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徽宗皇帝のブログ

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日本人に足りないもの
「村野瀬玲奈の秘書課広報室」から転載。
日本人と日本国にノーベル平和賞はふさわしいか、という問いに対しては、

1)まず、日本人と日本国を分けて考える必要がある。
2)次に、「日本国」と「日本政府」を分けて考える必要がある。(言うまでなく、今の日本政府にはノーベル平和賞を受ける資格はまったく無い。)
3)今回のノーベル平和賞は、あくまで「憲法九条」に対しての授与であり、「日本国民」への授与は、後付けである。(つまり、「日本国民に対して」というのは重視しなくてよい。)
4)その上で言えば、「憲法9条にノーベル平和賞を与える」のは未来の世界政治への一つの指標として大きな象徴的意味がある。

というのが私の考えだ。
仮に憲法九条がノーベル平和賞を受ければ、世界の民衆の中に、それに倣おうとする潮流が生まれてくる可能性がある、ということである。要するに、日本国民だけに影響があるわけではなく、世界史的な意義があるのである。
日本国民の中には好戦的な人間、ファシスト的な人間、暴力的人間はゴマンとおり、それが政治的指導者ですらある。そういう意味では「日本国民」を平和的民族だと言うのも好戦的民族と言うのもチンパン国民と言うのも皆当たっているだろう。私から見れば、「臆病で、無知で、世間体や周りの空気ばかり気にし、強い者には弱いが、弱い者には強く、弱いものいじめが大好き」という民族だが、いいところもたくさんある。(別の話題になるので、詳述はしない。)
この民族に、「弱きを助け、強きをくじく」という侠気と、「自ら省みて直くんば、千万人といえども我往かん」という気概があれば、世界に誇れる民族になれるだろう。


(以下引用)

日本人と日本国にノーベル平和賞はふさわしいか?

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以前、『「憲法9条にノーベル平和賞を」』という記事を出しました。2014年1月24日のことです。「憲法9条にノーベル賞を」という運動に込められた願いを理解しながらも、辛口のツイートを記録し、私自身も少し表現を弱めながらも辛口のことを書きました。

それが、10月10日に予定されているノーベル平和賞の受賞発表では、ひょっとしたら本当に日本国憲法9条が受賞するかもしれないという予想もあるのだそうです。授賞発表の前にひとこと言っておきたいと思ってこれを書きます。まずすべての人が味読すべきツイートを二つ。





日本国憲法を生かす政治を日本政府や与党・準与党の政治勢力に実行させる意思や能力や気概、いえ、そもそも、日本国憲法を破壊しようとしている政治勢力に政権をとらせない意思や能力や気概を日本国民があまり持っていないこと、あるいは選挙を通じてあまり表現していないことを私はどうしても考えてしまいます。仮にノーベル平和賞が日本国憲法第9条に授与されたとしても喜ぶほどのことではないし、日本人に受賞する資格があるかどうか疑問だとも思います。それでも、受賞するにしても受賞しないにしても、いくつかのことをここに書いておきたいと思うのです。

まず、仮に日本国憲法第9条がノーベル平和賞を受賞したらそれが良い効果をもたらすことを私はもちろん願います。しかし、実際には全く楽観できないと思う、というのが、このブログを通じて日本社会を観察しての私の正直な直感です。というか、いわゆる護憲派、あるいは日本国憲法の基本的人権の尊重、国民主権、平和主義の三大原則を重視する人の中で、楽観的な見通しを自信をもって語れる人はいるのでしょうか。たぶんいないと思うのです。

次に、疑問なのですが、外国人に褒められたり賞賛されたりすることを期待する風潮が今の日本に高まっていて、それは「日本すごい」系の出版物やテレビ番組がうんざりするほどにあることで実証されているという現状の中、日本が賞賛されると嬉しい人のうち、日本国憲法9条を嫌う人たちは、日本国憲法9条が本当にノーベル平和賞を受賞したらどういう反応を示すだろうという興味があります。それらの人たちが「世界がうらやむ日本国憲法第9条」という意見を持てばいいのですが、そういう気がしません。

上にも書いたように、日本人にはこのノーベル賞を受賞する資格はあると私にはどうしても思えないのですが、仮に受賞したら誰が授賞式に出席してスピーチをするか、興味あるところです。安倍首相がそれをしたらそれはそれで面白いと思います(笑)が、順当な授賞式出席者はノーベル賞に日本国憲法9条を申請した人だと思います。あるいは、日本に「この憲法を押し付けた」(と日本のカイケン勢力が腐してやまない)アメリカの現時点での代表者としてのオバマ現アメリカ大統領が受賞しても良いと思いますが。(爆)というか、押しつけ憲法論を今まで散々叫んできた人たちは、ノーベル平和賞を日本国憲法が本当に受賞したら、このノーベル賞は日本が受賞すべきでなくてアメリカが受賞すべきだと主張してほしいですね。笑

正直なところ、仮に日本国憲法がノーベル平和賞を受賞したら、それがきっかけになって安倍首相が軍事優先主義路線をあきらめるかといえば、とてもそうは思えないのです。そうはならないとしても、世界各国が日本のおかれた中世返り、民主主義放棄路線の状況に注意と警戒を向けるきっかけとして機能すればそれで十分です。そうしたら、今の自民党政治の問題点をどれだけ理解してどれだけノーを言えるかという課題が日本人に残るだけです。

つまり、ノーベル平和賞が日本国憲法に本当に授与されたとしたら、日本人はそれを喜ぶよりも、日本国憲法を生かす政治を日本政府や与党・準与党の政治勢力に実行させる意思や能力や気概を発揮しなければなりません。絶対に。そうでなければ、ノーベル平和賞を受賞したのに安倍自民党が日本をめちゃくちゃな中世的後進国にする一方で日本人はそれをなすすべもなく許して、世界を呆れさせるという屈辱が待っています。

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