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徽宗皇帝のブログ

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メモ日記「政治・社会」19
#166 社会の遠近感

「自分と仲間以外はみな風景」というのは、現代の若者について述べた宮台真二の名言だが、実は若者が社会から切り離された存在であるというのは、日本では昔からそうなのである。そもそも、学校で学ぶことのすべてが、社会から見事に切り離されている。学校で学ぶことが社会に出て役に立つなどと考えている生徒はほとんどいないだろう。彼らは、高校受験・大学受験のためにそれが必要だから学んでいるのである。最も社会とつながっているように見える英語の勉強にしても、大学を出ても英会話一つできないのである。まして、大方の生徒にとって、数学や物理など、何の役にも立ちはしない。しかも、学校では、教師が政治的発言、すなわち社会批判をすることは暗黙のうちに禁じられているから、現実の悪は、教育の世界では存在しないものとされているのと同じなのである。つまり、教育の世界で子供は現実の社会から切り離されたフィクショナルな生活を送っている。こうした生活を送る子供たちが、社会に対し、現実感が持てなくなるのは当然だろう。しばしば、子供が思いがけない事件を起こすが、その原因には、この「現実感の無さ」があると思われる。彼らにとって現実は現実ではないのだ。だから、「切れる」と、平気で突拍子も無い行動ができる。
学校だけが現実ならば、それなりに覚悟もできるが、彼らも馬鹿ではないから、その背後にどす黒い現実社会があることは知っている。得体の知れない「現実」への不安が、彼らを破壊的行動へと向かわせるのではないか。かつての子供として、私にはそう思われる。

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