忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

衰亡する日本国民
「独りファシズム」から転載。
例によって独自でハードな文体が読者を選別するが、主張自体は平明である。今の日本は壮大な虚構の上で踊っている白痴国家だ、ということだ。だが、これほど自明な事実が、「現実は現実であるからまともに違いない」という思い込みだけで日本人には見えなくなっている、ということだ。あるいは、見えていても、自分たちにはどうしようもない、という日本人特有のあきらめ、政治的怠惰、事大主義によって心の奥底に隠蔽され、ネット上の一部の人たちだけが騒いでいるのである。もちろん、私もその騒いでいる末端の一人だ。
この白痴国家が近いうちに崩壊することは確実に思われるのだが、それがどんな形になるか、確言はできない。史上最大級の富の収奪と国民の窮乏が生じるのは確かだろうが、それは戦争のような「目に見える」災害ではないので、国民は日増しに窮乏する生活の中で、一人、また一人と衰死していくことになる。そんな予感がする。
とは言え、絶望するのは私の趣味ではないので、どこかで大きな逆転劇があるかもしれないと、まだ無理に期待してるのである。



(以下引用)*一部省略。



民主主義であろうが専制主義であろうが、国家とはおおよそ資本と官吏により私化された体系であり、社会システムとは彼らの利益最大化を目的とする諸制度の集積であり、議会制度による民意集約という概念もまたカモフラージュ(偽装)に過ぎない。

つまり普遍的に抑圧と搾取を本質とするのだが、それはナショナルミニマム(最低限の権利保障)によって担保されるのであり、統治力とは、既得権益と国民生活をどう拮抗させるかというバランス感覚であるのだが、この前提において、我々の体系はもはや国家ですらないのだと思う。

すなわち政治集団、経済集団、官吏集団という上部構造が各々の短期利益に腐心するみであり、彼らのうち誰一人として国家を全体視していないわけだ。

存在するのは、相貌のない不特定の有責者であり、何者かに埋設された実効命令群であり、このような一切の道徳原理を排除する異様な無機質さは、意思決定が人格によるのではなく、利潤増殖を企図する二進法プログラムによるかのようであり、つまり我々の生命すら投資社会においては、ポートフォリオ(資産の構成要因)の一部に過ぎないのだろう。

汚染ガレキが全国に拡散され、核物質が希釈されているのだが、それが惨事便乗型ビジネスの制式であり、多国籍企業による需要創造活動であり、また疾患率の平準化によって賠償回避を狙う行政機構とのアライアンス(連携行動)であることは、もはや疑いがない。

残された水源と農地が汚染され、疾患が蔓延し、食糧自給が壊滅したところでTPPが発動するのだから、医療市場、食料市場、保険市場において外資が莫大な利潤を確定することは明らかだ。繰り返すが、この時代において、もっとも金になるビジネスモデルは売国である。

富山県では右翼集団が、ガレキ拡散に抵抗する住民に対し、威嚇と妨害を行っているのだが、これほど馬鹿げた話しもないだろう。そもそも右翼のアイデンティティとは、民族社会と国土の保守にあるのだが、連中は間逆にその破壊者の側に立ち、擁護しているのであり、おそらく東京電力の筆頭株主が、アライアンス・バーンスタインという、外資ファンドであることすら理解していないのだろう。

「国士」を自称する馬鹿者達が海外勢力の手先となり、住民らを「非国民」呼ばわりし、子供を被曝させ、領土の剽窃を幇助しているのであり、それがビジネス(その筋からの金と教唆によるもの)だとは分っているが、ここまでくると怒りよりも、あまりの馬鹿さ加減に驚倒し、クラクラと眩暈がするわけだ。

日本経団連、経済同友会、日本商工会議所の3団体は、いまだ「国益のため原発を再稼動すべき」などと妄言を呈しているのだが、福島原発から放出された核が、企業資産や生産設備にまで及び、経済市場と消費者を破壊し、自社の株式や債券に莫大な毀損をもたらしつつあることすら理解できないのだろうか?放射線は彼ら自身とその家族にも及ぶのであり、豪華な葬式を挙げることができても、墓場にまで金をもっていくことはできないだろう。

繰り返すが、この体系における資本主義は、国家による財産権の保障という、市場経済成立要件の破壊により自壊しようとしているのであり、それは法律制度と経済市場のデカップリング(協同していたものが分離すること)がもたらす破局であり、つまるところ「国家は悪によらず愚によって滅びる」という低次の法則発動なのである。







拍手

PR

コメント

コメントを書く