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徽宗皇帝のブログ

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株式取引という怪しい世界
「脳死世界」記事の一部である。
まあ、証券会社自身がこの詐欺に加担していた、いや、主導していたと私は見ている。

(以下引用)


以下、エド・ダウドさんの投稿です。




Edward Dowd


Grok は、暴落前の狂騒の20年代の株式プール運営者について以下のように説明する。1929年以降の証券法を覆す新しい株式プール運営者が現在存在しているのだろうか。


「狂騒の 1920年代の株式プール取引は、1929年の大恐慌前の 10年間を特徴づけた金融の荒波の中でも、魅力的でやや怪しい部分でした」


「本質的には、株式プール取引は、裕福な投資家のグループ(しばしば「プール業者」と呼ばれます)が、特定の株式の価格を人為的につり上げ、利益を得て現金化し、一般投資家に損失を残すために使用した操作的な戦術でした」


「典型的な仕組みは次の通りです。大物投資家、ブローカー、企業幹部などのインサイダー集団が密かに結束し、多くの場合は彼らが何らかの支配権を持っているか内部情報を持っている株を選びます。彼らは協調して株を買い集め、自分たちの需要で株価をつり上げます」


「さらに勢いをつけるために、彼らは噂を広め、マスコミに好意的な記事を流し込み(時にはジャーナリストに賄賂を贈り)、株式を大衆に宣伝するためにタレコミを利用します。これが狂乱を引き起こし、1920年代の投機熱に巻き込まれた一般の人々が群がり、株価をさらに押し上げます」


「株価がピークに達すると、プールの運営者は、高騰した価格で、熱狂的な大衆にひそかに株式を売り払います。彼らが売り払った後、株価は必然的に暴落し、後から来た人、通常は小口投資家には価値のない株式が残されます」


「これは典型的なパンプ・アンド・ダンプの手法(※ 短時間で価値のない資産の価格をつり上げた後で売りたたく策略)で、暴落後に 1933年の証券法と SEC (証券取引委員会)が施行されるまで、株式市場はほとんど規制されていなかったため、当時は完全に合法でした」


「有名な例としては、ジョセフ・P・ケネディ(そう、JFK の父です)が挙げられます。彼は政治家になる前は、巧みなプール運営者だったと噂されていました」


「プールは、ラジオ株(RCA など)や自動車会社など、当時の人気産業をターゲットにし、テクノロジーへの楽観主義の波に乗っていました。この慣行は、緩い規則、横行する投機、そして一攫千金を熱望する大衆のおかげで、1920年代に盛んに行われました」


「これは貪欲と狡猾さを描いた荒唐無稽な物語であり、1929年の大暴落が大きな打撃を与えた理由の 1つです。人々がゲームがいかに不正に操作されているかに気づいたとき、市場への信頼は完全に失われたのです」

 

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