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徽宗皇帝のブログ 徽宗皇帝のブログ

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日本という国は滅ぼすには素晴らしすぎる「文化的財産」がたくさんある

「晴耕雨読」から転載。内田樹氏の文章である。
私は日本という国が好きだし、世界に誇れる部分がたくさんあるいい国だと思っているので、日本が滅びるのは困る。私にも子供がいるし、その子供もいずれ結婚して子供が生まれることもあるだろう。子供やその子供、さらにはその子供の世代、と時代が下るにしたがって、この日本がどんどん良い国になることを私は願っている。そして、それはそれほど難しいことだとは私は思わないのである。
要するに、経済政策(税制や予算内容が一番大事)をまともに行い、福祉レベルを上げればいいだけだ。もちろん、マスコミの腐敗堕落や教育制度の荒廃など、問題はたくさんあるが、それらは上に立つ人間がまともな頭を持っていれば簡単に解決できる問題だと私は思っている。
つまり、スィフトが発狂する前に、枯れた木を見て言った言葉「俺はあの木と同じだ。頭から腐るんだ。」ではないが「組織は頭から腐る」のが常であり、それを防ぐには「倫理観」と「仁愛の心」しかないのである。そうした倫理観や仁愛心のまったく無い人間が多くの組織でトップやその周囲にいる、というのが国が亡びる原因だろう。
なお、日本よりひどい状態の国が「9.11」後のアメリカだと私は思っている。あれはキチガイ国家である。上から下までみなキチガイだ。しかも、自分たちを正常だと思っている。そこがまたキチガイのキチガイたるゆえんだ。そのキチガイに実質的に支配され、唯唯諾諾と従っている国がどこかにあるそうだ。(笑)滅びても不思議ではない。


(以下引用)




年頭所感を書きました。http://blog.tatsuru.com/

新年早々「気鬱」な話になってしまいました。

でも、この正月に、満面の笑顔で「いや~、今年はいい年になりそうだよ」って希望が語れる人って、日本にはほとんどいないですよね。
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http://blog.tatsuru.com/
2015.01.01
2015年の年頭予言

あけましておめでとうございます。

年末には「十大ニュース」、年頭には「今年の予測」をすることにしている(ような気がする)。

ときどき忘れているかもしれないが、今年はやります。

今年の日本はどうなるのか。

「いいこと」はたぶん何も起こらない。

「悪いこと」はたくさん起こる。

だから、私たちが願うべきは、「悪いこと」がもたらす災禍を最少化することである。

平田オリザさんから大晦日に届いたメールにこう書いてあった。

「私は大学の卒業生たちには、『日本は滅びつつあるが、今回の滅びに関しては、できる限り他国に迷惑をかけずに滅んで欲しい』と毎年伝えています。来年一年が、少しでも豊かな後退戦になるように祈るばかりです。」

これから私たちが長期にわたる後退戦を戦うことになるという見通しを私は平田さんはじめ多くの友人たちと共有している。

私たちの国はいま「滅びる」方向に向かっている。

国が滅びることまでは望んでいないが、国民資源を個人資産に付け替えることに夢中な人たちが国政の決定機構に蟠踞している以上、彼らがこのまま国を支配し続ける以上、この先わが国が「栄える」可能性はない。

多くの国民がそれを拱手傍観しているのは、彼らもまた無意識のうちに「こんな国、一度滅びてしまえばいい」と思っているからである。

私はどちらに対しても同意しない。

国破れて山河あり。

統治システムが瓦解しようと、経済恐慌が来ようと、通貨が暴落しようと、天変地異やパンデミックに襲われようと、「国破れて」も、山河さえ残っていれば、私たちは国を再興することができる。

私たちたちがいますべき最優先の仕事は「日本の山河」を守ることである。

私が「山河」というときには指しているのは海洋や土壌や大気や森林や河川のような自然環境のことだけではない。

日本の言語、学術、宗教、技芸、文学、芸能、商習慣、生活文化、さらに具体的には治安のよさや上下水道や交通や通信の安定的な運転やクラフトマンシップや接客サービスや・・・そういったものも含まれる。

日本語の語彙や音韻から、「当たり前のように定時に電車が来る」ことまで含めて、私たち日本人の身体のうちに内面化した文化資源と制度資本の全体を含めて私は「山河」と呼んでいる。

外形的なものが崩れ去っても、「山河」さえ残っていれば、国は生き延びることができる。

山河が失われれば、統治システムや経済システムだけが瓦礫の中に存続しても、そんなものには何の意味もない。

今私たちの国は滅びのプロセスをしだいに加速しながら転がり落ちている。

滅びを加速しようとしている人たちがこの国の「エリート」であり、その人たちの導きによってとにかく「何かが大きく変わるかもしれない」と期待して、あまり気のない喝采を送っている人たちがこの国の「大衆」である。

上から下までが、あるものは意識的に、あるものは無意識的に、あるものは積極的に、あるものは勢いに負けて、「滅びる」ことを願っている。

そうである以上、蟷螂の斧を以てはこの趨勢は止められない。

自分の手元にあって「守れる限りの山河」を守る。

それがこれからの「後退戦」で私たちがまずしなければならないことである。

それが「できることのすべて」だとは思わない。

統治機構や経済界の要路にも「目先の権力や威信や財貨よりも百年先の『民の安寧』」を優先的に配慮しなければならないと考えている人が少しはいるだろう。

彼らがつよい危機感をもって動いてくれれば、この「後退戦」を別の流れに転轍を切り替えることはあるいは可能かも知れない。

けれども、今の日本のプロモーションシステムは「イエスマンしか出世できない」仕組みになっているから、現在の統治機構やビジネスのトップに「長期にわたる後退戦を戦う覚悟」のある人間が残っている可能性は限りなくゼロに近い。

だから、期待しない方がいい。

とりあえず私は期待しない。

この後退戦に「起死回生」や「捲土重来」の秘策はない。

私たちにできるとりあえず最良のことは、「滅びる速度」を緩和させることだけである。

多くの人たちは「加速」を望んでいる。

それが「いいこと」なのか「悪いこと」なのかはどうでもいいのだ。

早く今のプロセスの最終結果を見たいのである。

その結果を見て、「ダメ」だとわかったら、「リセット」してまた「リプレイ」できると思っているのである。

でも、今のような調子ではリセットも、リプレイもできないだろう。

リプレイのためには、その上に立つべき「足場」が要る。

その足場のことを私は「山河」と呼んでいるのである。

せめて、「ゲームオーバー」の後にも、「リプレイ」できるだけのものを残しておきたい。

それが今年の願いである。









(参考)徽宗皇帝のブログ過去記事より。強調のため一部を赤字にした。




西郷隆盛の教え


『西郷南洲遺訓』(岩波文庫)より、現代にも通じる部分を幾つか現代語に訳してみる。ただし、途中省略などがある。③、⑤、⑥などは現代の日本の退廃を予言しているようだ。

政治を行うのは天の道を行うのであるから、ほんの僅かも私心を挟んではならないものである。心を公平にし、正道を踏み、広く賢人を選挙し、その職に堪え得る人を挙げて政柄を執らせるのが天意である。だから、賢人と認めたら、その相手に即座に自分の職を譲るくらいでないとならないのである。

②人材を採用するのに、君子と小人の弁別が厳しすぎると、かえって害を引き起こすものである。世間の人間の十に八九は小人であるから、その心を察し、その長所を取って小職に用い、その才能や技術を尽くさせるのである。しかし、藤田東湖先生が申されたことは、「小人ほど才芸があって、用いて便利なものだから、用いねばならないものである。しかし、それを長官に据え、重職を授ければ、必ず国家を覆すものであるから、けっして上に立ててはならぬものだ」と。

③広く各国の制度を採り、開明に進もうというならば、まず我が国の本体を知り、風儀を正し、その上でゆっくりと外国の長所を斟酌するものである。そうせずに、みだりに彼に倣うならば、国体は衰微し、風儀は退廃して救うことができなくなって、しまいには外国に支配されることになるだろう。

文明とは道が広く行われることを称賛する言葉であって、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言うのではない。私はかつてある人と議論をしたことがある。「西洋は野蛮じゃ」と私が言うと、「いや、文明じゃ」と抗弁する。「いや、野蛮じゃ」」と畳みかけると、「どうしてそれほどに申すのか」と問い返すので、「本当に文明ならば、未開の国に対したならば、慈愛を本とし、懇々と説諭して開明に導くべきなのに、そうではなく、未開蒙昧の国に対するほどむごく残忍の事を致し、己れを利するのは野蛮じゃ」と申すと、その人は閉口して言葉もなかった。(と翁はお笑いになった。)

租税を薄くして民を豊かにするのが、国力を養成する道である。だから、国家多端で国家財政に苦しんでも租税の定制を守り、上を損じても下を虐げないものである。古今の事跡を見ると、国家財政が不足すると、小利口な俗吏を用いて巧みに民から金を集めて欠乏を補充するのを理財に長けた良臣とするが、これは過酷に民を虐げるものであるため、人民は苦悩に堪えかねて課税を逃れようと人を偽り、狡猾にふるまって、上下互いに欺き、官民が互いに相手を敵とし、ついには国家が崩壊するのである。

⑥正道を踏み、国を以て倒れてもよいというくらいの精神がなければ、外国との交際はできないものである。円滑を旨とし、意を曲げて彼の意に従順する時は、軽侮を招き、信愛の情はかえって破れ、ついには彼に支配されることになろう。











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