忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

日本人の「理屈」「論理」嫌い
「隠居爺の世迷言」記事で、かなり論理的な、いわば社会学的論文なので、こちらの「政治・社会」ブログに載せる。
ただし、「日本人は理屈が分からない」のではなく、「理屈が嫌い、面倒くさい」というのが大半だろう。中には私のように理屈好きな人間というか、「不合理さが嫌い」という人間も当然かなりいるとは思う。単に、「日本人は付和雷同的である」だけで、また、「議論は人間関係を悪化させる」ことが常態なだけだろう。(議論での敗北は、日本では敗者の精神的な存在否定になる。論争や対立が日常茶飯事である欧米と異なり、日本は「和の国」であるだけに、「他人から否定されること」に日本人は耐えられない。いじめ自殺も根本原因はそこにある。また、図々しい人間が社会的強者になる。)
私も身近な人間とは政治的な話は絶対にしない。それこそが、日本社会の不治の病かもしれない。その面倒くさがりが新コロ問題のようになると、「日本人は愚かそのものである」ということにもなるわけだ。物事の重要性の判断感覚の欠如と言ってもいい。
なお、「理屈」という言葉にも問題があり、「屈」という漢字が強いマイナスイメージを持っているのである。「論理」の「論」も日本人には抵抗感があるだろう。

(以下引用)

理屈の分からない日本人


NEW!


テーマ:

 表題は「論理を理解できない日本人」にしようかと思ったのですが、見た瞬間逃げていく人がいそうなので、少し柔らかくしたつもりです。まあ、理屈も論理も同じですね。試しに理屈を辞書で引いてみると、「物事の筋道。道理。」(デジタル大辞泉)となっています。では論理はどうなっているかというと、「考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。」だそうです。

 論理というのは多分外来語なのでしょうね。説明もよそゆきになっていますが、実際には同じ意味でしょう。でも、理屈も論理もそれだけでは、分かったような、分からないような気がします。もう少し具体的に考えてみましょう。

 ここに蜜柑が2個あるとします。全く言葉の通じない人に、蜜柑が1個、もう1個と示して、合計2個と教えます。その次に、林檎を2個持ってきます。同様に林檎が1個、もう1個と示して、そのあとで質問します。合計何個ですか?

 それで分からなければ正解を教えた上で、今度は柿を2個持ってきます。同様にして合計何個?と質問したら、大体の人は正解できるはずです。

 なぜ人は正解できるのでしょうか。その答えはおそらく、人間はそれが分かるようにできているからということなのだと思います。言葉などもそうですよね。言葉には日本語、英語、中国語、フランス語、ロシア語などいろいろありますが、おそらく世界中のすべての人が言葉を話すはずです。その理由も「人間がそのようにできているから」というのが一番ありそうな答えだと思います。

 さて、次のような場面を想定します。上の柿の質問で、なぜか3個と間違った答えをする人が現れたとします。しかも、堂々と3個だと言い張ります。周りの人はどうするでしょうか。人間というのは面白いもので、3個だと言い張る人が現れると、同調して3個と答える人が1人ならず現れます。

 つまり、理屈や論理というのはそれほど強いものではないということですね。周囲の状況によって簡単に変わってしまうようです。なぜでしょうか。おそらくそれは、理屈には時間が必要であるからではないかと思います。

 例えば地震の後に津波が来そうだという状況で、海辺にいる人が「津波が来るぞ、みんな逃げろ!!」と声を発したとします。そうすると、大抵の人は理屈なしに逃げ出すのが普通です。いつ津波が来るのか、どのくらいの大きさのが来るのか、本当に来るのかなどということは二の次、三の次になります。時間のない時にはそんなことにこだわっていられません。理屈にはそのようなまどろっこしいところがあります。

 では、世の中に理屈は不要なのかというと、そうではありません。私たちの身の回りにある道具でも、食べ物でも、衣服でも、建物でも、ほとんどのものは理屈で生み出され、改良を重ねてきたものです。理屈なしに優れた製品が生まれることはほとんどありません。

 なんだか七面倒なことを書いていますが、私の頭にあるのは、今回の新型コロナ騒動、そしてワクチン接種に関してです。2020年から続いてきた騒動が、2024年も終わろうとしている現在に至っても、日本ではまだ収束していません。新型コロナは収束しましたが、騒動は収束していないのです。

 日本政府や製薬会社、一部の学者や医者は確信犯です。嘘を承知で「新型コロナ感染症を予防する必要がある」「新型コロナ用ワクチンは効果がある」と触れ回り、現在でもそれを撤回しようとしません。

 さらには日本人、つまり一般の日本国民にも政府や製薬会社や医者のつく嘘を鵜呑みにしている人がたくさんいます。自分の命にも関わる重大なことなのですが考えようとしません。なぜでしょうか。

 このことについて私自身は、これまでも散々問題にしてきたことなのですが、まだ正解にたどり着いていないような気がしています。なぜ答えが見つからないかというと、テーマになっていることがあまりにも簡単な問題だからです。すなわち、見ればすぐに答えが出るようなことだからです。

 新型コロナ感染症で亡くなった人というのは稀にしかいません。もともと病弱で、いつ死んでもおかしくないような老人や病人が新型コロナで亡くなる程度です。その反対に、新型コロナ用ワクチンで亡くなった人は、おそらく、30万人も40万人もいるのではないかと思います。新型コロナ感染症では絶対に亡くならないような子供までが、ワクチン接種では死んでいます。後遺症が残った人も大勢いるでしょう。皆さんの回りにもいるはずです。

 なぜ日本人の多くはそのような簡単なことが分からないのでしょうか。簡単すぎるくらい簡単なことですよね。ちょっと理屈で考えると、すぐに分かるようなことです。ほぼ5年前から新型コロナ騒動に接して観察してきた私としては、日本人がとっても愚かに見えます。

 日本人は愚かであることは間違いないのですが、しかし、一面では立派な才能も持っています。エンジンで走る車を作らせたら世界一で、他の国が逆立ちして頑張っても日本車に太刀打ちできません。高度に知的な作業を立派にこなして世界一の座を譲らないのが日本人です。それが、なぜ新型コロナ騒動ではここまでみっともない醜態、軽薄さをさらしているのでしょうか。

 私はその理由が、「日本人は理屈が分からない」「日本人は論理を理解できない」ということではないかと思うわけです。新型コロナ感染症がとっても軽い感染症であることは簡単に分かることでした。実際に新型コロナ感染症で亡くなった人がどれくらいいるかを調べるとすぐに分かりました。インフルエンザよりも無害でした。

 また、新型コロナ用ワクチンを接種することがどのくらい危険なことであることかについても、その答えを知るのは簡単なことでした。厚生労働省が示しているワクチン接種後の死者や後遺症者の数を調べるとすぐに分かることだったからです。これは、理屈や論理と呼ぶのが気の引けるくらい簡単な問題なのですが、どうも日本人にはそれが分からないようなのです。本気で分からないようなのですよね。

 分からないのは、一般の日本人ばかりではありません。医者や学者でも分からない人は全く分かっていないようです。こんな簡単なことが分からないはずはないと感じるのですが、分かっていない人が専門家でもたくさんいるようです。

 金や地位を得るために確信犯的に嘘をついた人もいるのですが、そればかりではなく、理屈や論理が苦手で、理解できない低能者が専門家の中にもたくさんいるように思えます。政治家も同様です。よく分かりませんが、河野太郎などはそっちの方かもしれません。岸田文雄、武見敬三なども低能者でしょうね。理屈や論理に関しては最低限のことも理解不能なのです。

 そこまで理屈や論理を理解できない人が、日本には一定数存在しており、それゆえ日本人の80%がワクチンを接種するなどという愚行が行われました。現在に至るまで製薬会社が安全を保証していないワクチンです。そんなものをよく打つ気になりますよね。実際問題としても、過去に例を見ない史上最大の死亡一時金が支払われることになりました。

 悪いのは何といっても、ワクチン接種を推進した国(政治家・官僚)になります。そして、推進派の学者、医師会、医者、その他専門家が共犯になります。彼らがフラットな情報を国民に流せば、そんなに多くの人がワクチン接種などせず、被害を受けることはなかったはずです。

 なぜ日本人は簡単な理屈も分からないのでしょうか。それはおそらく、日本人が理屈や論理を嫌うせいではないかと思います。「理屈を言うな!」というセリフはよく聞かれるような気がします。日本にはその手のセリフが多いのではないでしょうか。「体で覚えろ」「習うより慣れろ」「考える暇があったら動け」「いいから黙ってやれ」「行動は言葉に勝る」「背中を見て覚えろ」「下手な考え休むに似たり」などです。

 これは何を示しているのでしょうか。私はひょっとすると、日本は職人の国ではないかと思います。社会全体が職人が生きるための国になっているような気がします。職人って、たくさんいますよね。大工、佐官、庭師、瓦、木工、板金、寿司、板前などなど、数えきれないくらいたくさんいます。

 そして、彼らにとっての鉄則が「体で覚えろ」「習うより慣れろ」ではないでしょうか。どれほど精緻な理屈を並べることができるようになっても、釘の頭ひとつ打てないのであれば、その人間は職人としては失格です。

 そして、日本人は職人が好きなのですよね。"職人芸"などと呼んでその技術の高さを賞賛します。私にしたところで、何に限らず、たとえ事務仕事であっても職人芸を発揮できる人は好きですし、尊敬したくもなります。女の人もそうですよね。茶道、花道、書道、踊り、琴、三味線などは芸事(げいごと)と呼ばれて尊重されます。職人の世界です。

 昔の武士にとっては大きなウエートを占めた剣道、弓道、柔道なども職人の世界でしょう。体力も必要ですが、それ以上に技術の世界です。

 なるほど日本は、車づくりが得意なはずです。世界に類を見ない職人の国が日本なのですから当然と言えば当然のことなのかもしれません。そのように考えると、今後の日本の進むべき方向も見えてくるように思います。"技術を磨き、技術を活かす"ですね。それ以外にないでしょう。

 ただし、理屈が分からないところは改めなくてはなりません。鉋(カンナ)をかけるのが天才的に上手であったとしても、ワクチンの害悪が判らないようでは話になりません。職人にとって理屈は不要ですが、生き延びていくためにはある程度の理屈が必要になります。どれだけ腕のいい職人であっても、あっちで騙され、こっちで騙されでは生きていくことができません。


 


 職人であっても、そのくらいの理屈は分かるでしょう。日本を、日本人を騙そうとして狙っている国はアメリカ以外にもあります。しかも、日本人の中にだってアメリカなどの手先になっている人はいます。職人(日本人)の皆さん、大丈夫でしょうか。せっかくいい腕を持っているのですから滅びるのはもったいないですよね。


拍手

PR

コメント

コメントを書く