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メモ日記「政治・社会」25

#216 「進化」した世の中

進化論という思想は、生物学的にも妥当かどうか疑わしい思想だが、「自然淘汰説」自体は当然の考えだろう。つまり、「適者生存」である。だが、それは優れたものが生き残るという意味にはけっしてならない。単純な話だが、善人と悪人が戦った場合、善人には悪が為しえないのだから、あらゆる手段が可能な悪人に勝つはずがないのである。だから、自然淘汰の結果、より優れた存在が勝ち残るわけではけっしてない。こうした「進化論」への誤解があらゆる「進歩」や「変革」への礼賛となり、人々を休みなく働かせることになる。江戸時代には、平均的な町人は、ほとんどの仕事は午前で終わり、後はのんびりと風呂に行ったり遊んだりして暮らしていたという。それも当然の話であり、現代の我々の仕事の大半は無用の仕事であるのに、それを無意味に細かく差別化し、競争しあって忙しくしているだけなのだから。もちろん、それらの仕事の多くは「生活の快適」のための仕事であるから、それを有用と言うなら、話は別だ。江戸時代には電気もガスも自動車も無く、テレビもビデオも無いから、それら「便利な物」についての仕事が一切不要になり、その結果、人々はのんびりと過ごすことになったというだけのことだ。では、どちらが幸福か。おそらく現代の人間は、テレビもビデオも電車も自動車も無い生活は耐えがたいと思うだろう。はたしてそうだろうか。私は、おそらく、それらの存在しない世界に行ったとしても、一月もあれば慣れると思う。そして、前のせわしない世界を一種の地獄だったと思うだろう。

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