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徽宗皇帝のブログ

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日本人の無意識的哲学「空」
「岩下俊三のブログ」より転載。
かつての日本の権力構造(明治から昭和中期までの天皇制)を丸山真男は「中空構造」だ、と喝破したと記憶しているが、実は日本人そのものが「空」である、という、なかなか面白い日本人論である。
空だから何でも簡単に許容し、簡単に捨て去る。まさに融通無碍で、アホと言えばアホである。しかし、大賢は大愚に似たり、である。日本人は権力に逆らうことの愚かしさを知っていて(まあ、単に臆病なだけだろうがw)権力者を勝手に遊ばせているだけだ、という見方もできる。賢明さから言えば、どちらが賢明かは分からない。すなわち、四畳半で茶をすすり、「いい月だねえ」と呟いているほうが、豪壮な邸宅で美女を周囲に侍らせ、酒池肉林の生活をして痛風や糖尿病になるよりもマシかもしれないのである。(日本の北の独裁国家の元首の足の疾患はそのせいか?)
権力による害悪に対して、あまりに弱腰、無責任すぎるという批判はあるだろうが、まずは我が身と我が家族を守る、という姿勢そのものは間違いではない。腐った大木は放っておいてもいずれ自ら倒れるものだ。我々庶民は、常に「弱者を守る」ことだけを考えれば間違いはない。
いずれにせよ、日本人の愚かさを嘆く国士風ブログは数多いし、私のブログもその一つかもしれないが、愚かなのは案外こっち側かもしれない、と、一歩立ち止まらせて考えさせてくれる好文章ではないだろうか。




(以下引用)*前半略。


つねに25%は別に煽らなくても時の権力の僕(しもべ)としてついてくる。また別の25%ぐらいの反対者も常におり、ここでいう「大衆」とは残りの50%のことである。

この厄介な大衆こそが簡単に流されやすくどんな異常なこともどんな残酷なこともできる洗脳対象者である。かれらこそが場合によって戦争に「賛成」し場合によって戦争に「反対」する融通無碍まさに日本人そのものであるのだ。

そして

残念なことに彼らこそ日本の「コア」ともいえるものなのである。中心的な極めて重要な彼らは日常のなかで愚鈍な毎日をつつがなく送っており、それは日本人の実態であるけれどじつは中身が「空」なのである。、、、と僕は思う。じつは「空」だからこそ極端に右に左にもふれず、かといって進取の気鋭はないけれど外国の異種なるものをあっさり受け入れてしまうのだろうと思われる。

だから

「空」とは日本人の知恵であり日本人独自の仏教観色即是「空」の智慧であるといってもいい。

西洋のようにAとBが闘い、あるいは「革命」によってCが生まれるのではなく、初めからCがありしかもその実態は「空」でありそのことを日本人はよく認識しているのである。

この特異な精神構造は万世一系の天皇というバーチャルな存在を生み、曖昧模糊としていながらしっかりとした「質量」を保ち四季折々の儚い「文化」をはぐくんできたのであった。

したがって

どちらともいえない日本化した民主主義(注:民主主義化した日本ではない)は承詔必謹25%で議会の三分の二を占める摩訶不思議を持ちながら大衆を含めた残り75%は決して承詔必謹にならない「文化」をもっているのである。

同じ枢軸国でもしっかり過去を見つめてから前進しようとするドイツのありように対して、直視もしないが無視もしない「あいまいな日本のわたし」はゲリラになど絶対にならずあっさり鬼畜米英から大好き米英になれるのである。

融通無碍これは無意識の日本人の「哲学」であろう。

ゆえに

今しばらくは「なんちゃってナチス政権」が続くであろうが、強固な意思があるわけでナシ、一時的に国民は大変だという時期を少し我慢すれば、すぐに普通になると思っている。

なんせ

あまりにも「民主政権」が強烈にひどすぎて揺り戻しが強かったため、すぐに復元しないだけなのだろう。




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