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徽宗皇帝のブログ

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白人は人間ではない(bY井口和基)

藤永茂博士の「私の闇の奥」から一部転載。
リビア戦争は、その不徳義性から見て現代の「阿片戦争」と言っていい。どこをどう探してもモラルのかけらもない侵略戦争である。それが示すのは、世界はまだ帝国主義の時代にあるということだ。
世界はモラルと政治においては(経済も含めてもいいが)何一つ進歩していない。
かつては自国の利益のために他国を侵略することは当然の権利と認められていた。だから、帝国主義的侵略者の代表的存在であるセシル・ローズなどは当時の先進国全体の英雄だったのである。日本の韓国併合や中国侵略は、当時の世界の風潮から言えばある意味当然の行為であったのだ。(←この部分だけをコピーして引用すれば、私も立派な右翼ということになるだろう。あわてないで、後を読んでほしい)それが時代のエートス(気風)というものであり、後世のエートスによって過去のすべてを断罪するのは確かに正しいとは言えない。しかし、また、人類普遍の道義というものもあり、帝国主義的侵略はその観点から見れば当時でも現在でも犯罪的行為であることは間違いない。
要するに、アングロサクソン諸国、あるいは白人国家は世界にとって災厄でしかない、ということだ。彼らの性根が変わることは永遠にないだろう。彼らはもともと海賊やバイキングの子孫であり、自分で生産することを馬鹿にし、他人の生産したものを奪うことを当然とするモラルで生きているのである。
それは金融界や経済界においても同様である。奪うためには、自分たちがルールを作る立場になればいい。都合の悪いルールはいつでも変更すればいい。スポーツでも同じことだ。弱体化して国家の威厳が失われれば、黒人をイギリス人やアメリカ人として出場させればいい。メダルの数を確保すればそれで威厳は保たれる。芸術でも学問でも同じことだ。自分たちが評価する立場になればいい。それを世界の常識とすれば、ノーベル賞などが白人の権威づけに使われていても、たまに非白人が受賞するだけであの猿どもは大喜びだ。
これが世界を自分たちの植民地として看做す白人の思考法である。

(以下引用。途中省略あり)


カダフィの政府軍による大虐殺からリビア国民を守るという名目の下に開始されたNATOによるリビア空爆は、想像を絶する物凄さで行なわれました。8月23日のNATOの公式発表、:
http://www.jfcnaples.nato.int/Unified_Protector/page190905552.aspx
によると、過去五ヶ月間にNATO空軍機の出撃回数(sorties)は2万回を超えました。一日あたり130回の物凄さです。
  対地攻撃を行なった戦闘爆撃機が一機に複数の爆弾や誘導ミサイルを搭載しているとすると、正確激烈な破壊力を持った数万の爆弾やミサイルがリビアの人々の上に降り注いだことになります。リビアの人口約650万人、人口的には福岡県と佐賀県を合わせた位の小国です。ミサイルの標的が戦車であれ、輸送車両、船舶であれ、カダフィの住宅であれ、放送局、大学であれ、無人ではない場合が普通でしょうから、多数の人間が殺傷されたに違いありません。8月上旬に、NATO空爆による死者2万という報道がちらりと流れたことがありましたが、あり得ない数字ではありません。しかも、NATOの反政府軍支援は空爆に限られたわけではありません。大型ヘリコプターなどによる兵器,弾薬,物資の補給も行なわれ、地上でも多数のNATOやCIAの要員が間接的に参戦した模様です。しかし、こうしたNATOの活動の具体的報道は殆ど完全な管制下にあります。これだけの規模の軍事暴力が、国際法的には全然合法性のないままで(UNの決議内容をはるかに超えて)、人口数百万の小独立国に襲いかかったのです。

(途中省略)

ANC(徽宗注:南アフリカ政府与党)はリビアの内戦の始めからNATOによる爆撃に一貫して反対し、その停止を求めてきました。党青年部幹部の一人は「国外に侵略行為を及ぼさず、国内の市民の大部分が平和で順調な日常生活を営んでいる独立国に対して、外国が一方的に軍事攻撃を加えて、その市民の生活を破壊することは断じて許すことが出来ない」と発言していました。私も全く同感です。

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