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徽宗皇帝のブログ

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暴力論(2)
まあ、半分は雑談みたいな小論だから、気楽な話から始めるが、この前、「赤い風車」という昔の映画を見ていたら、中に登場する酒場(ムーランルージュ)の歌い手の女が、軍服を着た若い兵士に一目惚れする、という挿話があって、「そう言えば、『高慢と偏見』でも、主人公の妹たちが兵士たちにキャアキャア言う描写があったなあ」と思い出した。今もそうかどうかはともかく、昔は「軍服」にえらい人気があったと考えていい。で、どうでもいいことを分析するのが私の趣味なので、そこから、「なぜ女性(特に若い女性)は軍服が好きか」と考えると、当然、それは軍服が力の象徴であるからだろう。いや、男でも軍服が好きな奴は多いだろうが、軍服には性的魅力(これは男の場合、力の有無で決まる)があるから女性が好むのだと思う。と言うのは、「高慢と偏見」の時代には、兵士になどなるのはロクな人間ではなかったからだ。博打で財産をすってしまった奴とか、罪を犯して家にいられなくなった若者などが軍隊に飛び込んだり、浮浪者が強引に徴兵されたのが当時の兵士である。つまり、カネがあるから女性に人気があったのではなく、「軍服」に惚れたのだ、と思うわけである。
で、軍服とは「力の象徴」である、というわけだが、それも「暴力性」の象徴だ。突然に人の死をもたらすものこそ暴力の最たるものだろうし、武器を手にし、その気になればいつでも人を殺せるのは、昔は兵士以外にはいない。だから女性は兵士に惚れるのであるwww
そこで、では軍隊の対極であるのは何か、と言ったら、「憲法9条」だろう、と話が飛躍する。しかし、憲法9条には「性的魅力がない」と思うわけである。理知的に支持者を得ることはできても、「無意識の中から惹き付ける」魅力が無いことを「性的魅力がない」とここでは言っている。自衛隊員を募集するのにミニスカートの軍服からパンツを見せている若い娘の萌え絵を使えても、憲法9条にはその手は使えない、というわけだ。

2)憲法9条と暴力

憲法9条は言うまでもなく「我が国は絶対に戦争をしません」という宣言であり、その後、「これは『自衛のための戦争以外は』、の意味だ」という解釈になった(もちろん自衛隊の存在を容認するための最高裁のまやかし。)が、要するに、戦争の否定であるのがもともとの内容だ。たしか、そのために軍備(戦力)を持つことも否定されていたのではなかったか。その文言と矛盾するのが自衛隊であるのは誰でも認めているだろう。ここが憲法改正(まあ、本当は改悪だが)論者の最大の攻撃ポイントであるわけだ。要するに、「自衛隊という軍隊が存在するのは事実なのだから、それを認める新憲法を作れ」という、ただそれだけが憲法改定論者の言いたいことである。他の事は、9条を廃止させるための口実でしかない。
で、日本が戦後70年以上もの長期の平和を守ってこられたのも憲法9条のおかげだ、と私やその他の平和主義者たちは主張してきたのだが、もちろん、安保条約があったためだ、と主張する人もおり、まがりなりにも自衛隊があるからだ、と主張する人たちもいるわけだ。
さて、どこまで行っても平行線である「憲法9条論議」だが、私自身、「力を背景としない正義は有効か」と言われれば即座に肯定することはできない。日常の暴力と政治的暴力はまったく違うが、敢えて比喩を使えば、町に出て、強そうな若者の悪行を目の前で見て、それに注意できるのは、それ以上の力を持つ者だけだろう。たとえば警官などである。警官は背後に「国家権力」という最大の力を持っているわけだ。まあ、それが下っ端警官まで守るとは限らないが、一般人から見れば、十分以上に大きな力である。
では、憲法9条は無意味か、となれば、当然無意味ではない。何よりも、それは「アメリカの戦争に(表向きは)協力しなくていい」という最大の名目になっていたからだ。9条がなければ、とっくの昔に日本は朝鮮戦争にもベトナム戦争にも出兵させられ、軍事費の大半も負担させられていただろう。

つまり、「憲法9条」は、ガンジーの「無抵抗主義」みたいなもので、殴っても殴っても相手が無抵抗だと、殴る人間が周囲の非難の目で見られるから、殴るのをやめる、というわけだ。それが国家関係だと、「殴ったらこちらが非難されるな」というような行為は最初から避けることになる。これが「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」ということだ。
絶対的平和主義とは、「完全無抵抗主義」だから、キチガイのような相手に殴り殺される可能性というのがある、ということを重々承知の上でのみ採用できるのである。
そんなのは嫌だ、殴られたら殴り返したい、と思うのは自然な気持ちでよく理解できるが、では殴り返したらどうなるか、と言えば、「あの戦争」のようなことが再現されるだけのことだ、というのが私の言いたいことだ。要するに、国民の多くが戦闘や飢餓や病気で死に、家族も財産も失う人が厖大に出るだけの話だ。勝ったところでそれらの命が元に戻り、財産の完全な補償がされるわけではない。
では、無抵抗主義なら、どうなるか。相手国の奴隷にされるだけではないか、と言う人もいるだろう。さて、そうだろうか。今の世界で、戦争に負けた国の国民を奴隷にするようなことがありうるだろうか。せいぜいが、その国の資源の所有権が奪われるだけだろう。で、その資源の持ち主は誰かと言えば、「上級国民」なのである。では、戦争で死ぬのは誰かと言えば、「下級国民」なのである。
まあ、話が長くなるのでここまでにするが、憲法9条の「絶対平和主義」は、実は人々が考えるよりもはるかに現実的なものであり、何のコストもいらないという点では一番効率的な平和を作る手段なのである。








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