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徽宗皇帝のブログ

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ISISはアラブ人のための新国家建設を目指しているのか?(追記あり)
「田中宇の国際ニュース解説」から、記事の一部を抜粋転載。

昨今の中東の問題や人々の苦しみの多くは、サイクスピコ条約など英国主導の中東分割支配策に起因している。だから、ISISが掲げる「サイクスピコ条約体制の破壊」「レバントの国境線を消滅させ、統一した(アラブの)イスラム国家(カリフ)を作る」といううたい文句は、多くのアラブ人の支持されうる。

という部分は、私には初耳で、目から鱗である。もちろん、サイクス・ピコ条約などが現在の中東問題の根底にあることくらいは常識として知っているが、ISISがこういう政治目的を持っていたことは知らなかった。(ただし、「アラブ人の支持されうる」は、「アラブ人に支持されうる」と書いてほしい。)
また、


米欧ではISISの残虐性が強調されているが、中東では、ISIS支配下のモスルが陥落前より安定していることの方が注目される。ISISの台頭は、北アフリカなどイスラム世界の各所の人々を感化し、2010-12年の「アラブの春」の再来をもたらすかもしれない。


という指摘と大胆な予測も興味深い。ただし、2010年~12年の「アラブの春」は欧米による偽装民主化であったことを指摘しておかないと、片手落ちではないか。この書き方だと、現在のアラブ世界を内乱状態にし、混迷させているかつての「アラブの春」を肯定していることになる。もちろん、「何とかの春」とは一般には「(欧米的)民主化運動」を指すのだから、「アラブの春」の「再来」という言い方自体が、今回の「広範囲なイスラム国家建設」というISISの意図にはそぐわない言い方なのである。
この記事の言う通りに、ISISが欧米によって定められた人工的国境線の引き直しをし、アラブ人によるアラブ人のための新国家を作ることを意図しているならば、ISISへの世間の見方(欧米ジャーナリズム経由の報道で、私も知るしかなかったのだが)も大きく変化しそうである。



(以下引用)*色字部分は引用者(徽宗)による強調。



 このように、いまの中東諸国、特に英仏によって分割されたレバント(地中海地域)は、今の国境線と各国の体制が続く限り、結束した強い勢力になれない。昨今の中東の問題や人々の苦しみの多くは、サイクスピコ条約など英国主導の中東分割支配策に起因している。だから、ISISが掲げる「サイクスピコ条約体制の破壊」「レバントの国境線を消滅させ、統一した(アラブの)イスラム国家(カリフ)を作る」といううたい文句は、多くのアラブ人の支持されうる。米欧ではISISの残虐性が強調されているが、中東では、ISIS支配下のモスルが陥落前より安定していることの方が注目される。ISISの台頭は、北アフリカなどイスラム世界の各所の人々を感化し、2010-12年の「アラブの春」の再来をもたらすかもしれない。 (Iraq likely isn't the last stop for ISIS)

 このような中で、ISISがヨルダンの国境までやってきた。ISISは総勢1-2万の軍勢で広大な領域を支配しており、ヨルダンに攻め込む余裕がない。しかしヨルダンには、ISISのスローガンに強く呼応するイスラム主義の人々が多くいる。もともとISISの源流はヨルダン生まれの過激派アブムサフ・ザルカウィが米軍侵攻後のイラクで結成した組織なので、ISISはヨルダンのイスラム主義者とつながりがある。ISISは、この人脈を使ってヨルダンでテロを多発させると予測されている。 (Isis aims to erase regional borders)

 ISISがイラク・ヨルダン国境に到達した後、ヨルダンで最も早くISISへの支持を公言したのは、ヨルダン南部の町マアンの勢力だった。マアンは、ヨルダンが1920年代にハーシム家の王国になる前からヨルダンに住んでいた諸部族の中心地で、ハーシム家の統治への非服従や、英国が傀儡のハーシム家を据えてヨルダン(最初は西岸を含むトランスヨルダン)を創設したことへの反対が百年くすぶってきた町だ。

 マアンは、アンマンよりずっと古い町だ。ハーシム家は、自分らが来るまでのヨルダンの歴史を無視するため、小さな村でしかなかったアンマンを首都にして、パレスチナ難民を市民にしてアンマンを急拡大した。マアンの人々は、自分たちの町を、イラクでシーア派主導の中央政府に反逆し続けるスンニ派の町ファルージャにちなんで「ヨルダンのファルージャ」と呼び、ハーシム家のヨルダン国家の破壊を呼びかけるISISを支持する集会を開いた。 (ISIS: Iraq today and possibly Jordan tomorrow)

(ISISの和訳名は「イラクとレバントのイスラム国」「イラクとシリアのイスラム国」の2つがあるが、ここにおける「シリア」は、今のシリア国家のことでなく、近代以前のシリア地方を指し、今のシリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、パレスチナであり、レバントと同じものだ)

 

(追記)「櫻井ジャーナル」はISISを完全に西側の傭兵と見ており、そちらの見方が正しい可能性のほうが大きいと思うが、「アラブ人のためのアラブ国家」を打ち立てる、というのがただの建て前だとしても、「瓢箪から駒が出る」こともある。両論併記のために「櫻井ジャーナル」も転載しておく。(6月28日記)


アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの「三国同盟」はイラクのヌーリ・アル・マリキ政権を倒そうとしている。その理由のひとつはイランとのつながり。マリキ打倒プロジェクトで使っているのがイスラム教スンニ派の武装勢力ISISだ。

 アル・カイダの下部組織とも言われているが、つまり傭兵のデータベース(アル・カイダ)に登録された人たちで構成されている。2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊がISISの主要メンバーを訓練していたともいう。

 ISISの黒幕はサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子だが、ここにきてISISが独自の資金源を手に入れたという話も伝えられている。サダム・フセインに近かった勢力と手を組んでいることもあるのか、スンニ派の影響力が強い地域を制圧しているのだが、その中に含まれるモスルでは中央銀行を押さえ、5億ドルの現金と相当量の金塊を手に入れたという。

 サード・ハリリ元レバノン首相はサウジアラビアの「信頼できる情報源」からの情報として、イラクにおけるISISの攻勢は昨年11月にトルコで開かれた「大西洋会議」のエネルギー・サミットで承認されたのだと語っている。ISISの司令部はトルコのアメリカ大使館にあるとも主張している。なお、ハリリの一族はレバノンのおけるスンニ派の中心的存在で、サウジアラビアと密接に結びついている。2005年2月に暗殺されたラフィク・ハリリ首相はサードの父親だ。





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