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徽宗皇帝のブログ

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明治31年の「預言」
野田が国会で解散宣言をし、選挙が来月16日と決定したようだ。
安倍と野田の八百長討論にはうんざりしたが、決まった以上は来月の選挙に向けて、これからいろいろと政治イヴェントがあるだろう。その中には小沢一郎へのネガキャンも当然出てくるはずだ。とは言っても、私は今のところ小沢絶対支持でもないのだが。
そういう生臭い話はこれからうんざりするほど出てくるだろうから、今日はまったく別の、ある意味では現世超越的、ある意味では現実そのものに密着した話である。
現世超越的と言うのは、話が宗教、それもたいていはインチキと相場が決まっている新興宗教にも関わっているからだ。
しかし、内容が非常に示唆的であることは保証する。いつも自分の頭は中学生レベルだと言っている私が保証してもあまり意味はないが。

「2012年の黙示録」というサイトから転載。
引用記事は大本教の開祖出口ナオの「筆先」(憑依による自動書記)を出口王仁三郎が整理して書いたもののようだ。書かれたのは明治時代だが、平成の今の日本や今の世界を予見したかのような内容である。癖のある文体だが、今の人でも意味はほとんど分かるだろう。神がかったところは割り引いて読んでも、現代批判として十分に納得できるのではないか。

「智恵と学とで出来た今の世の人民」

とは痛烈な批判である。知恵も学もある人民が、この畜生の世の中、「頭に角が生えたり、尻に尾が出来たり、無暗に鼻ばかり高い化け物の覇張(はば)る、暗黒の世」を作っているわけだ。


「一も金銀(かね)、二も金銀と申して、金銀でなけら世が治まらん、人民は命が保てんように取り違いいたしたり、人の国であろうが、人の物であろうが、すきさえありたら奪ることを考えたり、学さえありたら、世界は自由自在になるように思うて、畜生の国の学に深はまりいたしたり、女と見れば何人でも手に掛け、妾や足かけをたくさんに抱えて、開けた人民のやり方と考えたり、恥も畏れも知らぬばかりか、他人はどんな難儀をいたしておりても、見て見んふりをいたして、我が身さえ善ければよいと申して、日本魂(やまとだましい)の種を外国に引き抜かれてしもうて」

も、その通り、としか言えない。むしろ平成の今の時代にこそ「時代批判者」出口ナオは必要だったのではないか。


「病神がそこら一面に覇をきかして、人民を残らず苦しめようと企みて、人民のすきをねらい詰めておりても、神にすがりて助かることも知らずに、外国から渡りて来た悪神の教えた、毒にはなっても薬にはならぬヤクザものに、たくさんの金を出して、長生きのできる身体を、ワヤにしられておりても、夢にも悟らん人民ばかりで」


のあたりは、放射能に汚染され、毒物ワクチンや遺伝子組換え食品で「長生きのできる身体を、ワヤにしられて」いても、その事を「夢にも悟らん」多くの人々に聞かせたいものである。


「外国は獣の霊魂になりてあるから、悪が強いから、心からの誠ということがなきようになりて、人の国まで、弱いと見たら無理に奪ってしもうて、奪られた国の人民は、あるにあられん目に遭わされても、何も言うことはできず、同じ神の子でありながら、あまり非道いやり方で、畜生よりもモ一つ惨いから、神が今度は出て、世界の苦しむ人民を助けて、世界中を桝掛け引きならすのであるぞよ。

  外国人はだんだん世が迫りて来て、食い物に困るようになりたら、日本の人民を餌食にいたしてでも、とことんやり抜くという深い仕組みをいたして、日本の国をとろうといたして、長らくの仕組みをしておるから、日本の人民はよほどしっかりと腹帯を締めておらんと、末代取り戻しのならんことが出来(しゅったい)して」

とは、今のTPPその他の日本略奪計画を予言しているかのようだ。
全部書きぬいても仕方が無いので、これくらいにする。無学な老婆でも、「日本魂」を失った日本がどうなるかが直観的に分かっていたのだろう。
(私は「筆先」という自動書記現象は、書いている当人の無意識の発露だとしか思っていないのである。だが、だからと言って、それが無価値だと言うのではない。)
蛇足だが、「預言」は神などから「預かった言葉」で、「予言」は未来について確信的に語ることである。出口ナオのものは「予言」的でもあるが、当人の意識では「預言」だろう。




(以下引用)


■ 明治31年旧5月5日 (収録率90%)

  今の世界の人民は、服装(みなり)ばかりを立派に飾りて、上から見れば、結構な人民で、神も適わんように見えるなれど、世の元を創造(こしら)えた神の眼から見れば、全部(さっぱり)四ツ足の守護となりて居るから、頭に角が生えたり、尻に尾が出来たり、無暗に鼻ばかり高い化け物の覇張(はば)る、暗黒の世に成りて居るぞよ。虎や狼は我の食べ物さえありたら、まことに温順(おとな)しいなれど、人民は虎狼よりも悪が強いから、欲にきりがないから、なんぼ物がありても、満足(たんのう)という事をいたさん、残酷(むご)い精神(こころ)になりてしもうて、鬼か大蛇の精神になりて、人の国を奪ったり、人の物を無理しても強奪(ひった)くりたがる、悪道な世になりておるぞよ。

 もうこれからは改心をいたさんと、艮の金神が現れると、厳しうなるから、今までのような畜生のやり方は、いつまでもさしてはおかんぞよ。善し悪しの懲戒(みせしめ)は、覿面(てきめん)にいたすぞよ。今まで好きすっぽう、し放題の、利己主義(われよし)の人民は、辛くなるぞよ。速く改心いたさんと、大地の上に置いてもらえん事に、変わりて来るから、神がくどう気を付けるなれど、智恵と学とで出来た今の世の人民の耳には、入りかけがいたさんぞよ。

  一度に立て替えをいたせば、世界に大変な人減りがいたすから、日時を延ばして、一人なりとも余計に改心さして、助けてやりたいと思えども、どのように申しても、今の人民は聞き入れんから、世界に何事が出来いたしても、神はもう高座から見物いたすから、神を恨んでくださるなよ。世界の神々様、守護神殿、人民に気を付けるぞよ。

  無間の鐘を打ち鳴らして、昔の神が世界の人民に知らせども、暗黒の世であるから、神のまことの教えは耳に入らず、外国の獣の真似をいたして、牛馬の肉を喰ったり、洋服を着て神の前をはばからず彷徨(うろつ)いたり、一も金銀(かね)、二も金銀と申して、金銀でなけら世が治まらん、人民は命が保てんように取り違いいたしたり、人の国であろうが、人の物であろうが、すきさえありたら奪ることを考えたり、学さえありたら、世界は自由自在になるように思うて、畜生の国の学に深はまりいたしたり、女と見れば何人でも手に掛け、妾や足かけをたくさんに抱えて、開けた人民のやり方と考えたり、恥も畏れも知らぬばかりか、他人はどんな難儀をいたしておりても、見て見んふりをいたして、我が身さえ善ければよいと申して、日本魂(やまとだましい)の種を外国に引き抜かれてしもうて、徴兵を免れようとして、神や仏事に願をかける人民、多数出来て、国の事ども一つも思わず、外国に国を奪られても、別に何とも思わず、心配もいたさぬ腰抜け人民ばかりで、この先はどうして世が立ちて行くと思うているか、判らんと申しても余りであるぞ。

  病神がそこら一面に覇をきかして、人民を残らず苦しめようと企みて、人民のすきをねらい詰めておりても、神にすがりて助かることも知らずに、外国から渡りて来た悪神の教えた、毒にはなっても薬にはならぬヤクザものに、たくさんの金を出して、長生きのできる身体を、ワヤにしられておりても、夢にも悟らん人民ばかりで、日本魂の人民は指で数えるほどよりかないとこまで、世が曇りておりても、どうもこうもよういたさんようになりておるくせに、弱肉強食(つよいものがち)の世のやり方をいたして、「これよりほかに結構な世のもちかたはない」と申しておるぞよ。

  日本の国の上に立ちておりて、今までけっこうに暮らしておりて、天皇のご恩ということを知らずに、口先ばかり立派に申しておりても、「さあ今」というところになりたら、元から利己主義(われよし)の守護神であるから、チリチリバラバラに逃げてしまうものばかりが出てくるぞよ。それで神が永らく苦労いたして、一人なりと人民を改心さして、日本魂を拵えて、世の立替の間に合わしたいのであれど、今の日本の人民は、サッパリ四つ足の精神になりておるから、何ほど結構な事を申して知らしてやりても、今の今まで改心をよういたさんように、曇りきりてしもうたから、神もモウ声をあげて、手を切らなしようがないが、これだけ神が気を付けるのに聞かずにおいて、あとで不足は申してくださるなよ。

 外国は獣の霊魂になりてあるから、悪が強いから、心からの誠ということがなきようになりて、人の国まで、弱いと見たら無理に奪ってしもうて、奪られた国の人民は、あるにあられん目に遭わされても、何も言うことはできず、同じ神の子でありながら、あまり非道いやり方で、畜生よりもモ一つ惨いから、神が今度は出て、世界の苦しむ人民を助けて、世界中を桝掛け引きならすのであるぞよ。

  外国人はだんだん世が迫りて来て、食い物に困るようになりたら、日本の人民を餌食にいたしてでも、とことんやり抜くという深い仕組みをいたして、日本の国をとろうといたして、長らくの仕組みをしておるから、日本の人民はよほどしっかりと腹帯を締めておらんと、末代取り戻しのならんことが出来(しゅったい)して、天地の神々様へ申し訳のなきことになるから、艮の金神が三千年余り世に落ちておりて、陰から世界を潰さんように辛い行をいたして、経綸(しぐみ)をいたしたので、モウ水も漏らさんようにいたしてあるなれど、神はそのままでは何もできんから、因縁のある身魂を引き寄せて、憑かりてこの世の守護をいたすのであるから、なかなか大事業であれど、時節まいりて、変性男子と変性女子との身魂がそろうて守護がありだしたから、いろは四十八文字の霊魂を、世界の大本綾部の竜宮館にボツボツと引き寄せて、神がそれぞれ御用を申しつけるから、素直に聞いてくださる人民がそろうたら、三千年余りての仕組みが、一度になりて来て、一度に開く梅の花、万古末代萎(しお)れぬ花が咲いて、三千世界は勇んで暮らす神国になるぞよ。

  日本の人民の天からの御用は、三千世界を治め、神の王の手足となりて、我が身を捨てて、神皇の御用をいたさなならぬ国であるから、外国には従われぬ尊い国であるのに、今の日本の人民は、皆大きな取り違いを致しておるぞよ。



(徽宗補注)「2012年の黙示録」の管理人「縄文人(なわふみひと)」氏による解説の一部を下に引用しておく。


「筆先」の述作は、昼夜を問わず行なわれ、その際には、ナオは水行をして机に向かい、寒中でもいっさい火気を近づけなかった。「筆先」は1893年(明治26年)から1918年(大正7年)にいたる24年間にわたって書かれたが、明治30年代、とくに日露戦争前後の1904~1905年の間に集中的に述作された。その分量は、半紙20枚綴りに換算して約1万冊に達するという。

  王仁三郎は、教内でただひとり、神から「筆先」に手を加えて整序し漢字まじりの普通の文体に改めることを許されたとして、ナオの晩年の1917年(大正6年)から、「筆先」を『大本神諭』と題して発表した。『大本神諭』は膨大な「筆先」から王仁三郎が選んで、文意を整え文体を改めて公表した文章であり、「表の神諭」「神諭」とも呼ばれる。他に王仁三郎が神示を受けて書いたとする神諭があって、「裏の神諭」「伊都能売神諭」と呼ばれている。

  1920年(大正9年)8月、当局は前月末刊行されたばかりの『大本神諭』火の巻を、「不敬」と過激思想を理由に発売を禁止し押収した。この発禁処分につづいて、翌1921年(大正10年)2月、大本教は第一次の弾圧を受けた。






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