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徽宗皇帝のブログ

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日本というシステムの破産と解体
沢尻エリカの元旦那で、正体不明の「メディアプロデューサー」高木剛が、月刊サイゾー紙上のインタビューに答えているが、なかなかいいことを言っている。やっていることは山師に近いかもしれないが、物事を見抜く目はありそうだし、表現力も確かである。顔と体しか売り物の無い「性格ブス」の沢尻エリカよりは人間レベルはずっと上のようだ。まあ、女は顔と体さえよければいいという考えもあるだろうが。
この記事は「株式日記と経済展望」から取った。それに付記されたTORA氏のコメントもいいが、高木剛のコメントを膨らませただけなので、それは省略する。
「人間を幸福にしない日本というシステム」というのは、カレル・ヴァン・ウォルフレンの著書のタイトルだが、我々は、「日本というシステム」が破産していることをはっきりと認識する必要がある。要するに、多くの人間の犠牲の上に、一部の人間が贅沢な生活をするという、新自由主義的資本主義社会は、解体されねばならないということである。それはずっと前から言われているのだが、しかし、「資本主義の解体=社会主義」だから、嫌だという無意識の嫌悪感のために、いつまでもこの「残酷な資本主義」が生き続けているのである。
TORA氏にしても経団連を「赤い貴族」と呼び、「赤=共産主義者=悪」のイメージを貼り付けているのだが、本来の共産主義は官僚主義でも階級社会でもない。ソ連や中国の悪政は共産主義とは無関係であり、それらは「実験的社会主義国家」にすぎない。また、マルクス主義だけが社会主義であるわけでもない。
何度も書いてきたが、「一部の人間や階級の利益よりも社会全体の利益を優先する」ことが本来の社会主義である。ならば、経団連や高級官僚などは、その対極の存在であることは明白だろう。
井上ひさしの引用からの孫引きなので、出典は知らないが、宮澤賢治の言葉だという、次の言葉が社会主義の本質を良く表している。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」




(以下引用)


――聞いてるだけで絶望的になりますが、諸悪の根源はどこにあるのでしょうか。

高城 僕は責任の所在が曖昧で意思決定が遅い日本式システムにすべての原因があると考えています。個々の政治家や役人がどうだとかいう話ではなく、問題はシステムそのものにある。典型的なのが官僚組織をはじめとする公務員システムですよね。何もしなくても年功序列で出世して給料が上がっていく。失敗しても誰も責任をとらない。国際的にはまったく通用しない古くなったシステムを、日本はいつまでも堅持している。古くて大型なので、お金=税金も必要。これが今日直面している問題だと僕は思っています。エネルギーの話だけではありません。

――そのシステムの弊害が、震災対応にも顕著に出ていたと。

高城 東電をみれば明らかですが、今は民主主義より資本主義のほうが力を持っていると思いますよ。ハッキリいえば、経団連を中心とした大企業群の問題だと思います。バブル崩壊以降、企業は新しいイノベーションに挑戦せずに、保守的になり、目先の利益追求のため、労働力が安い地域に多くの生産拠点を移動させ、国内労働者は疲弊しました。そして、国内は独占に近い企業が生き残り、幅を利かせるだけになったのです。さらに、そのようなことを、事実上国家が後押しする形になりました。日本は戦後、問題だった当時の財閥を解体し、また韓国では1997年の金融危機でやはり財閥解体をして新しい仕組みを作りました。今の日本には、経団連を中心にした事実上の財閥がありますが、マスメディアのスポンサーでもあるので、マスメディアでここを問題として取り上げる人はいません。特に大口を叩く人ほど口に出しません。そして何より、天下り以上にマスメディアには"財閥"関連のご子息がコネで就職しています。メディアも政治も二世だらけの同じ構造なのです。これを解体しないと、新しい日本=既得権益ではない本当の力がある日本は絶対に生まれないと思いますね。

――個人の幸せより企業の利益が優先されてるという意味ですか?

高城 それは、比較の問題ではないと思いますが、事実上そのようになっていると感じます。日本の「民主主義」とやらの実態を少し乱暴に言うと、国民より一部の役人が偉くて、一部の役人より政治家が偉くて、政治家より多くの役人が偉くて、多くの役人より大企業が偉いという構造なんだと思います。そして、かつての大企業が雇用を生み出して国民を豊かにするという古いモデルに代わるものを、いまだに誰も提案できていないことも問題だと思います。(後略)




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