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徽宗皇帝のブログ

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メモ日記「政治・社会」17
#149 神無き社会のモラル

哲学の課題はいかにして個人および人類の幸福を実現するかである。その問題に答えない哲学は無意味だ。たとえばニーチェによって人類(あるいは西欧人)の視野は拡大した。その意味で彼は重要な哲学者だ。しかし、彼は人類にとって必要な哲学者であっただろうか。彼によって人類は幸福になったかと言えば、答えはノーだろう。その点では、ほとんどあらゆる近現代の哲学者は無意味な存在である。
現代における哲学者の課題は、「神を前提としない、いかなる倫理が可能か」に答えることである。現代人はもはや神を信じていない。しかし、ほとんどの西欧人は、神を前提とせずには倫理は不可能だと考えているのである。だから、彼らは日本人が神を信じていないというと、日本にはモラルは無いのか、と考えてしまうのである。これはもちろん大きな誤解で、大半の日本人は大半の西欧人よりも道徳的にすぐれている。いや、すぐれていたのである。現在はそのモラルも怪しくなってきているが、かつての日本人は神をも仏をもあまり真剣に信じてはいないのに、世界でも稀なモラルのある社会を作っていた。その日本人なら「神無き社会のモラル」の可能性について深い考察ができるはずだ。しかし、日本の哲学者は西欧の哲学の輸入とライセンス販売をする商売人だけである。ドストエフスキーの作中に言われた「神がいなければすべては許される」というテーゼに対し、哲学者はどう答えるのだろうか。

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