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親の扶養から切り離されて生きることの困難と悲惨

「はてなブログ」から転載。
日本社会の現実がまさにリアルに書かれている(リアルをリアルに、というのも変だが、ここで書かれた内容は、誰も指摘していない「現実」だということだ。)ので、特に若い人は読むことをお勧めする。
筆者がなぜそれほど「大学」にこだわるのか、私などには理解できないし、むしろ最底辺の生活を我が身で知り、日本の残酷な社会システムを体験したことのほうが、苦痛と苦悩を通して得た貴重な、一生の財産ではないかと思うのだが、当人はそうは思えないだろう。彼がこの先大学に復帰できる可能性は少ないと思うが、復帰できたら、


「頭のいい大学は犯罪者を養成する」


の実例とならないことを期待する。
私も、この教祖の言葉に半分同意するからであるwww  いわゆるエリート意識は、不平等や差別を正当化する意識になり、それは現実の悪の認容(既得権擁護)になる、ということである。貧困や差別の中から抜け出した人間が拝金主義者や権力主義者になり、新たな差別者となる例を我々はよく見ている。


(以下引用)


2016-05-12

私が休学を決めるまで


1、はじめに


 私が休学を決めるまで、とてもたくさんの出来事、周りの協力、葛藤などがあり、そこそこに苦労を重ねたため、それを一つには自身の承認欲求のため、一つにはT.が力強く生きた証を残したいという目的からここに書き記す。小中高の話も書くと文字数が4倍くらいになるので今回は高卒後の2年間に絞って書く。


 


2、受験時代


 長期間の不登校とそれによる鬱でたくさんの自殺未遂を繰り返した後、偏差値35の高校に進学した私は大学受験とは無縁の生活を送っていたが、偶然良い友人に出会い大学受験を決意する。センター試験受験者が3人、分数の足し算が出来ない生徒が過半数という高校であったので、独学で血のにじむような努力をして受験した。が、足切りにかかった。後期試験は受けるつもりはなかったが、「せっかくの機会だから経験増やすためにも受けたら」と親に強く言われ、指定の国立大を受験、合格した。ここで親の態度が急変して「受かったのだから通え」と主張され、私は浪人するつもりでいたので親ともめた。当時親は新興宗教にズブズブであったので、教祖から頂いたありがたいお言葉である「頭のいい大学は犯罪者を養成するのでダメ」を繰り返し言うのみで話にならず、口論(という名の罵倒を浴びせられるのみ)をしたのち勘当されてしまった。家を追い出され、独り身となった浪人生活が始まった。


 


 浪人生活を始めてまず、よく「親元を飛び出し親に頼らず生活した」という人がいるがこういう人が実際にどれくらい本当なのだろうと思った。まず、部屋を借りることができない。部屋を借りるには連帯保証人が必要である。勘当されてしまっているので連帯保証人がいない。機関保障という制度がある(保証人を機関が代わってくれる)。しかし、この機関保障という制度を使うためには身元保証人という身内の連絡先を登録する必要があり、そこで身元の保証の連絡を入れてもらわないといけない。これも無理である。そこで運よく仲の良い友人が東京で一人暮らしをしていて、住ませてくれるとのことで転がり込んだ。もし、この友人がいなかったら道端で餓死していたと今でもよく思う。


 しかし、この生活も長くは続かず、ワンルームで二人暮らしというプライベートがない空間のせいでお互いの鬱っ気が増し、6月いっぱいで出て行こうという話になった。上記のとおり、通常の部屋は借りられなかった。しかし、不動産屋を巡っているうちに「脱法ハウス」と呼ばれる賃貸を発見した。一軒家を電話ボックス程度の箱で仕切り、その中で暮らすというものであったが、それ以外に部屋が見つからなく、このままでは冗談抜きにホームレス生活になってしまうところからその「脱法ハウス」に住むことになった。80cm*80cm*180cmという広さのこの部屋(箱)での生活は想像を絶するものがあり、同居人の半分くらいは片言の日本語しか喋れない外国人労働者であった。パスポートは持っていたのだろうか……。偏差値35の底辺高校で世の中の底辺を知ったつもりでいた自分が本当に恥ずかしくなった。


 


 浪人とまともな教育を受けられなく、独学がいかに非効率で厳しい戦いになるかを理解していたので、予備校に通うことにした。どうせ同じ金額を払うなら一番良いところで授業を受けたいということもあり、上京し、都内の有名予備校を選んだ。運よく若干の貯金があり、前期の授業料が払える額であった。どちらにしろ、アルバイトを始めないと生活ができなく、アルバイトで月10万稼ぎつつ、予備校に通う生活を始めた。この生活は思ったよりつらく、学力の足りなさを補うための猛勉強と体力仕事のアルバイトで疲弊し疲れ切った体をさらに酷使した。食事も金銭的事情でアルバイト先の賄い以外は白米を食べるだけの生活を続けた。


 


 予備校の授業を真面目にうけ、睡眠時間を4時間半、食事とバイト以外は勉強という生活を続けた結果、理系科目の成績はグングン伸び、A判定を何度も出した。夏季休暇や冬期休暇に講習を取ることはもちろんできず、ひたすらアルバイトに費やした。月18万稼いだ月もあった。金銭的なめどがついたので12月いっぱいでアルバイトをやめ、そこからはひたすら勉強に打ち込んだ。アルバイト先の人たちからも頂き物をしたり、応援され励みになった。ツイッター上で東大生の方々などからたくさんアドバイスを頂き、本当にためになった。勉強自体の調子も悪くなく、失敗しなければ受かるだろうと言われていた。


 しかし、試験は不合格だった。模試では110点を記録した数学も85点に落ち込み、苦手な英語で35点をマーク。約10点の不足だった。3/10のお昼に結果を確認して現実を受け入れられないまま東北の宿の予約、過去問の印刷等を済ませ翌日には仙台につき受験した。一緒に前期試験を受けた友人を会場で発見した。その友人は0.3点で落ちたらしい。なるほどこれが受験だな、と思った。


 


 後期試験受験が終わった数日後、予備校で担任と会話をした。担任は私のことを本当に気にかけてくれて、様々な配慮をしていただいた。予備校で気にかけていただいた講師の方々も、ご飯に連れて行っていただいたり、食材を分けていただいたり本当に色々お世話になった。予備校で一年間お世話になった担任に最後言われた「君ほど力強く受験に取り組み、やり切った人間を僕は知らない。本当に尊敬している。お疲れさま。」と涙ぐんで言われたときの様子を今でも鮮明に覚えている。


 


 浪人した当初、第一志望の大学は受かるまで何浪しても受け続ける予定であった。しかし、この”箱”という住環境での人としての最低限の水準を大きく下回る住環境、膨大な額を稼がねばならないアルバイト、凄まじい重圧の受験勉強を1年経験し、完全に精神が疲弊しきってしまった。「もう無理だ。このまま続けたら自殺してしまう」と心が完全に折れてしまった。


 


 


 


3、合格から入学まで


 後期受験終了後、親から連絡が来た。勘当しておいて今更何を……と思って話を聞くと「受験お疲れさま、授業料とか支援してあげるからいったん実家に戻っておいで」とのこと。この1年間の生活で、お金がないとどうなるか、保証人がいないとどうなるか、支援を前提とされている環境で支援がないとどうなるか。ということを学んだ。それは悲惨な状況で、とても人間のする生活ではなかったし、まだ人間的な振る舞いができる精神状態であるのが運が良いと思ったほどであった。よって、その言葉に深い感謝の念を感じつつ、実家に帰った。


 そこには自分の部屋があり、布団があり、食事があり、服がある生活だった。上の箱の住人からゴミを投げ込まれたり、食べ物を盗られたり、白米だけを食べる生活ではなかった。天国かと思った。こんな生活は1年ぶりだ。そんな環境で後期試験の合格発表の日となった。


 結果は合格だった。純粋にうれしかった。この人として大切なものを色々捨てた1年間は無駄にならなかった。最善ではないが、努力がちゃんと結果に結びついたということに言葉にならない達成感を感じた。ところが、これを親に報告したところ、親は態度を急変させた。「お前の態度を見てから援助するかどうかを決める。それまでは入学書類は書くな」と言い、突然厳しい態度で接するようになった。当時まったく意味が分からなかった。両親はどうして合格を喜んでくれないのだろうと不思議でならなかった。入学書類提出期限まで1日1日と迫っているのに、親はそれに言及する様子はない。そして、ついに入学書類提出期限の日になった。


 親はこのとき新興宗教の教祖から頂いたありがたいお言葉である「頭のいい大学は犯罪者を養成するのでダメ」を信じ、そのために動いていた。私を実家に軟禁することで日雇いのバイトも出来なくなる。お金がないといくら気持ちが強くても大学生活やっていくことは不可能である。例えば3/12から20日ほどアルバイトに専念すれば15万程度は稼ぐことが可能である。この15万があれば大学生活は大いに楽になる。親は軟禁することで、私が財政的な意味で親を頼るしかできない状況に貶めようとしていたことにここで気付いた。そして、入学辞退の後、地方国立レベルの大学に再度通わせるという道しか残さないという考えであった。


 これに憤怒した私は入学書類を出し、すぐに家を飛び出し、東京の”箱”を引き払い、不安と孤独を感じながら体一つで仙台に乗り込んだ。これが3/31であった。


 


4、入学から入寮まで


 私は親からの支援がない状況にある。つまり、他のどの学生よりも財政的に厳しい環境にある。よって、授業料免除、奨学金の支給、入寮が出来るだろうと考え、その手続きをしに仙台に到着したその足で大学の教務課へ向かった。当時の絶望感は忘れることが出来ないと今でも思う。結論から言うとその3つの制度、どれも私には申請する権利すらないと言われ門前払いをされた。


 まず、奨学金の支給。奨学金とはお金の貸し付けである。日本ではお金を借りる際に連帯保証人を立てることが常識となっている。日本奨学金機構も例外ではない。連帯保証人が立てられない私には受給する権利なんてそもそもなかった。(機関保障制度が使えないことは2章に書いてありますので省略)


 次に、授業料免除。これは両親の源泉徴収票が必要となる。私が独立生計で、両親から援助を一切受け取っていなく、自身のアルバイトのみで生活していると証明しても授業料免除は””両親””の年収のみできまる。両親は源泉徴収票を出すつもりはない。よって申請の書類がかけない。実際の生活がどうであるのかは関係がない。


 最後に入寮申請。これも親の年収によって決まる。また、部屋を借りる際には前述の通り、連帯保証人を立てないといけない。どちらも無理である。


 大学HPの記載ではその3つの制度は自分より条件にあう人間はいないだろうと思っていたが、実際にはどれにも申請する権利すらなく、審査されることもなかった。部屋がない。金がない。その改善の見通しもないという最悪な状況で大学生活がスタートした。


 まず部屋を探した。当然連帯保証人が必要な通常の賃貸は入居できるはずがないので、東京で住んでいた「脱法ハウス」がないか調べた。が、どうやら仙台には無いようであった。絶望した。受験時代、人として最低限を大きく下回る生活であったが部屋はあった。寝る場所はあった。だが、仙台ではそうではない。部屋がない。これは尋常ではないストレスであり、もうこのまま死んでしまうのかと思った。だが、仙台にも心の広い友人がいてその友人が手を差し伸べてくれた、少しなら泊められるとのことで。この友人には本当に頭が上がらない。大学生活に大きな不安を感じつつ、入学と同時にアルバイトも始めた。お金を稼がないと学費を払えない。食費もないと必死であった。


 4月末、教務課から「空きのある寮があるので入寮出来ます」と連絡があった。とうやら「4月も終わるのに新入生に部屋を借りられずに住所なしの奴がいる」ということで会議にかかったらしい。ここから寮の暮らしが始まった。この4月の間は尋常ではない不安感と死への恐怖でまともな精神状態ではなかった。同級生にそれを悟られないように必死で取り繕っていた記憶がある。


 


5、入寮後から2セメ終了まで


 入寮した後はアルバイトを増やし、人間的な生活をするようになった。当時の目標として授業料免除があった。仲の良い教授を通してなんとかお願いすれば通るんじゃないかと画策して色んな手を尽くした。2セメの授業料免除を特別に認可してもらえるように手を回してもらったが無理であった。どうやら文科省の方針で授業料免除のルールが決まっており、その例外を作るのは難しいとのことだった。あまり期待はしていなかったが残念であった。


 また、9月に親との扶養を切られたという通知を受けた。これにより国民健康保険に加入することになり、出費が大幅に増えた。授業料56万、家賃20万弱、通信費保険料20万強で、食費や諸雑費を0円と仮定しても年間支出が100万円を超えてしまった。これをカバーするには年間130万ほど稼ぐ必要があり、月収だと11万である。さらに、大学院の入学金のことを考えるとさらに稼ぎ、貯金する必要があり、その生活は困難を極めることが分かった。


 しかし、授業期間中に月12万程度稼いで休暇中にさらに稼げばなんとかなる範囲であったので、それを10月から実践してみた。9月の終わりから10月11月にかけて、週7回以上出勤、44連勤などのアルバイト漬けを経験した。その結果、授業に出られる割合は減少、自炊率も減少し、食費が増加。この生活は続かないと分かった。この解決策として現状一番適切であると考えているのが休学である。国立大学の休学中の学費は無料なので休学することにより多くの時間を確保し、学費を稼ぐことが出来る。無理なアルバイトで勉学や身体、精神を犠牲にするより、多少余裕を持たせて1年間休学して学費を稼ぐのが良いと考えた。現在ではB3かB4に1年間の休学を予定している。


 


 


 


 以上が私が休学を決めるまでの概略である。


 


 


 


おまけ


 


6、この2年間で分かったこと


 この2年間で分かったことがいくつかあるのでここに書き記す。


 


・日本はレールから外れた人間に対して非常に冷たい社会である。


 日本の制度が例外事項に対する思慮が及んでいないと書いた方が良いのかもしれない。


 これを最初に感じたのは不登校になったときである。不登校に対して十分な理解を持ち合わせている人間が少なすぎる。例えば不登校児に対して旧友などが登校するように呼びかけることは一番してはいけないことというのは常識であるが、これは一般に知られていない。鬱は認めるが不登校は甘えと考えている人間もたくさんいる。鬱は多くの人がかかるが、不登校になるのは少数だからである。


 また、受験時代にもこれを強く感じた。需要と供給の関係上仕方がないことではあるが、「本当に0からスタートする人間」に対しての参考書が非常に少ない。よく0からのスタートで大学合格しました!という人間がいるがたいてい中等教育やそれに準ずるものを受けている。私から言わせればすでにそういう基盤のある状態から勉強するのは楽である。書店を巡っても進学校の人間が受験をするための本しかない。私のような中等教育がごっそり抜けていたり、偏差値35の高校でまともな教育を受けられない人間が使える本というのは探すのが非常に大変で、その本自体も非常に少ない。レールから外れると信じられないくらい不利になるのが日本という社会のようである。


 これは、両親の扶養というレールから外れた時も同様であった。まさかお金の問題とは関係なく部屋が見つからない、部屋に住めないという状況になるとは思ってもみなかった。部屋を借りる際の保証人、他にも奨学金、公務員の採用など、保証人を立てないといけない場合というのは非常に多い。これは不利というより不可能な状態になっている。ひどい社会だと何度も感じた。


 


・大学は何とかなる部分とならない部分がある


 大学にはここには書けないものと書いていないもので多大な配慮をしていただいている。それに関しては感謝している。しかし、授業料免除という制度がまさか自分に適用されないとは思ってもみなかった。大学は文科省の「学部生の授業料免除は親の収入で決める」という方針に従うしかないのだ。独立行政法人となって一応は独立して運営されているのだが、結局資金の大半は税金で運用されており、逆らうことが出来ない。この結果には正直失望した。どうしてこんな意味の分からない取り決めがあるのだろう。


 


 


・友人からの援助・支援によって生きている


 浪人時代も学部一年生時代もそうであるが、ツイッターを通して知り合った友人からの支援がなかったら私は生きていない。また、当時の物資の援助もそうだが、現在の私の部屋にある雑貨や電子機器等、善意で恵んでいただけた物がたくさんあり、おかげで私の生活水準は大幅に上昇し、大学生活もそこそこ余裕をもってやっていけている。


 一番重要であったのはその友人たちの励ましが精神的支柱となったことである。この精神的支えが現在の私を作っているのは言うまでもない。感謝してもしきれない。


 


・極限状態で生きるために必要なのは


 私の環境は金銭的に貧しい環境にある。うちの学生の平均支出は学費を除いて月10万円程度。学費を含めると年間170万円ほどになる。私はもちろんそんなにたくさんの出費はできないので色々削れるものを削っている。それでもたまに「私は他の学生と比べて年間100万円以上の負担を背負っているのか」と考えて気分が下向きになってしまうことはある。こういう環境下で一番必要なのは生きるための気力である。生きる気力がなくなれば文字通り死んでしまう。心を折られないように生活することがまず第一で、そのための多少の出費は惜しんではならない。「趣味に回す金があれば学費に当てろ、貯金しろ」という人がたまにいるが、そういう人は何も分かっていない。趣味に回す金、時間があることが一番大切である。極限状態では精神力の勝負であるのでここを削ることはあり得ない。もちろん出来る限り出費を抑えつつ趣味に興じることになるが。


 


 ・本当の自由とは何か


 私は自分の両親のもとにいるのが嫌で、両親の手の中にいるのが嫌で、そこから自由になるために家を飛び出した。名実ともに自由を手にしたわけであるが、現状の私を見ればわかるが、社会のレールから外れ、扶養から外れ、この環境では一般家庭なら簡単にできることどころか賃貸を借りることすらままならない状況になった。本当の自由とは何なのかが分からない。


 


一部、地元からの特定を避けるために曖昧にした個所や、本旨に支障をきたさない程度に書き換えた部分がある。また、書き切れていない出来事がいくつもあるが、ここでは省略させていただいた。


 


 


 


追記:奨学金、授業料免除、入寮等の審査は大学の方針に依存しているので、それをその基準は大学ごとにまちまちになり、同条件でも認める大学と認めない大学が存在するということ。また、私は教務課に通い詰め、相談室や教授等に何度も相談し、様々な方法を試行錯誤してもなお貸付奨学金と授業料の免除がダメであったということをご理解ください。


 


追記2:ここまでたくさんの反響があるとは思っていなかったので正直とても驚いています。また、カンパの募集はないのかという多くの声にインターネットの温かさを感じております。このような温かい応援の声が生きる糧、精神力の源になります。本当にありがとうございます。ですが、大きくカンパの募集をする予定は今のところありません。というのも、私は極限状態は脱しましたが、依然非常に厳しい学生生活を送っており、支援を頂けたとしても、それに対して十分なお返しをすることが出来ません。また、最大限その方向に努力しますが、その支援を十分な形で使えるかという自信もその責を全うできる確信もありません。私の環境は不安定であり、いつ崩れ落ちても不思議ではないからです。このような状況であることを踏まえてもなお支援していただけるということであれば https://twitter.com/T_ritama までDMでご連絡いただくか、ツイッタープロフィール上のウィッシュリストをご覧ください(ウィッシュリストを使うのが初めてで使い方がよく分からないため機能していない可能性があります、機能していなかったらお手数ですがご一報くださると助かります)


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