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徽宗皇帝のブログ

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長州システム

「代替案のための弁証法的空間」というブログから転載。
日本の軍隊の伝統は日本の官僚の伝統でもあり、その本質は「無責任体制」である。不祥事の責任者が高位の者やその眷属というか、仲間やお気に入りだったばあい、絶対に咎められることがない。形だけの処罰は受けても、実質的な罰は受けない。その結果、愚劣極まる決定や判断が膨大に出て来る、そういうシステムである。
もちろん、失敗のほとんどはまず隠蔽され、表面化した場合にはもっともらしい理屈や屁理屈をつけて誤魔化す。誰の目にも失敗が歴然と分かる場合は形だけの処分や処罰が行われるが、責任者が絶対に傷つかないようにする。その反対に「下の者」「仲間以外の者」への処罰は過酷極まるものになる。
そうした「日本式システム」は国立競技場問題などを見れば明瞭だろう。それを下の文章では「長州システム」と言っている。
なお、私は作家としての森鴎外は大好きであるが、脚気問題での鴎外の失敗は、膨大な犠牲者数から言って擁護しがたいものだと考えている。だが、その時点では脚気の原因の正確な究明はできていなかったはずだから、あまりに鴎外の罪を言い立てるのも不公平だとは思う。ともあれ、この面での鴎外の失敗があまり世間に知られていないのは(私は昔から知っていたが)やはり権力者中の「長州人同士の庇い合い」がそこにあったからではないだろうか。


(以下引用)


日本陸軍兵士の最大の脅威は「長州システム」であった 


2014年03月09日 | 長州史観から日本を取り戻す


 「長州神社の「招魂」の謎(2)」のコメント欄で、靖国神社(以下、長州神社と呼ぶ)における「英霊」は、戦死者ではなく、病死者・餓死者の方が多いという点が議論されていた。この点、私も一言述べたい。


 太平洋戦争中、戦死者以上の餓死者を出すことになったのは兵站補給を怠った大本営の作戦計画の杜撰さであった。太平洋戦争の日本軍の「戦死者」とされる人々のじつに6割が実際には餓死である [ 藤原彰『餓死した英霊たち』(青木書店、2001年) ]。「兵站」を軽視したまま、無謀に突撃していくという、軍事のイロハも知らない人命軽視組織をつくりあげたのは、長州閥陸軍の人事システムに他ならない。


 司馬遼太郎は、長州閥の日本陸軍がおかしくなったのは、日露戦争が終わって以降であったと、『坂の上の雲』の「あとがき」で述べている。司馬は、『坂の上の雲』の文春文庫版の第8巻の「あとがき(3)」(308―13頁)で、薩摩閥海軍の能力主義・合理主義に対して、長州閥陸軍は「精神主義」と「規律主義・形式主義」をもってその特徴とするとし、「同じ民族とおもえない」とまで述べている。長州陸軍の「精神主義」は乃木希典に代表され、「規律主義・形式主義」は山縣有朋と寺内正毅に代表される。ちなみに、山縣も乃木も松下村塾の系譜に連なるから、やはり吉田松陰にさかのぼって問題があったとしか私には思えないのである。


 司馬遼太郎は『坂の上の雲』で日清・日露両戦争における脚気による病死者問題をスルーしている。これは司馬が不勉強としか言いようがない。NHK大河の「坂の上の雲」も脚気問題をスルーしていた。この問題を直視すれば、長州陸軍閥がつくった「長州システム」の愚かさは、日清戦争のときからすでに始まっていることが分かる。いや、長州システムの愚劣さは1863年の下関海峡における外国船無差別砲撃のときから一貫しているといってよいだろう。陸軍が日露戦争以降におかしくなったかのようにいう司馬の認識に問題があるのだ。


 明治以降の日本陸軍兵士にとって自らの生命を脅かす「最大の脅威」は、ロシアでも中国でもアメリカでもイギリスでもなく、人命軽視も甚だしい長州陸軍閥がつくりあげた「長州システム」そのものであった。


 日清・日露両戦争における脚気死者の問題を紹介したい。私はこの問題を、大学1年生の頃に読んだ板倉聖宣著『模倣の時代(上・下)』(仮説社、1988年)によって知った。詳しくは、ぜひこの本を読んで欲しい。日本国民の必読書といってよいほど重要な本であると思う。


 明治時代の脚気問題に見られる構造は、戦後になっても水俣病、薬害エイズ、そして現在進行中の子宮頸がんワクチン・・・・・と同じような構造のまま繰り返されてきている。突き詰めていくと、官僚主義的無責任体制という長州藩閥がつくりあげたシステムの問題に行き着くのである。長州閥の安倍政権の暴走を許せば、私たちはふたたび野良犬のようにその生命を奪われていくことになろう。


 日清・日露両戦争における脚気問題、wikipediaの「日本の脚気史」の項目でも非常に詳しいので参照されたい。
 
 いま板倉氏の『模倣の時代』が手元になく引用できない。代わりになる文献をネットで探すと内田正夫氏の「日清・日露戦争と脚気」(和光大学総合文化研究所年報『東西南北』2007)が見つかった(以下のサイト)。以下、数字に関してはこの文献を参照しながら論じたい。
 
 http://www.wako.ac.jp/souken/touzai07/tz0716.pdf


 日清戦争における脚気被害は資料によって数字が異なるが、日本陸軍医務局の公式記録『明治二十七八年役陸軍衛生事蹟』によれば、戦死者977人に対して、脚気の死亡者4064人とのこと。脚気死者は戦死者の4倍強である。


 脚気の原因は、白米食によるビタミンB1欠乏症である。玄米や麦飯などを食べれば脚気は治ることが広く知られており、合理主義的な海軍では高木兼寛らの献策を聞き入れ、早くから脚気撲滅のために兵食を改善。洋食や麦飯を導入したところ脚気被害はなくなった。日清戦争において海軍では脚気死亡者はゼロであった。しかし頑迷で官僚主義的で形式主義的な陸軍は、疫学的根拠に基づく海軍の兵食改革を科学的ではないと決めつけて、その後も白米主義に固執し、軍人の脚気死者を増やしていった。


 続く日露戦争において、同じく陸軍医務局の資料は脚気死者の実数不明としている(事実は隠蔽された。今日の原発事故や子宮頸がんワクチン問題でも繰り返されている)。1908年の雑誌『医海時報』によれば、戦病死者3万7200余人中、脚気による死者は2万7800余人(75%)であった。戦闘での陸軍の戦死者総数は4万6400人であるから、いかに脚気の被害が大きかったかわかるであろう。兵食を改善していた海軍では、日露戦争の脚気死者は3名であった。


 日清戦争では戦死の4倍、日露戦争では戦死の6割ほどの兵士が、長州陸軍閥のつくりあげた硬直した「長州システム」によって殺されたといって過言ではない。長州閥陸軍が、海軍を見習っていれば、これらの人々は死なずにすんだからである。戦闘死者にしても、脚気をわずらってフラフラになった兵士にバンザイ突撃を強要したのである。脚気を罹患していなければ、ロシア軍の餌食にならなくてすんだ人々も多かったであろう。この構造が、太平洋戦争における「餓死6割」に行き着くのだ。


 陸軍においてこのすさまじい惨禍を引き起こした最大の責任者は、日清戦争においては陸軍医務局長の石黒忠悳、日露戦争にあっては陸軍軍医部長の森林太郎(=文豪の森鴎外)であったとされる。
 
 日清戦争のころはまだ長州閥システムにも良識が存在したようで、石黒は脚気被害の責任をとって陸軍医務局長を辞任した。しかしWikipediaの「日本の脚気史」によれば、石黒は、「長州閥のトップ山県有朋や薩摩閥のトップ大山巌、また児玉源太郎などと懇意で、その後も陸軍軍医部(後年、陸軍衛生部に改称)に隠然たる影響力をもった」と記されている。


 
 日露戦争後になると完全にシステムの修復機能も崩壊していた。日露戦争後、陸軍における脚気惨禍の真相を追求する声が国会などでもあがり、陸軍省も脚気の原因を究明するために「臨時脚気病調査会」を組織する。


 しかし、あろうことか、第三者の立場で日露戦争における脚気惨禍の原因を究明しなければならないはずの委員会の委員長に就任したのは、問題を引き起こした当事者であるところの森林太郎(鴎外)(当時陸軍省医務局長)であった。これでは原因の究明などなされるわけがなかった。


 司馬遼太郎は、寺内正毅を、長州陸軍閥の愚かさを代表する人物として描いている。意外にも、日露戦争時、「海軍にならって麦飯を導入した方がよいのではないか」と盛んに言っていたのは陸軍大臣の寺内正毅であった。しかるに、現場で麦飯導入を握り潰し「白米主義」にこだわっていたのは森鴎外であった。
 奉天会戦の後、あまりの脚気被害の惨状にたまりかねた寺内大臣は、大臣権限で訓令を発して、遅きに失したとはいえ、ようやく麦飯導入を決めた。


 恐るべきは森鴎外である。長州システムの人事は、当のシステムの構築者(山縣や寺内)も真っ青な愚劣で硬直した人物たちが出世するシステムであり、自浄能力のない無責任体質のままその後も暴走を続けることになったのである。


 問題を起こした当事者であるところの森鴎外が、真相究明委員会の委員長になって問題をもみ消す。これはまさに今日問題になっているところの利益相反そのものである。


 今日、子宮頸がんワクチンの副反応をめぐって、厚生労働省のワクチン検討部会の委員たちは、ワクチン会社から寄付金をもらいながら、科学的根拠もないのに「心身性の反応(=つまり気のせい)」と決めつけている。日露戦争後の脚気調査会と同じ構造が今日も引き続いていることがわかるであろう。


 私がかかわった日本学術会議の基本高水検討分科会も、国交省の利根川・江戸川有識者会議も構造としては同じであった。国交省と一蓮托生のインサイダーたちが委員会に入って、真実を隠蔽するという構造である。



 

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