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福沢諭吉を援用して「香港暴動」否定論に代える

私が「香港暴動」に反対する理由は何度か書いたが、たまたま手元にあった福沢諭吉の「学問のすすめ」を眺めていたら、まったく私と同じ考えが書かれていたので、それを現代語に訳しておく。原文のままがいいのはもちろんだが、語彙が古く漢字変換が大変なので、大意訳でお茶を濁すことにする。

(以下「学問のすすめ」第七編より)*この中の「第二策」が、私が香港暴動を否定する理由であるので、ここを詳しく訳しておく。なお、ここで「政府」と言っているのは、現政権というよりは国家体制と見るべきだろう。つまり、民主的手続きで悪政権が打倒できるなら、「第二策」で言う内乱は起こらないはずなのである。その場合は、「第三策」が当然の手続きになる。

……政府という存在がその分限を超えて暴政を行うことがある。その場合、人民が為す(できる)ことはただ三つだけである。それは、「節を屈して政府に従う」か、「力をもって政府に敵対する」か、「正しい道理(正理)を守って身を捨てる」か、その三つである。
第一の「節を屈して政府に従う」のは非常に良くないことである。(中略)ひとたび節を屈して不正な法に従うときは、後世子孫に悪例を残して天下の気風を堕落させるだろう。古来、日本でも愚民の上に暴政府があって、政府が人民を脅しつけると人民はこれに震え恐れ、政府の行為に道理が無いと思いながらも、事の正否を明らかに述べれば必ず政府の怒りに触れて、後日に役人などに苦しめられることを恐れて、言うべきものも言う者がいない。(中略)
第二の「力をもって政府に敵対する」ことは、言うまでもなく一人の力でできることではない。必ず徒党を組むしかない。すなわち、内乱の戦がこれである。これは決して上策とは言えない。戦を起こして政府に敵対する時は、事の正否・理非曲直はべつとして、ただ力の強弱をのみ争うことになる。ところが古今の内乱の歴史を見ると、人民の力は必ず政府より弱いものである。また内乱を起こせば、従来その国で行われた政治の仕組みを覆すことになるのは言うまでもない。ところがその旧政府というものが、どれほど悪政府であるにしても、また善政良法があるのでなければ、政府として幾分かの年月を持続できたはずがない。ということは、一朝の軽挙妄動でこれを倒しても、「暴をもって暴に代え、愚をもって愚に代える」だけのことである。また内乱の源を尋ねれば、もともと人(政府)の不人情を憎んで起こしたものである。ところが、人間世界で内乱ほど不人情なものはない。世間朋友の交わりを破るのはもちろん、甚だしい場合は親子が殺し合い、兄弟が敵対し、家を焼き、人を殺し、その悪事は限りがない。このような恐ろしい有様で人の心はますます残忍になり、ほとんど禽獣のような挙動をしながら、逆に旧政府より良い政治をし、寛大な法を施し、天下の人情を善に導こうと望むのか。不合理な考えと言うべきである。
第三の「正理を守って身を捨てる」とは、まったく武器を持たず、ただ正しい言論で政府に迫ることである。以上三策のうち、この第三策を最上の策とする。(以下略)

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