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徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

香港を鳥瞰する
「播州武侯祠遍照院」ブログから転載。
香港の政治経済の現状と実情がかなり明確に分かる、貴重な記事である。
天安門事件に触れた部分を見ても、この筆者がマスコミ情報を鵜呑みにしない人間である、すなわち信頼できる人間であることが分かる。


(以下引用)


民主主義と、それを看板にする欧米による陥穽に注意。 渾沌堂

Updated   
2014.10.08 (Wed)
タマちゃんの暇つぶし  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
★香港で起きていた学生デモは、誰が仕組んだのか?

香港では、昨日(2014年10月7日)からほぼ平常どおり、企業も銀行も、行政機関なども業務を再開し、落ち着きを取り戻しています。
(転載貼り付け始め)

●「香港当局、強制排除は回避―デモ隊の規模は縮小」
By ANDREW BROWNE, YVONNE LEE and JACKY
WONG

ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 2014年10月6日
http://jp.wsj.com/news/articles/SB12645916890387823719904580197273143917454


【香港】香港政府は5日遅く、民主化を求める学生デモ隊のリーダーら
と初めての会談に臨んだ。6日朝には特別行政府の本部庁舎前を
占拠していたデモ隊に弾圧が加えられるとの不安が遠のいた。

デモ参加者の大部分は路上で一夜を過ごした。6日朝にはデモ隊を
力で追い払うという警告を警察が実行に移すことはなかった。

香港中心部、金鐘(アドミラリティ)の添馬スクエアにある政府合同
庁舎前では、デモ隊が職場に向かうアクセスの封鎖を解除。
前週末3日には政府が封鎖解除を要求していた。

ただ、政府庁舎に向かう通路の一部はまだ金属製のバリケードで
ふさがれており、職員の中には小さな脇道を通って職場に
向かう人々もいた。

この静けさは1週間以上続いた民主化デモが新たな段階に
差し掛かったことを示唆している。
また、これは民主派がある程度の勝利を収めたことも物語っている。

デモの発端は中国政府が次の行政長官選挙で民主派候補を
事実上排除する決定を下したことに対する反発だ。

週明け6日の香港株式市場では主要株価指標となるハンセン指数
が安寄りしたもののプラス圏に転じて推移。同指数は3日には
0.6%上昇したものの、週間では4週連続で下落していた。

中国および香港政府は民主派の要求に応じる姿勢を示しておらず、
6日朝までにデモ隊が占拠を解かなければ当局が力による行動
に訴えるとの懸念が浮上していた。

先月28日には警察がデモ隊を分散させるために催涙ガスを利用し、
これがデモの拡大を招く引き金になった。

6日朝までには3つの商業地区すべてでデモ隊の規模が急速に
縮小し、参加者の多くは仕事や学校へと戻っていった。

(転載貼り付け終わり)


このように、香港の学生たちは、非常に平和的に、
暴力の衝突ならないように意識をしながら、デモの
収拾を始めています。

香港政府とデモの学生との間で、話し合い(会談)が
始まっているようです。
学生たちは、うまく騙(だま)されるように丸め込まれる
のか、政府が要求に応じないのであれば、妥協も合意も
ないと決裂するのか。

おそらく、香港政府は中国本土の北京政府の意向どおり、
いっさい学生の要求は受け入れないでしょう。

話を聞くふりだけはするのだと思います。こうした
デモは、あくまでガス抜きなのであって、現実に、
これによって政治体制が大きく変わることはありえません。


しかし、それよりも重要なのは、このたびの香港の
民主化要求デモでは、どこからともなく紛れ込んだ
扇動者たちが、デモを暴力沙汰にしようと企てて
動いていたという事実です。

おそらく、アメリカのCIA(米中央情報局)の、
3年前の2011年1月にエジプトでの反政府運動
などを中心とした、中東の20か国近い諸国で
起きた、「アラブの春」という、ヤラセの民主化運動
(結局失敗して、エジプトは混乱が今も続く)を
仕掛けた勢力と同じでしょう。


大きくは、アメリカが、次の世界帝国として台頭する
中国を、その周辺国を見方にして包囲して、
香港と中国本土を分断して、抑え込むための策謀が
あったのだと考えます。

中国政府は、この挑発に乗って、1989年月の
「天安門事件」のような一般市民への弾圧、
流血騒ぎを引き起こすこともなく、事態を収めました。

習近平(1954- )国家主席率いる北京政府は、
アメリカの意図を始めから分かっていたようです。

アメリカからの攻撃に対抗する、「ブリックス(BRICS
=ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)」の
新興大国どうしで、中国としっかりタッグを組んでいる
ロシアが、デモが始まった当初から、アメリカの
関与について警告を発していました。


(転載貼り付け始め)

●「香港の民主化デモは米国の陰謀=ロシア国営メディア」
By Paul Sonne

ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 2014年10月1日
http://jp.wsj.com/news/articles/SB11426559292233444529604580187242706662972


【モスクワ】ロシアの国営メディアは、香港の民主化デモを
米国の陰謀と伝え始めた。かつて国内などで同様のデモが起きた時も
同じような報じ方をしていた。

今回の報道は、ここ数年でモスクワとウクライナの首都キエフで発生した
民主化運動はロシア政府の弱体化を狙った西側諸国の陰謀とする
同政府の主張を反映したものだ。 

9月29日に香港の民主化デモが世界中のマスコミに大きく取り上げ
られる中で、ロシア国営テレビの第1チャンネルは主なニュース番組で
これを伝えなかった。

同じく国営テレビのNTVも簡単に報じただけだった。 

だが翌30日になって各国営テレビは、香港のデモ参加者は
キエフにいる者と同じく米国が画策した暴動の請負人だと報じている。 

ロシア24のアンカーは香港の民主化運動に関するコーナーで、
「中国メディアによると、デモの指導者たちは米情報機関から
特別な訓練を受けた」と述べた。

第1チャンネルのアンカーは同日遅く、香港からの報道を取り上げ、
米国が裏で民主化運動の糸を引いていることを示唆。

「中国政府は、デモ主催者たちは米国務省と関係があると話している」
と伝えた。ただ、中国政府はそのようには明確に述べていない。

(転載貼り付け終わり)


このように、今回の香港の学生を中心とした、民主化要請
(中国政府からの統治が強化されることへの反発)の
デモ活動は、もともとは、純粋に民主主義(デモクラシー
=本当は、「主義」ではなく「民主政体」)の実現を
要求する、理想主義の学生たちが始めたものです。

それは、北京の中国政府が、香港への統治をじわじわと
強めてくることを、日々、自分たちへ降りかかる出来事
として実感している香港人の、切実な自己防衛本能の
発露(はつろ)だと、私は思います。

中国政府が、香港の自分たちの領地に乗り込んできて、
「経済活動の自由」や、「個人の権利(人権)」を
法的に認められた近代都市国家(ネイション・ステイト)
の市民としての生活に、どんな規制や統制や、弾圧を
仕掛けようというのか、、そういう切迫した恐怖間です。

だから、香港の学生たちの民主化要求のデモンストレー
ションは、中国政府からの圧力に対する素朴な恐れや
怒りから始まった政治活動でした。


それでも、このデモがが起きて早々に、中国とタッグを
組んで、アメリカの世界支配に対抗するロシアの
国営放送が、「この学生デモは、アメリカが仕組んでいる」
と、すっぱ抜く、以上のような記事を掲載しました。

メディアを使って、中国と香港、両陣営への援護射撃
というか、警告をしたはずです。


1989年6月4日、北京の天安門広場で起きた
「天安門事件(六四天安門事件、第二次天安門事件)」
の際にも、中国政府が、民主化を要求する中国人学生や
市民のデモに対して、人民解放軍が武力で弾圧した
として、世界中の一大ニュースになりました。

しかしこのときに、天安門のデモ活動のリーダー
たちはみな、中国の一般市民からは「英雄」としての
称賛をうけていません。

その代わりに、中国国内では嫌われて、石を投げられて、
いまは、アメリカに移り住んでいると言われています。

中国人は、天安門事件を引き起こした指導者たちが、
実はアメリカ留学組で、特別な教育(訓練)を
受けた上で中国に送り返されていた、中国政府の
転覆を画策する特殊要員であったのだという真実を
知っているからです。

人民解放軍による、市民への大量虐殺があった
という報道は、米英の西側メディアが誇張して、
ねつ造して作り上げたものであったという検証が、
その後、アメリカ国内の大学研究機関によっても、
公表されています。

ここでも、デモに参加した学生や労働者たちに、
アメリカからの支援が行われていました。

実際、あの当時、現地にいて、北京の中心地から
郊外へ避難する車に乗っていたという私の知人の
話では、通行禁止の区域になっていた天安門広場へ
向けて、なぜか、コカ・コーラの搬入トラックだけが、
何台も何台も連なって走って行ったのだそうです。

その様子を、おかしいなあ、と思いながら見ていた
と言っていました。


こうした、食料の支給から、活動資金の支援に
至るまで、アメリカが援助をして、北京政府の
転覆を企てていたということです。

実際に流れた映像や報道も、かなり歪められており、
さんざん騒がれた大量虐殺も、実際にはなかった
というのが真実のようです。

この天安門事件の真実については、また別の機会に
取り上げたいと思います。


したがって今回は、中国の北京政府も、香港の純粋な
学生のデモ参加者も、途中で天安門事件のことを
思い出して、はっと気が付いたはずです。

アメリカからのおかしな干渉、介入の勢力が紛(まぎ)れ
込んでいるのではないか、と鋭く感づいて、それで、
さっと事態を鎮静化させました。


香港側と中国側、どちらが意識して協力し合うわけでも
なかったのですが、しかし双方が同じように、
「このまま扇動されて、事態を激化させてははいけない」
と、はっと気付いて、話し合いを始めました。

それが、今回のような平和裏の幕引きへとつながった
のではないかと思います。

アメリカの扇動要員が仕掛ける暴力的な工作に
乗せられて、流血事件や暴力闘争のように
混乱する前に、事態は収まりつつあります。

武力衝突が起きて、香港領土内に中国の人民解放軍が
出動するような事態にも起こりえます。

香港には、独自の軍隊がないため、イギリス軍が
撤退した後は、中国の人民解放軍の香港部隊が
駐留しています。

軍よる一般市民の鎮圧が始まると、アメリカ政府
の思う壺です。

中国は、香港を武力で抑圧して併合しようと
している、という世界への悪評を巻き起こす
きっかけになります。

実際は、今回の学生デモに対して、中国の
北京政府は、いっさい動こうとしませんでした。

デモを誘導したり、交通整理に当たっていたのは、
香港の地元の警察だけです。


中国政府が、世界的な批判にさらされること、
そして、香港内の混乱や闘争が長引くことによって、
大きくは、中国のよるアジアの覇権(はけん)を
て弱体化させたいアメリカにとって、国際戦略上の
利益になります。


香港という行政特区(自治領)は、もともと
イギリスの植民地であったものが、1997年に
中国政府に返還されました。

イギリスが、大英帝国として世界覇権を握っていた
19世紀(1800年代)、中国(当時は清王朝)
との「阿片(アヘン)戦争(1840-1842年)」で
勝利し、アジア貿易の重要拠点であった香港を、
中国から奪い取りました。

このとき、上海や広州、浙江省や福建省の港も、
イギリスが自由に使えるように、強制的に開港
させています。これが「南京条約(1842年)」です。

イギリスはもともと、中国産の陶磁器(チャイナ)
、お茶、絹などを大量に買いつけ、輸入していたため、
中国に対して輸入超過の貿易赤字抱えていました。

そこで、この貿易不均衡を覆(くつがえ)すために
始めたのが、インドの植民地産のアヘンを
香港を経由して中国に運び込んで、中国人に
密売するという策略でした。

これによって中国内にはアヘン中毒が蔓延し、
その密売で荒稼ぎをした資金で、茶でも陶器でも
何でも買い付けてイギリスに輸出するという、
不正な「三角貿易」で暴利をあげました。

だから中国、清朝政府が怒って、イギリスの
貿易船を襲って、アヘンの入った積荷を
海に投げ捨てた。これが有名な「アヘン戦争
(オピウム・ウォー、Opium War)」の始まりです。

このときの貿易利益の預金や、貿易決済で大もうけ
して、イギリス本国の銀行たちを追い抜いて急成長
したのが、「HSBC(香港上海銀行)」です。


「アヘン戦争」で永久割譲された香港も、20世紀後半
になって、イギリスのサッチャー首相(1925-2013)
と、中国の鄧小平(とうしょうへい、1904-1997年)
との間で、その返還が取り決められました。

このとき、鄧小平が掲げたのが「一国(家)二制度」
の原則です。これによって、香港は、中国領になっても、
それまでの、イギリスが持ち込んで育てた資本主義の
経済体制や、イギリス式(コモンロー、不文法)の
法制度、行政システム維持することが決められました。


そのために、中国領内ではあっても「特別行政区」
として、中国政府の干渉や中国の法律の支配を受けない、
「自治権」を与えられました。

そのため、中国本土ような、共産党政府による
社会主義体制とは異なる、「資本主義」の経済体制と
「(準)民主主義」の政治体制を維持しています。

あえて「(準)民主主義」と書いたのは、日本の
「国会」にあたる香港の議会(立法会)の議員は、
総勢70名のうち、半数こ35名までしか、
香港の一般市民による普通選挙の投票で決める
ことができない仕組みになっているからです。

残り半分の35名の議会議員(政治家)は、香港内の
例えば、金融業界や旅行業界、教育業界など、
あらゆる産業それぞれの業界団体から指名された
代表者たちが、その議席を占めるという仕組みです。

かつ、そうした代表者たちは、中国の北京政府
との強いコネクションを持っていることが、
暗黙の条件になっているのだと、香港人友人が
教えてくれました。


それから、今回の学生デモのきっかけになった、
国家の「首相」、日本の総理大臣に当たる
香港の「行政長官(チーフ・エグゼクティブ)」は、
香港市民による直接選挙では、選ぶことができない
システムなっています。

上記の半数の議員たちと同じように、香港の各業界や、
学会、政界、中国本土の議会である「全人代(全国人民
代表大会)」のなかから、数名から数十名ずつの
代表者が選出され寄り集まって、総勢800名で
構成する「選挙委員会」の中で、間接的に
投票が行われて選出される制度になっています。


しかも、その候補者は、あらかじめ中国政府から
立候補の認可を受けた人物である必要があります。

だから香港の政治政体は、職業や資金力にかかわらず、
一定年齢以上のすべての国民・市民に選挙権が
与えられるという、
「普通選挙(ユニバーサル・サフレイジ、Universal
suffrage)」の制度には、なっていません。

そのため、どうしても中国寄り、親中国の人物が、
いつも香港のトップ(行政長官)に選ばれます。

だから、理想主義に燃えるの学生や一般市民たちが、
「香港にも普通選挙を」と言って、民主化を要求する
デモを、これまでも日常的に繰り返してきました。


それでも、香港人の友人に言わせると、大部分の
香港人は、「エコノミック・アニマル(経済活動、
利益追求、お金儲け至上主義者、高度成長期の
日本人のことを揶揄して世界中で使われた表現)」
だから、政治よりもまず経済の実利を優先する
から、それほど、民主化のデモ活動には興味がないし、
政治のことも好きじゃないのだ、と言っていました。

香港の一般市民の政治意識は、私たち日本より
はるかに高いのですが、それでも、香港の大企業から
中小の事業家や商売を営む人々は、ほぼ全員が、
中国との取引に関わっています。

だから、中国政府の機嫌を損ねたり、共産党政府を
敵に回すような政治活動には、できるだけ関わり
たくないというのが、大分部の香港人の本音です。


「一国二制度」という香港と中国の関係は、
もともとは、香港の返還を決めた当時の国家主席、
鄧小平(とうしょうへい、1904-1997年)が、
香港よりも前に、台湾を、平和的に中国へ併合
しようとして提唱した言葉です。

台湾は、共産党と対立していた国民党の総裁、
蒋介石(1887-1975)が逃げ込んで、中国本土の
共産党政権と対峙していました。その台湾を
平和的に統一するための原理を、香港にも
応用したものです。


香港は、イギリスから中国へ移譲されるときも、この
「一国(家)二制度」として、現在の香港の体制を、
50年間(2047年まで)は維持することを約束しました。

香港人は、イギリスが統治した1842年から1997年
までの、155年間(1941~95年は日本が占領)、
ずっと英国式の教育制度で受けてきました。

それから、香港人の大部分は、1930年代の日中戦争
やインドネシアなどで起きた、華僑排斥(はいせき)の
弾圧や大量虐殺、1960年代の「文化大革命」の殺戮
や共産党支配から逃れてきた、難民のような華人
(外国籍の中国人)たちです。

だから香港人、もともと中国共産党政府などからの
弾圧や、民主主義政治、資本主義の自由な経済体制が
奪われることには、非常に敏感な国民(市民)です。

香港人は、政治意識も日本人よりもはるかに高く、
かつ、暴力や武力を用いた政治紛争を慎重に避ける
ことの重要さも、身をもって理解している人々です。


だから、今回、学生が予想以上に激化し、暴動の
ような感じになったとき、これはアメリカが
裏から何か仕掛けたか、と思いました。

扇動(扇動)要員が送り込まれて、意図的に
暴れさせて、事態をさらに悪化させようという
謀略が、またもアメリカによって仕掛けられた
のだろうと感じました。

実際、デモが過激化したとき、デモ参加者の
なかにはサクラがたくさんいたと言われています。

サクラたちは、お金をもらってデモ活動に
参加しているということが、ツイッターなどの
インターネットの通信サイトで暴露されていました。

デモに参加して、500香港ドル(約7000円)、
空き瓶などの物を投げたら1000香港ドル
(14000円)という相場だったそうです。


だから、香港の経営者層、事業化、資本家たちが
本気で怒ったはずです。

資金を提供していたであろうアメリカに、いい加減に
しろよ、と言って、事態の収拾にかかったのではないか
と推測します。

実際、今回の学生デモを主催した、香港大学の教授の
戴耀廷(たいようてい、1964- )も、学生運動のリーダー
たちも、「NED(全米民主主義基金、National Endowment
for Democracy)」からの資金を受け取っていると
言われています。


「NED(全米民主主義基金、National Endowment for
Democracy)」は、1983年に、アメリカのレーガン
大統領(1911-2004)が、世界の国々を「民主化」する
のをアメリカが支援するため、という口実で政治介入を
するために設立した、政治基金の支援組織です。

NEDは、簡単に言うと、CIA(米中央情報局)が
秘密裏にやっていた、アメリカ政府の言うことを
聞かない国の政府を転覆させるために、反政府勢力に
資金を渡すという策謀を、「民主化を助ける」
という大義名分のもとに表立ってやるための機関です。


天安門事件の頃から、中国の民主化運動をおおやけに
支援すると宣言してきた、日本のユニクロにあたる
「Giordano(ジョルダーノ)」という香港資本の
世界的なアパレルチェーンの創業者で、現在は
香港のメディア企業も保有するジミー・ライ
(黎智英、1948- )という人物がいます。

世界的にも著名な企業家、ジミー・ライ(黎智英)は、
このたびの香港の学生デモにも公に指示を表明して
いました。

イギリスの国営ニュース番組BBCからインタヴュー
に答えて、「このたびの民主化デモを実行している
学生たちは、大変素晴らしい!」と、答えていました。

ジミー・ライは、アメリカのCIAからの資金提供を受け、
その知名度を利用して、メディアなどで反中国、反北京
共産党政権の発言を繰り返している、と言われています。

最近では、ジミー・ライは、前のブッシュ政権の
国防副長官で、アメリカ政府内の凶暴な好戦勢力で
ある「ネオ・コン(ネオ・コンサバティヴ、新保守)」
の一人、ポール・ウォルフォウィッツ(Paul Wolfowitz、
1943-)とのつながりも、暴露されています。



実際は、香港人の企業家や資本家、企業経営者、
香港の大企業も中小の小売業者は、先述のように
ジミー・ライとは正反対で、誰も、このたびの学生の
民主化デモを支持していません。

最大のお得意様である中国との商売の妨げになるからです。
香港の商業活動は、中国なしでは成り立たなくなっています。

中国政府を刺激したり怒りをかって、商業取引などの
規制の強化を招いてしまうような、幼稚で無鉄砲な
政治活動はやめてほしい、と思っています。

だから、最後には、香港の暴力団を雇って、学生デモの
活動拠点から、テントなどの施設を力ずくで撤去させたり、
デモ反対の対立勢力を送り込んで、デモ活動が
これ以上が広がるのを抑え込もうとしていました。


同時に、北京の中国政府も、結局最後まで暴力や武力で
学生を強制退去させたり、拘束したりしませんでした。

習近平(しゅうきんぺい)国家主席(1953- )は、
アメリカの企みを分かった上で、香港の警察に
武力や暴力を絶対に用いないよう、徹底した指示を
出していたはずです。


中国の習近平国家主席が、慎重に、沈黙を保ったことは、
習近平の評判をあげる結果にもつながったと、
アメリカのウォール・ストリート・ジャーナル紙も
認める記事を掲載していました。


(転載貼り付け始め)

●「香港の抗議行動、中国の習主席への追い風にも」

ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 2014年10月6日
http://jp.wsj.com/news/articles/SB12645916890387823719904580197073293588324

香港の民主化運動が10日目に入る中で、スポットライトがかつてなく
北京政府を照らしている。

中国共産党に統制されている一握りのメディアの論説記事が抗議運動は
「非合法だ」と息巻いているのを除き、中国の最高指導者たちは沈黙を守っている。

何の表明もない中で、抗議運動は習近平国家主席に難問を突きつけるとみる
向きが少なくない。それは確かにそうだ。

だが、旧英国植民地の香港での出来事はまた、習氏にとって、ある重要な
意味で「恩恵」でもある。

(中 略)

それでは、何が習氏にとって利点になるのか?

まず最初に、香港の現在の混乱は、同氏が中国共産党や一般の人々に対し、
中国が「敵意ある外国勢力」に直面していると主張できる根拠になる。

外国政府が実際に支援を供与しているかはともかく、北京政府は、
抗議デモは中国の内政に干渉しようとする外部の勢力に奨励されている
と主張している。

中国内部では、抗議運動に関する情報は厳しく管理されており、こうした
メッセージは多くの人々の間に浸透している。

それは習氏がトップ就任以来培ってきた強迫観念を一層強め、中国の台頭を
封じ込めようとする主要大国に断固として対応する意思の強い指導者
という習氏のイメージを補強している。

(以後、略)

(転載貼り付け終わり)



最後に、香港の、学生ではない、大人たちの本音が
少しだけわかる記事がありましたので、抜粋して転載します。

香港は現在、720万人の人口を抱えています。
日本と同じように経済が成熟した先進地域であり、
少子化、高齢化も進んでいます。

だから、香港がここまでの経済発展を築き上げ、
政治的な自由を守り抜いてきたこれまで時代を
知る年配の香港人と、若い世代の香港人のあいだで、
意識にずれがあるのだ、と書かれています。



(転載貼り付け始め)

●「分断される香港社会、老世代は民主化運動に苦言」
By ANDREW BROWNE

ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 2014年10月6日
http://jp.wsj.com/news/articles/SB12645916890387823719904580197782398390108


【香港】英国人が香港にやって来る何年も前に、ルイス・ツァンさん(79)
の曽祖父は獅子山の陰に、壁を巡らせた一族の村を作った。

現在、この村の村長を務めるツァンさんに英国を嫌う理由はない。
ツァンさんは香港の持ち帰り専門店で30年にわたり英国人が好きな
「チャプスイ(八宝菜のような米国式広東料理)」を作り続けた。
英国のパスポートも持っているが、1997年に英国人が香港を去る時に
残念だとは思わなかった。

ツァンさんは、中国の支配の方が「はるかに民主的だ」と話す。

ある意味でツァンさんは正しい。香港の次期行政長官は、英国が
一度も容認しなかった普通選挙で選ばれるからだ。
だが、香港の民主派団体が「真の普通選挙」と考えるものとはほど遠い。

 英国が19世紀に占領した時に「不毛の地」と呼んだ香港は、
主に広東語を話す人々の膨大なエネルギーと創造力によって光り輝く
都市国家に変容を遂げた。

こうした過程を見てきた人々にとって、大勢の学生が街頭に集まり、
両手を挙げて平和的な手段で抗議活動を行っている光景は衝撃的で
あると同時に、懸念を禁じ得ない。デモが長引くにつれて、
強硬姿勢を強めている中国指導部と地元市民の忍耐力が試され、
惨事が相次ぎそうな気配が漂っている。

(中 略)

ツァンさんは、英国統治下でいくばくかの民主主義があったと
言うのは甘すぎる見方だと指摘する。伝説的ジャーナリストの
リチャード・ヒューズ氏は自著「Hong Kong: Borrowed Place
--Borrowed Time」の中で、1968年当時の香港について、
「民主主義という概念は皆無」と書いている。

香港は明らかに民主的ではなかった。この植民地時代の重荷
(英国が香港市民に参政権を与えなかったつけ)が今、
民主的な普通選挙を求めるいわゆる「雨傘革命」で
闘っている若い香港市民の肩にのしかかっている。

 中国政府が17年に約束している民主主義には大きな制約がある。

政府は、社会主義体制の枠組み中で資本主義が自由に飛び回る
ことが認められた「鳥かご経済」が実行された1970年代の
中国本土と似たようなものを想定しているようだ。

次期行政長官選挙には新中国派の指名委員会が事前に選んだ
候補者しか立候補できない。つまり「鳥かご」は小さいものとなる。

 しかし一人一票制が実現する。また、複数の候補者で
争われるため、候補者は有権者にアピールしなければならなくなる。
中国政府はこうしたことを根拠に「英国統治時代の選挙制度
より優れている」と主張している。

 学生たちが主張する西側の民主主義理念に賛同していた一部の
人々でさえも、現実に目を向けるよう忠告し、おかしなことに
中国政府の言い分をそのまま繰り返すようになっている。

彼らは現状を受け入れるしかないとし、共産党が考えを変えて
完全な民主化を認めることは決してないが、あなたが我慢すれば、
わずかな譲歩を引き出せる可能性があると語りかける。

 香港の多く、おそらく大部分の人々は不満ながら受け入れる
用意があるようだ。彼らにしてみれば、学生たちは正しい
かもしれないが、闘い方を間違えている。

学生たちは市民的不服従の運動で香港の交通をまひさせ、
通勤・通学を邪魔し、市民の生活を危うくしている。
また、広州や上海などの中国本土の都市が港湾運営業者および
金融センターとしての香港の伝統的な地位を奪いつつあることで、
本土との貿易中継地点としての香港の長期的な先行きに
対する信頼も揺らいでいる。

 民主化運動に懐疑的な中間層は、何よりも学生たちの行動が
鎮圧行動を招いて、中国政府がちらつかせているささやかな
果実さえも台無しにしかねないことを懸念している。 

 しかし、民主化運動の参加者は現実主義者ではなく理想主義者だ。
加えて大学生たちは、高校生が生まれてもいなかった英国統治時代
のことを覚えていない。

また、温情主義をうたった英国の植民地主義者が定めた基準で
香港の政治がどの程度進歩したか判断すべきという考えを容認
することもできない。英国の植民地支配は、大多数の市民の
支持ではなく、英国が国王への忠誠の見返りとしてナイトや
準男爵の位を授けた中国やユーラシアのエリート一族に
支えられていた。

(中 略)

しかし香港の未来は不透明だ。3日夜には繁華街の旺角
(モンゴック)で学生団体がデモに反対する人々と衝突し、
トウ小平氏が英国から香港を取り戻すために考案した
「一国二制度」が崩壊しつつあることが明らかになった。

 香港の若い世代は誰もが「二つの制度」が今後も別々の
ままでいることに不信感を抱いている。

 その上、「一国」という感覚も薄れつつある。香港人として
の強いアイデンティティーが形成されており、若者世代の間では、
自分は中国人であるよりまず香港人だという意識が広がっている。

中国本土に対する香港人の憎しみも強まっており、これが旺角の
街頭での衝突につながった。旺角は労働者階級が住む地区で、
本土から来た人々も大勢いる。その一部がデモに反対する陣営
に加わった。

学生たちは彼らに向かって「中国本土に帰れ」と叫んでいた。 

学生の抗議活動を本土の住民がどのように考えているかは
判断できないが、デモ隊は反中国かつ自己中心的で、中央政府に
盾突いて政治的権利の拡大を求めていると見なされており、
あまり共感は集めていない。 

今回の抗議活動では、香港社会が年齢や階級によって分裂
していることも浮き彫りになった。

学生たちは反社会的勢力が暴力を振るったことを非難した。
こうした勢力は香港の街頭であちこちで見かけられ、一部は
派手な入れ墨を入れたり、髪を染めたり、首に太いネックレスを
巻いていたりする。 

しかし多くは地元の小売店主や露天商だ。日焼けした体格の
良い中年男性たちは、ただでさえ本土旅行客の減少で減っている
収入が民主化デモでさらに落ち込んでいることに怒っている。

香港当局は世論の風潮が学生たちの翻意を促すこと期待して
いるかもしれない。ツァンさんはデモ隊に対して社会で広がって
いる不満の一部を示した。香港では働く自由も生活する自由も
あるのに「何を批判することがあるのか」と。

(転載貼り付け終わり)



香港人がこれまで歩んできた複雑な歴史が、
今の香港人と香港という、高度に効率化され
近代化された、金融と貿易の小さな都市国家を
作り上げています。

その香港は、すでにイギリスではなく中国の
領土のなかに委譲され、その自治権を維持しています。

アメリカが、中国の世界覇権を拡大する動きを
攻撃するために、香港のなかに「反中国」の勢力や
暴動闘争、武力衝突を埋め込もうと、目論んでいる
いることはよくわかります。

しかし今は、香港人も、中国の北京政府も、アメリカ
のそのような意図と策謀を、十分に理解しています。

だから、簡単には挑発には乗りませんでした。

今回の、香港を舞台にした、<アメリカvs.中国>の
アジアの覇権争いの騒動は、中国側がうまくかわして
収まりました。


もうひとつ重要なことは、副島先生が、最近の
世界情勢を見て、世界の「ヴァルカン半島化」が、
いま世界中で起こりつつあるのだと喝破(かっぱ)
されていた事態が、香港でも起きているのだという
事実です。

この世界の歴史的な変動が、東アジアの香港でも
噴出しているのだ、ということです。

「バルカン半島化」とは、「オスマン・トルコ帝国
の解体に伴う、南スラブ諸国が小さく独立する」
という歴史的な事例にもみられる「世界のひび割れ現象」
のことであると、副島先生が解説されています。

人類の歴史は、その時代ごとに世界に君臨する
「世界帝国(世界覇権国、超大国)」の勃興と
成長が約50~60年、成熟から衰退までの
約50~60年、合計でおよそ100~120年
の周期で盛衰を繰り返すのだ、というこれまでの
実際の歴史の法則(周期、リズム、サイクル)
があります。

この大きなその時代ごとの「世界帝国」の
栄枯盛衰の歴史的な時間枠のリズムを表現した
政治・歴史用語が、「ヘジモニック・サイクル
(覇権サイクル)」です。


この歴史的な周期の中で、帝国が衰退、崩壊する
ときには、必ず、その周辺諸国や世界で、小国の
分離独立の動きが活発化する、という、これも
これまでの歴史の史実に基づいた法則があります。

現代の世界帝国、アメリカも、1914年に
当時の大英帝国、イギリスを蹴落として
世界覇権を握り、世界帝国に君臨してから
建国から、今年でちょうど100年です。

だから、アメリカは、歴史の事象に照らして
考えると、帝国としての衰退期の最後の10~
20年という最終章を迎えていると言うことです。
迎えている


だから、現在のスコットランドやスペインの
カタルーニャ州、沖縄、そしてこのたびの
香港と、小国の人々は、本能的に、アメリカや
中国のような大国どおしの、巨大な国際紛争に
巻き込まれて、ひどい目にあうことから逃れて、
自分たちだけで、自治国家としてやっていこう
としているのです。

私は、日本の北端の島国、北海道の出身なので、
その感覚が肌でわかります。


今回に限らず、香港でこのような、中国が少し
ずつ影響力(つまり、帝国の覇権)を拡大させ
ようとしていることを、地元の香港人たちは、
毎日、目の前の出来事として経験し続けています。

だから、そうした中国からの影響を逃れたいという、
本能的な防衛のかまえが、中国への「民主化要求デモ」
という動きなのだと、私は考えます。

今の世界には、急激な勢いで勃興する中国のような
新興大国が次の世界覇権を狙っています。

いっぽうで、急速に衰退するアメリカやイギリス、
ヨーロッパのような成熟し終わった先進大国が、
崩壊を続けています。

こうした世界レベルの大国の周辺諸国が、
大国からの影響力拡大の圧力を逃れようとする
分離独立の動きが、世界中で起きています。

これが、「世界のひび割れ現象」の大きな潮流
なのだと思います。

この流れを利用した、アメリカからの中国への
猛攻撃が、これからも続いて行くでしょう。

日本は、その間隙(かんげき)に滑り落ちないよう、
細心の注意を払う必要があります。

ネオネクスト・エクスプレス Vol.92より転載しました。

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