忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

日本人は「付和雷同」をやめ、「不和雷動」主義で行くべきか
これも「混沌堂主人雑記」所載の「rakitarouの気ままな日常」という、あまり食指をそそられない名前のブログの記事だが、内容は一流の社会・政治評論である。記事全体が有益だが、長すぎるのでその一部だけ転載。(混沌堂主人は私とは天皇という存在への姿勢が正反対で、天皇への憎悪が異常だと思うが、そのネット渉猟能力の高さには敬服している。)
下の記事は内容の良いことは言うまでもないが、「バンドワゴニング」という聞きなれない名前の多用はどうかなあ、と思う。まあ、これから流行語になるかもしれないし、それを狙っているのかもしれないが、日本語には「付和雷同」という分かりやすい言葉がある。その悪い面がこれまでの日本の不幸の主な原因なら、これからは「不和雷動」つまり、「和(恭順)せず、雷のように動く」のもいいだろう。ちなみに「バンドワゴン」はたぶん、お祭りの楽隊馬車のことで、バンドワゴニングは「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」主義だろう。つまり、阿呆主義である。(贅言すれば、フレッド・アステア主演の「バンドワゴン」という有名なミュージカル映画がある。優れた喜劇映画でもある。)

(以下引
V.  バランシングとバンドワゴニング
 
ある国が大きな勢力を作り出してくると、その周囲の国はいくつかの国同士協調して強い国とのバランスを図る「バランシング」か、強い国への依存と従属による「バンドワゴニング」により安定を図るかの選択を迫られます。多くの場合、その両方をどっちつかずでその場その場で選択しながら様子を見てゆく場合が多いと説明されます。大国であってもトルコやサウジアラビアがアラブ側や西欧側にどっちつかずでバランシングを取っていたり、東南アジアの国々が日本を巻き込んで協調しながら中国と対峙しつつも貿易などでは中国と友好を保とうとすることに表れます。
日本は独立した文明であり、他の文明圏のために自国を犠牲にして介入しようという動機を持ちません。維新から大東亜戦争にかけては、西欧列強のアジア諸国への侵略・植民地化に危機感を持って、日本も西欧列強の一端に加わろうとしてアジアへの侵略(結果的に領土的植民地主義から経済的植民地主義へのスイッチとなった)をしましたが、失敗した秀吉の朝鮮侵攻以外では稀有の出来事であったと言えます。日本の国内においては、常に時の権力者に従属すれば安心という「バンドワゴニング」が行動の原動力になってきました。「寄らば大樹の陰」であり、そこには確固とした思想などありません。そして大樹の陰に寄らない「はぐれ者」を厳しく批判します。ポリコレとされる規範への対応、コロナに対する対応、ワクチンへの考え方、全て「バンドワゴニング」であり、理論的支柱などなくメディア含めて「大樹に寄らないはぐれ者」を批判しているだけです。そしてトランプ政権が復活することにより、日本のメディアは今までの「バンドワゴニング」の危機が生じてガタガタ震えながら右往左往しているのが現状なのです。

拍手

PR

コメント

コメントを書く