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徽宗皇帝のブログ

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独裁・民主・共和
私は内田樹の言説には半信半疑なところがあるが、良識的かつ良心的な知識人の代表の一人だとは思うし、その言うことは時々、他の人が指摘しない鋭い切り口があると思っている。
下の記事で彼の言っていることにも、そういうところがある。特に、「独裁の反対概念は民主制ではなく共和制だ」というのは意表を突かれた。ただし、独裁の定義を「法の制定者と法の執行者が同一であること」と自己流の定義(だと思う)をしているのは、少々疑問だが。
もちろん、独裁とは、「最高権力者が自分の好き勝手に政治を行うこと」だから、その好き勝手な行為の中に「法の恣意的制定と恣意的運用」も含まれることになるが、内田の定義だと、「独裁者が、自分とは別の傀儡機関に法を制定させ、同様に別の傀儡機関に法の運用をさせた場合」これは独裁には当たらないということにならないか。それとも、そうした「仮面独裁」の問題は言わなくても分かる(私はそうは思わないが。)話だから省いて論じているのか。
まあ、重箱の隅をつつくような話はやめよう。
なお、「独裁の反対は共和制だ」というのが、私同様にピンと来ない人は多いかと思うので、私の所持している「新明解百科語事典」という小百科事典で「共和制」を調べると、次のように書かれている。

共和制(repubric):世襲による君主制に対し、主権が複数にある政治形態。国家元首や人民の代表者を間接・直接に選出し、主権が人民にある民主的共和制と、少数特権階級にある貴族的共和制・寡頭的共和制などがある。

なるほど、調べてみるものだ。私は、共和制とは民主制の別名だ、くらいに考えていた中学生頭脳だから、勉強になった。しかし、この定義では、はたして「独裁の反対概念は共和制だ」ということになるのだろうか。確かに、「主権が複数にある」から独裁ではない、という論理は成り立つだろうが、ではこれまでの「日本国憲法」の謳った「国民主権」は、社会主義的な「人民独裁」憲法だったのだろうか。
どうも、私には「主権が複数にある」という考えそのものに論理的矛盾があるような気がする。そもそも「主権」とは一つだからこそ主権というのではないか。たとえば、「三権分立」は「権力の分立」を言うのであり、「主権の分立」などと言えば、キチガイ沙汰だ、となるのではないか。だが、「共和制」は「主権の分立」を堂々と標榜している。これは、「主権」の概念を私が根本的に間違っているのかもしれない。「主」は「主な」であって、「主権」が複数あってもいい、またその間に序列があってもいい、という解釈もできるのだろう。だが、それならやはり「権力」であって「主権」ではない、としか私には思えないのである。上記の辞書の中でも、最初の「主権が複数にある」と、後半の「主権が人民にある」云々では、「主権」の意味が違っているように思える。つまり、後半部での「主権」は最高権力、つまり「唯一」の意味で使っているのではないか。
またしても重箱の隅をつつくような話に陥った気もするが、どうも私は「知識人の発言」は疑ってかかる習慣があるので、こうなるわけだ。(なお、ここでは辞書の記述も疑っているww)
まあ、いろいろと考えさせるだけでも、刺激的なインタビュー記事である。特に、中段の、「自衛隊員戦死後の日本の状況」は、迫真性のある描写を伴う想像力で語られていて、この部分だけでも拡散する価値はある。やはり内田樹は貴重な存在だ、と言えそうだ。
ただ、シールズの影響力を内田樹は過大評価しているように思う。「世に倦む日々」氏の「シールズ」批判も、行き過ぎているように思える(つまり、体制変革運動を分裂させ、内ゲバ状態に誘導するものだと思う。)が、あまりシールズを過大評価すると、その悪影響(一部の人々を白けさせ、反発させることや、シールズの「頭」を利用してその運動全体を間違った方向に向けていくことで、体制変革運動全体を挫折に追い込む策謀などの可能性)が出て来るだろう。シールズなど、たくさんの反安倍活動(ひいては反米闘争、日本独立運動)の一部、でいいのである。

なお、私が以前に少し書いた「天皇を政治体制に組み込んだ民主主義政治」は「民主的共和制」になるようだ。


(以下「ギャラリー酔いどれ」から引用)




◆http://blog.tatsuru.com/
内田樹の研究室 2015.09.22
毎日新聞のインタビュー記事


9月21日の毎日新聞にインタビューが掲載された。
こちらがロング・ヴァージョン

――各種世論調査では国民の6割が今国会での成立に反対する中、
  政府・与党は採決を強行しました。


国民が今一番感じているのは、「民主主義には欠点がある」ということでしょう。
選挙で両院の多数派を占めれば、次の選挙まで、
政権党はどんな政策でも強権的に実行できてしまう。

その政策が現時点での民意とどれほど乖離していても、
有権者には政権の暴走を止める手立てがない。

私たちが忘れているのは民主制と独裁は共生可能だという事実です。

独裁というのは別に「今日から私が独裁者である。逆らうやつは投獄する」
というようなわかりやすいかたちを採るものではありません。

独裁」の定義は「法の制定者と法の執行者が同一である」という単純なものです。

ですから、「独裁」の反対概念は「民主制」ではなく、
法の制定者と法の執行者が別である」制度すなわち「共和制です。

現代日本のように、立法府が事実上空洞化し、議員たちが党議拘束をかけられて、
官邸が作った法律がほとんど自動的に国会で承認されている状態は、
形式的には いまだ「民主主義的」ではありますが、
もう十分に「共和的」ではありません。

先日、首相は委員会で野党委員に向かって「早く質問しろよ」というやじを飛ばしました。

この言葉は、首相自身が国会審議を単なる「アリバイ作り」のセレモニーに過ぎない
と思っていることをはしなくも露呈しました。

法律を決めるのは官邸であり、国会はそれを追認するだけなら、
それはもう限りなく
独裁に近い政体になっているということです



――他国軍の後方支援など自衛隊の活動は大きく拡大します。

自衛隊員に後方支援の大義名分が納得させることができるでしょうか。

大義名分を信じている兵士は強い。自分が何のためにそこにいるのか、
その意味を理解している兵士は、
「どうしたらいいかわからない」状況でもその中で生き延びるための最適解を選択できる。
でも、今の自衛隊員が例えば中東で米国の始めた戦争の後方支援に送られた場合、
とっさの判断で最適解を選び取れるでしょうか。私は難しいと思います。

そこにいる大義名分がないから。

名前も知らない他国の都市を攻撃し、言葉も通じない非戦闘員に銃を向けることが
なぜ日本の国防にとって必然性があるのか、現場の隊員は、いくら上官に説明されても、
わからないでしょう。

戦うことの意味がわからない兵士はとっさの判断に遅れます。敵味方の筋目が見えなくなる。
非戦闘員に銃を向けることをためらう。

むろん人間としてはその方が「まっとう」なのですけれど、
兵士としては殺されるリスクが高い。

自衛隊員に死傷者が出たあと、おそらく日本のメディアは死者を英霊にまつりあげるでしょう。
そして、「このように危険な派兵に大義はあったのか?」
という常識的な責任論を語るものの声を「死者を犬死にさせる気か」という
ヒステリックな絶叫が黙らせることになるでしょう。

米国のような言論の自由な国でさえ、9・11後は
それまで低迷していたブッシュ大統領の支持率が90%にまで跳ね上がり、
政権批判がほとんど不可能になりました。

日本なら、その程度では済まないでしょう。

「派兵に大義はあったのか?」と問う者は「非国民」、「敗北主義者」と罵られ、
石もて追われることになる。 私はそう予測します。

そして、安倍政権はまさにそういう状況の出現を期待して
安保法制の制定を急いだのだと思います。


――学生らの反対活動は全国に波及しました。

特に運動が盛り上がってきたのは、法案が衆院で強行採決された後でした。
立憲政治の手続きが踏みにじられたことに対する怒りです。

学生たちのスピーチを聞いていると、彼らが心から怒っていることが分かります。
学校名と氏名を名乗り、人々の前に生身をさらして、
なぜ自分がここに立っているのか、その思いを、自分の言葉で語っている。
その切実さに私は胸を打たれます。

久しく「若い人たちは非政治化している」と私も思っていたので、
彼らの出現はほんとうに意外でした。

徴兵されて、戦場で人を殺したり殺されたりするということは、
彼らにとってもまだそれほどリアルに切迫した未来ではないと思います。

でも、安倍政権の人権抑圧的な政策がこのまま次々施行されるなら、
若者たちにとって耐えがたく息苦しい社会になるということについては
はっきりとした身体的な違和感・恐怖感を感じていると思います。


――今回の学生たちの運動は今後の政治にどんな影響を与えるのか。

SEALDsは運動を続けてゆくと思います。

彼らは一法案についてだけではなく、民意をくみ上げ、
異論との合意形成をはかることができなくなった今の政治システムそのものに対して
「NO」と言っているわけです。 法律ひとつで終わるはずがない。

ですから、このあとデモの次は選挙という方向になると思います。

来夏の参院選に向かって、彼らは安保法案に賛成した議員は全員落とす
という運動に転換していくでしょう。

6月に選挙権年齢を18歳以上に下げる法改正が成立し、
参院選から240万人の新有権者が登場します

安倍政権はこの集団の政治性を低く見積もって、「どうせ選挙権を行使しない」
「メディアや広告を使えば簡単に自民党支持層に繰り込める」と
たかをくくっていたのだと思います。

でも、今は後悔しているはずです。

というのは、この240万人に対して今一番影響力を持つ組織は、
自民党でも民主党でもなく、SEALDs
だからです。

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