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徽宗皇帝のブログ

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証拠は、「彼ら」が得た利益そのものである
「櫻井ジャーナル」から転載。
「証拠が無い」のは当然で、自らに都合の悪い事実は証拠湮滅するのが組織というもの、特にお役所や軍隊だろう。従軍慰安婦施設は軍隊公認(黙認と言うべきか)の、事実上の軍隊付属施設であったのは確かだと言えるのではないか。昔の軍隊映画では必ず兵隊が慰安所に行くシーンがあったものだ。しかし、それで戦地におけるレイプが無くなるわけではない。戦地では殺人が国家公認の行為であるのと同様、強姦も黙認されている、というのは世界のほとんどの戦場での「常識」だろう。戦争というのはそういうものである。
美しい戦場、美しい戦争など無い。野獣の世界、地獄の世界の部分を隠し、英雄的行為だけを美化して描くのが戦争映画だから、馬鹿な男の子はそれを見て戦争に憧れたりするのである。そういうのが長じて戦争好きの右翼になり、自分を「愛国者」だと錯覚したりする。(まあ、「革命」に憧れる左翼も子供っぽいところはあるが。)女性は賢いから平和主義者が多い。彼女たちは戦争が弱者を抹殺するシステムであることを直感しているのである。

私自身は根がガキだから「いざとなればアメリカと戦争しろ」と書いたりするが、それは相手があまりに理不尽な連中だからである。(TPPはいわば現代の「ハル・ノート」である。もちろん、それよりはるかにひどい。)
いざ戦争となれば、ワシントンに原爆を落とすのが一番だ。何も庶民が無駄に死ぬ必要はない。日本も早く原爆か水爆を持つのがいい。もっとも、ホワイトハウスや米国議会を消し去ろうが、NWOの連中はほとんど全員無事だろうから、あまり意味はないか。そういう「戦争の真犯人」を処刑できる方策を全世界的に作り上げる必要があるのではないか。(その場合でも「証拠が無い」がやはり逃げ道になりそうである。)

「戦争の前も後も日本の支配層とウォール街はつながっていた」

というところに真の問題点があるのである。
そして、何度も書くが、第二次大戦後に日本は真の戦争責任者(戦争を煽り、戦争で利を得た者)を自ら処罰しなかった。つまり、戦争という悲惨な体験の総括をしなかったのである。そして戦前の支配体制を温存させてしまったことが、庶民の手の届かないところですべてが決められるという、今の政治の空洞化を生んだのである。


(以下引用)




むのたけじによると、占領した地域で兵士がレイプや虐殺を繰り返すので「慰安婦」なる仕組みを考え出したのだという。船で女性を移動させるためには軍の了解が絶対に必要で、軍が作戦のひとつとして行ったのだと指摘している。記者として取材した結果、騙されて連れてこられた女性が多かったともいう。

 慰安婦問題に限らず、日本の支配層は「証拠がない」として戦争責任を回避しようとする。敗戦が不可避になった時点から日本の支配層は自分たちに都合の悪い文書を廃棄、つまり証拠を湮滅している。戦後も自衛隊の内部で湮滅作業を続けているのを目撃した右翼活動家もいる。それだけでなく、情報を公開しないようにアメリカにも頼み込んでいるようだ。アメリカでは日本関係の情報公開が遅れている。「証拠がない」のではなく、「証拠は処分した」ということだ。

 アメリカ軍の沖縄占領が「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション」のもとで継続されることを望むというメッセージを1947年9月に昭和(裕仁)天皇はアメリカに対して出した。(豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫)沖縄を貢ぎ物としてアメリカに「献上」したのである。

 アメリカの占領は特に過酷だったようで、売春婦の増加という形になって現れる。竹中労によると、1960年代の後半には2、3万人に達し、ある島の商工会議所などは、遊郭をつくって賭博場をひらくという計画を立てたようだ。

 言うまでもなく、売春は貧困と深い関係がある。戦前、財閥や大政党は大儲けする一方で、庶民の間では身売り、欠食児童、争議などが問題になった。言うまでもなく、身売りとは、娘を売春婦として売るということだ。富が一部に集中し、庶民が貧困化した結果である。

 忘れてならないのは、関東大震災(1923年)から1932年まで、日本の支配層はアメリカの巨大金融資本、JPモルガンが動かすアメリカ政府の影響下にあったということ。その代理人がモルガン家の一族に属するジョセフ・グルーだった。1932年から駐日大使を務め、日本軍が真珠湾を攻撃した後も、しばらく日本にいた。JPモルガンの影響力は維持されていたのだろう。戦後はジャパン・ロビーの中心人物として活動、日本を属国化していく。日本の庶民が貧困化していった背景には、ウォール街と日本の支配層との関係がある。

 安倍某、橋下某、高市某、石原某のような手合いが戦後になっても日本で大きな顔をしていられるのは、戦争の前も後も、同じようにウォール街と日本の支配層とがつながっているからにほかならない。ウォール街と対立していたフランクリン・ルーズベルト大統領の時代が例外だということ。「国体護持」とはそういうことである。


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