜水艦の例を引き合いに出して述べたように、元々は核爆弾や原子力推力の潜水艦からの「スピンオフ技術」に過ぎない。
 
 核戦争の脅威を前提にした「米ソ冷戦」が激化する中、アメリカは敵国であった日本を反ソ陣営に繋ぎ止めておくために、日本には核兵器開発をさせずに原子力発電だけを与える。これが戦後一貫したアメリカの国家戦略の合理性であった。そのためには、アメリカは日本の原子力施設を徹底的に監視するし、それに対して、日本の政治家はそれを出しぬいて、少しでも自力核武装をする可能性を残そうとする。

(中略)

 苫米地氏は細かくは日米原子力協定については述べていない。しかし、本質的に苫米地氏は米日の覇権国・属国関係と、それが意味することを概念として理解した上で、この本を書いていることがわかる。そのことを示しているのが以下の文章である。『原発洗脳』から引用する。

(引用開始)


  アメリカの安全保障政策上、日本は、アメリカの「核の傘」の下に置かれた国です。日米安全保障条約によって、他国が日本を攻撃したら、アメリカの核による報復攻撃が行われることになっています。そのかわりに、日本は確の置き場所という位置づけも持たされています。アメリカ軍の核兵器が不足した場合には、日本の原発の核燃料などを接収して、アメリカ軍の核兵器などに転用します。日本の原発はアメリカの核燃料備蓄場といってもいいくらいです。


  日本が、核燃料サイクルで燃料の再処理をして、プルトニウムなどを保有することが求められているのも、アメリカがいつでも接収できることが前提になっています。

『原発洗脳』(125ページ)
(引用終わり)

 ここには驚くべき日米関係の真実が書かれている。

<日米原子力協定を分析しなければ日本の原子力政策の異常さは理解できない>

 苫米地氏が書いている、プルトニウムを「接収」というのは、極端なように聞こえる話だが、究極的には本当なのだ。

 なぜなら、そのように日米原子力協定では明瞭に書かれているのだ。日米地位協定で、アメリカが日本のどこにでも基地をおいても許されるし、米軍の飛行機やヘリがどこを訓練しても許されるようになっているから、日本側がオスプレイの飛行を拒否できないのと、理屈は同じだ。アメリカは協定や契約に書かれていないことはやらない。書かれていることに基づいて、行動する。

 実際に日本にあるプルトニウムが接収されていないのは、アメリカが実際にその必要性を感じていないから、それをやらないだけだ。

 だが、日米原子力協定には安全保障条項というものがある。そこに接収のこともちゃんと書いてあるのだ。

 今述べた、この日米原子力協定とは、1988年に発効した現行協定のことをいう。後で述べるが、原子力協定には1955年版の「日米原子力研究協定」それから1968年版の「旧日米原子力協定」がある。

(中略)

 そのように原子力協定というのはよく読めば、日本の原子力事業というのがアメリカからの許認可を前提にしたものだとわかってくる。話を苫米地英人氏の『原発洗脳』に再び戻す。

 苫米地氏は、日本の原発にアメリカは備蓄しているのだと書く。イランのようなイスラエルの敵国が、核兵器開発するために原子力発電所を動かそうとしていることを考えれば、この理屈は容易に理解されるだろう。

 原発というものの前に原子爆弾があり、原子力潜水艦があった。いざとなれば核兵器製造の原料を取り出せる設備が原子力発電所なのだ。さらに、日本には劣化ウラン工場もあり、劣化ウラン弾の製造も日本が肩代わりをしていることになる。劣化ウランの工場は、日本では山口県岩国基地の近く、アメリカではグアムかハワイにあるらしい。

 去年、2012年4月22日に、三井化学大竹工場で火災が起きたことがあった。その時もこの工場では劣化ウランを製造しているという報道が流れたことを今思い出した。

 この工場には、放射性物質である「劣化ウラン」が入ったドラム缶をおよそ3,400本保管しているとも当時報道された。当然、これらの劣化ウランは直近にある米軍岩国基地に劣化ウラン弾として納入されているのだろう。劣化ウラン弾は戦車の装甲板も貫通する能力を持っており、タングステンと並ぶ兵器の原料であることはよく知られている。ただ、イラク戦争で劣化ウラン弾を使う戦場にいた米軍帰還兵やイラクの人々は後遺症に悩まされていて、このことはアメリカ国内でも映画になったほどの大問題になっている。

 アメリカ本土では世論の反対が強く、劣化ウラン弾工場を建設できないので属国でやっている。そのように苫米地氏は書いているがその通りだろう。

 だから、苫米地氏は次のように言い切っている。

(引用開始)

  原発施設は、表面的には、日本の民間企業の施設ですが、現実にはアメリカ軍の「軍事施設」と言っても過言ではありません。

『原発洗脳』(128ページ)
(引用終わり)

 日本の原発はアメリカの核の一時的保管所であり、日本の原発ビジネスはアメリカがコストを負わない代わりに日本の原子炉メーカーがアメリカの下請けとしてライセンスを付与されているだけのビジネスである。

 この苫米地氏の鋭い読みを私は高く評価しなければならないと思う。確かに沖縄の嘉手納基地や辺野古のキャンプ・シュワブに米軍が核兵器を持ち込んでそれを保管しているという話は証言としても出てきていた。しかし、それと同じようにアメリカは核兵器ではないが、核物質を移動させて管理していた。それが日米原子力協定に規定された、「核物質や施設、設備の管轄国間の移転」というものである。いずれにせよ、最終的には核物質を装填した日本の原発は緊急時にはアメリカの管轄に行くのである。

 東電福島第一原発のメルトダウンに際して米軍が全面協力を申し入れ、更に首相官邸にNRCや大使館の関係者を常駐させたののも、原子力協定第2条に規定された、「両当事国政府は、専門家の交換による両国の公私の組織の間における協力を助長する」とか「両当事国政府は、両当事国政府が適当と認めるその他の方法で協力することができる」というものに基づく、専門家の交換という取極めの実行に過ぎない。

 世間で、原子力村と呼ばれる原子力に群がる既得権利権集団の存在が囁かれて久しい。

 しかし、これまでの議論ではいわゆる「政官業の鉄のトライアングル」ということにまで注目が行くようになっていたが、実際はそのトライアングルを上から支配するアメリカという存在がある。このことが重要であり、そのことに気が付かなければ、脱原発を巡る議論は「あさっての方向」に行ってしまう。

 

(以下略)


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