「世に倦む日々」ブログ記事の一部だが、政争やその背後関係については詳しいのに、新コロ問題については、なぜこれほど硬直した頭しか持てないのか。
いったい、どのようにしたら「ゼロコロナ」が可能だというのか。曲がりなりにもゼロコロナを達成した(らしい)のが中国とニュージーランドの2国しかなく、そのふたつとも特殊な国だ。前者は社会主義的な政治体制によって強権的に完全なロックダウンを行うことができ、治療もいわば「軍事的手法」でスピーディに断行できた。後者は何より、小さな島国であることが大きい。そしてこちらも最初期から徹底的なロックダウンが実施できた。島国で人口が小さいからできたことだ。これは台湾も同じである。しかし、それらの国も、今後変異種への対応が可能かどうかは未知数である。
それに対して日本はどうか。現段階では何をやっても「ゼロコロナ」は不可能であることは明白だろう。まあ、ここでは新コロウィルスは実在するという前提での話だ。ただし、その凶悪性に関しては、特殊感染症2類ではなく、せいぜいが5類相当だという意見は変わらない。そもそも、今となっては、コロナ死亡者が新コロウィルスによるものか、それとも新コロワクチンによるものか、もはや分からない状況なのである。
そういう状況で、はたして「ゼロコロナ」が可能かどうか、幼児でも分かりそうなものである。
今後の見通しとしては、毎年のインフルエンザ同様に、この秋から冬にかけてインフルエンザが流行し、それは「新コロ変異種」だとされるだろう。もはやウィルスが通常のインフルエンザウィルスか新型コロナかはどうでもいいのである。医者でも、判断は不可能だろう。
要するに、どこからどう見ても、「ゼロコロナ」など不可能なのである。とすれば、自民党などが言う「ウィズコロナ」は、新コロ詐欺の正体を知っているからだ、と推測できる。我々は、イベルメクチン等による「新コロへの勝利」が無いかぎり、延々と、それこそ永遠に「ウイズコロナ」世界で生きていくことになるわけだ。問題は、単なるインフルエンザの亜種(人工物だろう)にすぎない新コロではなく、それによる全人類奴隷化世界なのである。
「ゼロコロナ」の主張こそが、そういう「奴隷化」の正当化につながる、危険な主張なのである。危険な病気だから自粛も人権抑圧も仕方が無い、とされて、どんどん奴隷化は進行していくのだ。
(以下引用)
懸念される点は、今夏までは党のコロナ対策の基本として堅持してきた「ゼロコロナ」の方針を、選挙を機に枝野幸男が変えるのではないかという問題である。9月に入って、各方面から立憲民主党の「ゼロコロナ」に対して罵倒と嘲笑の攻撃が向けられている。総裁選のキャンペーンを通じて、自民党は「ウィズコロナ」のプロパガンダを執拗かつ大量にシャワーし、「ゼロコロナ」は無理で実現不可能な政策だと否定してきた。NHKなどマスコミがそれに追随・加勢し、「ウィズコロナ」「コロナとの共存」こそ唯一で普遍的な指針だと国民を洗脳し続けている。ワクチン接種の進捗と共に、第5波の収束と共に、「ウィズコロナ」のドグマを正当化して押し固める動きが急に強くなった。NHKの強引な報道姿勢の裏を読むと、「ウィズコロナ」の折伏工作の発信源すなわち指示元が、米国CIAであろうという見当が自ずと浮かぶ。深読みではあるが、「陰謀論」と一蹴できない問題だろう。世界で、「ゼロコロナ」の推進で成功しているのが中国とNZで、「ウィズコロナ」の路線で突破を模索しているのが米国や英国だからであり、属国の日本が中国と同じ方向を選択するのは具合が悪いという論理が想定される。日本も協調して、ワクチン打ちまくって「ウィズコロナ」のレッセフェールで行けという指導命令なのだ。
立憲民主党の変節を危惧する。「ウィズコロナ」とは、感染波の度に「自宅療養中死亡」で庶民が何百人と命を落とすネオリベの政策系だからである。働いて国民皆保険を支えてきた善良な国民が棄民される。入院して治療を受けることができない。8日に発表された市民連合の「野党共通政策の提言」の中にも、実は「ゼロコロナ」の文言がない。消されている。共産党まで含めて、野党は「ゼロコロナ」を棄てるのだろうか。
いったい、どのようにしたら「ゼロコロナ」が可能だというのか。曲がりなりにもゼロコロナを達成した(らしい)のが中国とニュージーランドの2国しかなく、そのふたつとも特殊な国だ。前者は社会主義的な政治体制によって強権的に完全なロックダウンを行うことができ、治療もいわば「軍事的手法」でスピーディに断行できた。後者は何より、小さな島国であることが大きい。そしてこちらも最初期から徹底的なロックダウンが実施できた。島国で人口が小さいからできたことだ。これは台湾も同じである。しかし、それらの国も、今後変異種への対応が可能かどうかは未知数である。
それに対して日本はどうか。現段階では何をやっても「ゼロコロナ」は不可能であることは明白だろう。まあ、ここでは新コロウィルスは実在するという前提での話だ。ただし、その凶悪性に関しては、特殊感染症2類ではなく、せいぜいが5類相当だという意見は変わらない。そもそも、今となっては、コロナ死亡者が新コロウィルスによるものか、それとも新コロワクチンによるものか、もはや分からない状況なのである。
そういう状況で、はたして「ゼロコロナ」が可能かどうか、幼児でも分かりそうなものである。
今後の見通しとしては、毎年のインフルエンザ同様に、この秋から冬にかけてインフルエンザが流行し、それは「新コロ変異種」だとされるだろう。もはやウィルスが通常のインフルエンザウィルスか新型コロナかはどうでもいいのである。医者でも、判断は不可能だろう。
要するに、どこからどう見ても、「ゼロコロナ」など不可能なのである。とすれば、自民党などが言う「ウィズコロナ」は、新コロ詐欺の正体を知っているからだ、と推測できる。我々は、イベルメクチン等による「新コロへの勝利」が無いかぎり、延々と、それこそ永遠に「ウイズコロナ」世界で生きていくことになるわけだ。問題は、単なるインフルエンザの亜種(人工物だろう)にすぎない新コロではなく、それによる全人類奴隷化世界なのである。
「ゼロコロナ」の主張こそが、そういう「奴隷化」の正当化につながる、危険な主張なのである。危険な病気だから自粛も人権抑圧も仕方が無い、とされて、どんどん奴隷化は進行していくのだ。
(以下引用)
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立憲民主党の変節を危惧する。「ウィズコロナ」とは、感染波の度に「自宅療養中死亡」で庶民が何百人と命を落とすネオリベの政策系だからである。働いて国民皆保険を支えてきた善良な国民が棄民される。入院して治療を受けることができない。8日に発表された市民連合の「野党共通政策の提言」の中にも、実は「ゼロコロナ」の文言がない。消されている。共産党まで含めて、野党は「ゼロコロナ」を棄てるのだろうか。
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