「世に倦む日々」ブログの最新記事だが、どうも記事筆者の考え方が教条主義的すぎるような気がする。つまり、善行を為す人間はあくまで聖人的存在でなければならない、というドグマがここにはあるのではないか。
この記事の問題は、「子ども食堂」の存在で助かっている無数の子供たちが存在している、という事実が軽視されすぎていないか、ということだ。仮に、このプロジェクトに政府から補助金が出ていて、活動が黒字であったとして、その何が問題なのか。湯浅誠がそこから巨額の給与を得ているとか、着服している、という話にはなっていない。単に「子供の貧困を救うのは政府がやるべきで、ボランティアなどに頼るべきではない」という教条主義しかここには無い。たとえ、その活動に日本財団が出資していようが、「善行」なのだから結構なことではないか。
それとも、日本財団はショッカーのような(古い譬えで済まないwww)悪の集団で、競艇などというギャンブルで暴利を得ている上に、創設者が笹川良一という右翼であるから、そこのすることは善行であってもすべて否定すべきだ、という考えなのだろうか。
まあ、善人がやる善行だろうが悪人がやる偽善だろうが、それが誰かを救済しているなら、それで結構ではないか、としか私は思わない。
湯浅誠は自分で動いて、多くの子供を飢餓から救った。で、この記事の筆者はブログを書く以外に何か救済活動をしたことはあるのだろうか。聖人でも、何か些細な手落ちや欠点があれば「百日の説法屁ひとつ」で吹っ飛ぶのか。
(以下引用)
この記事の問題は、「子ども食堂」の存在で助かっている無数の子供たちが存在している、という事実が軽視されすぎていないか、ということだ。仮に、このプロジェクトに政府から補助金が出ていて、活動が黒字であったとして、その何が問題なのか。湯浅誠がそこから巨額の給与を得ているとか、着服している、という話にはなっていない。単に「子供の貧困を救うのは政府がやるべきで、ボランティアなどに頼るべきではない」という教条主義しかここには無い。たとえ、その活動に日本財団が出資していようが、「善行」なのだから結構なことではないか。
それとも、日本財団はショッカーのような(古い譬えで済まないwww)悪の集団で、競艇などというギャンブルで暴利を得ている上に、創設者が笹川良一という右翼であるから、そこのすることは善行であってもすべて否定すべきだ、という考えなのだろうか。
まあ、善人がやる善行だろうが悪人がやる偽善だろうが、それが誰かを救済しているなら、それで結構ではないか、としか私は思わない。
湯浅誠は自分で動いて、多くの子供を飢餓から救った。で、この記事の筆者はブログを書く以外に何か救済活動をしたことはあるのだろうか。聖人でも、何か些細な手落ちや欠点があれば「百日の説法屁ひとつ」で吹っ飛ぶのか。
(以下引用)
子ども食堂を貪欲に増やす湯浅誠の野望と日本財団の吸血
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