(1998年、於新宿ヒルトンホテル、船井総研コスモスクラブにて)
舩井幸雄先生からのお招きを受け400名近い会員の前でお話しする機会を頂いた。
帰国したばかりの私は全く無名で、「時事直言」の読者は200名ほどであった。
この機会を逃してはならないと思い、何か強烈なことをしなくてはならないと思った。
キリストが万民の前で車椅子の身体障害者に「汝立て」と言うと、身体障害者は立ち上がり、「汝走れ」と言うと走った。
キリストがキリストになった瞬間である。
今こそ増田は増田にならなくてはならないと思った。
当時妻眞理子はサイパンにコーヒーショップを持っていた。
毎日マネージャーからの報告を受けていたが、「一週間前から毎日来ていたアメリカの水兵たちが来なくなり、いつも沖合に停泊していた2隻の補修船がいなくなった」と言う。
補修船の行き先を調べてくれるよう眞理子に頼むと、中東のガルフ湾だという。
当時中東に不穏な動きはなかったが、私は中東で戦争がはじまると直感した。
当時のドル・円相場は130円から140円の円安が続いていた。
本屋には「円は270円になる」という本が陳列されていた。
私は長年の取引先Morgan Stanleyのマネージャーに円売り、ドル買いの犯人は誰だと聞いたらキャリートレードの為だと教えてくれた。
ついでにトレーダーの円返済期日が重なるのは何時かと聞いたら10月以降だと言う。
そこで私は、「皆様に耳よりのお話をしましょう」と言って、「数日中に中東で戦争が起きます」。
それから「円安が続いていますが、本年10月上旬には110円になります」。
あるだろうとか、なるだろうと言わず、「ある」、「なる」と言い切った。
(後で舩井先生に叱られたが)「もし中東で戦争も起きず、10月に円が110円の円高にならなかったら、皆様の前で切腹します」とまじめに言った。
会合の2日後、世界中のメディアは臨時ニュースで中東戦争勃発を伝えた。
1日中私に驚きのファックスや電話が殺到した。
ところが円の方は一向に上がらず、10月3日になってもまだ130円であった。
私に多くの連絡が入り、今度は「あまり図に乗ってでたらめを言うな」、「いい加減なことを言うと舩井先生に迷惑が掛かるではないか」、「自殺はしなくてもいいから、コスモスクラブ会員に謝罪しろ」など大騒ぎになった。
私は一貫して「まだ10月10日になっていません」と言い通した。
円相場は5日間で20円上がり、10月10日予定通りの110円になった。
本日読者の皆様に「10月上旬、ドル円相場は110円の円高になる」と言っておきたい。
「ならなかったら切腹する」と言いたいところだが、草場の陰から恩師舩井幸雄先生に叱られるので止めておく。
当然円高で株価は下がる。
History repeats itself. (歴史は繰り返す)
コメント