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徽宗皇帝のブログ

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メモ日記「生活」9
#161 物の価値と人間の価値

価値ほど主観的なものは無い。特に美術品の価値など、見る人によって天と地ほどに違うものである。それを利用して、美術品は様々な「錬金術」に使われる。たとえば、織田信長が茶道に凝ったのは、実は茶道具の「価値」が主観的なものであることを利用して、手柄を立てた部下への褒美とするためだったという。つまり、土地には限りがあるから、部下への褒美として領土を与えていたらいつかは追いつかなくなる。そこで、茶道具を領土以上に価値があるものだと思わせて、部下を操る道具にしたわけである。白人が土人にガラス玉をくれて貴重な物産を手に入れたようなものだ。
現代でも、美術品の価値があいまいであることを利用して、政治家への賄賂にすることが行われるという。税務署に対してはあまり価値が無いように見せながら、大金が必要な時は、いつでも金に替えられるわけである。
物質として見た場合の人間の原価は1ドル程度だと言われている。それを利用したショートストーリーがあって、神様が貧しい若者に、1ドル分の願いを叶えようと言う。若者はがっかりするが、翌朝目覚めると、その枕もとに、若者が憧れていた女性が座っていたという話だ。というわけで、人間の価値は金には換算できないのであり、それを金に替えようとするから、「お前たちの値段は1銭5厘(赤紙の郵送代)だ」などという人間蔑視の思想が出てくるのである。

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