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徽宗皇帝のブログ

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憲法改定という「パンドラの箱」
「大摩邇」所載の「達人さん」(ブログ名自体が「達人『さん』」かどうかは不明)の記事で、非常に長いインタビュー書き起こしだが、全体を読む価値がある。ただし、ここではほんの一部だけ抜粋して載せる。

(以下引用)


伊藤 はい、分かりました。僕が混乱するのは、日本で憲法の話になると「押しつけ」かそうでないかとなって、結局その話に集約されてしまうことが多いことです。

ベアテ ええ、知ってますよ。

伊藤 これは僕の勝手な推測ですが、なぜ「押しつけ憲法」という議論になるかと言ったら、やっぱり『9条』の存在があるからで、要はさっきもお聞きしたように、もしもベアテさん達みたいな人じゃない人達が憲法を作っていたとしたら、戦勝国としてアメリカの都合の良いように作ろうとしていた場合も、同じように『9条』が入っていたんじゃないかと思っている人が多いと思うんです。言っている意味は分かりますか?

ベアテ ええ、もちろん。

伊藤 つまり、戦勝国として「軍事力を持たせない」という意図と、そもそも「戦争が二度と起きて欲しくない」と一般の日本人の平和への想いは、お互いにルーツは違うけれども、憲法として出来あがった時には結局同じような条文として表現される。勝った国が負けた国に対して「軍事力を持つな」と言うことと、僕ら日本人が「やっぱり戦争は嫌だ」と思うことの違い…。その棲み分けがうまくできなくて、僕はいつも混乱してしまうんです。

ベアテ ええと、その場合はそうですね…。どういう風になるか…。他の人達はどう思うか…。

伊藤 まあ、難しい質問ですよね。

ベアテ 難しいですよ、これはとても。みんなが私に言うのは、多分私達が草案を作っていなければ、他の人達が憲法を書いていたなら、あんまり良い憲法にはなっていなかったでしょうということ。あなたが言う通り、普通は戦勝国が自分の為に利用したいと思うでしょう。しかしあの時はちょうど、マッカーサーと国はそういう考えではなかった頃です。少なくとも、私達が憲法を作った時には、そういう考え方はあまりなかった。けれど、それから数ヶ月後に「Cold War(冷戦)」が始まった時には変わったと思います。アメリカでも。だから、もう少し後に憲法を作っていたら、多分もっと違うものになっていたでしょうね。アメリカの為の、戦勝国の為のものに。

伊藤 もしも「時期」が違っていたらということですね。

ベアテ 私はそう思います。確かにそうでしょう。でもあの憲法草案時は、それがまだだったの。これは全部ロシアについてのことですよ。

伊藤 はい、分かってます。

ベアテ Cold Warはすぐに始まったじゃない? 始まったのは、トルーマン大統領のあの有名なスピーチをした時。

伊藤 はい、そうでしたね。

ベアテ 確かすぐ後だったと思います。その時期を正確に知りたいですか? 主人が知っているかもしれない。

伊藤 いえ、大丈夫です。

ベアテ そうね。調べることできるものね。ところで、土井たか子先生が私に言ったことは興味がありますか?

伊藤 もちろん聞きたいです。

ベアテ 聞きたい? 私が土井先生と一緒にイベントに出演した時のことです。私は「土井先生、あなたと同じイベントに出るのは私はとっても恥ずかしいです。だって、あなたは憲法の研究者で、Professorです。私は本当に法律の素人です。本当に素人なんです」って言いました。

伊藤 確かにそうですけど、そこまで恥ずかしがらなくても(笑)。

ベアテ 「私は弁護士じゃないですから」とも言ったんです。そうしたら土井先生が言ったのは「あなたが弁護士じゃなかったから、こういう“女性の権利”について書くことができたんだと思います。もし弁護士だったら、たった9日間でこういうものは書けない。“この意味はこうで”とか、“この権利はどうでしょうかね”とか言って、とても大騒ぎになって書けなかったと思う。あなたの条文を読むと、それが心から出てきたっていうことが分かります。あなたが心から書いたものだから、弁護士みたいな他の人には書けなかった」と言ってくれました。土井先生の指摘は、本当にそうだと思ってます。私は本当に心からあの権利を望んでいました。だから、土井さんの話を聞いた時、私は思わず泣いてしまいました。でも、日本人だったら、偉い人の前で泣くのは駄目なことでしょう?

伊藤 そうですね。

ベアテ 私は「そういう気持ち」も全部日本から教わったんですよ。日本の習慣では、子供を産む時でさえ女性が「ああ~ッ」とscreamしちゃいけなかったんです。でも、最初にアメリカで子供を産んだ時、私はscreamしちゃいました。「scream」って分かりますか?

伊藤 はい。叫んじゃったんですね(笑)。

ベアテ 私の夫はベッドの傍にいて、私が「あら、今screamしてしまったでしょ?」って聞いたら、夫が「構わないですよ。ここにはいろんな女性がいますが、みんなscreamしてますから」って。でも、私は「それはみっともないことだと思います」って言ったの。その時、ちょうどお医者さんが入って来て、夫が「ベアテは、今とってもナーバスになっています。それはscreamしたからです」と伝えると、お医者さんも「私はあなたの為にメダルを持って来てたんだけど、screamしちゃったんならあなたにメダルはあげられないね」って。

伊藤 そう言ったんですか(笑)。

ベアテ そう。そう言って笑ってるの。夫も笑っているんですよ。私は痛くてしょうがないのに(笑)。だから、私は「なぜ笑ってるんです?」って言ったら、お医者さんが「泣いた方いいですか?」って。まあ、やりとりはそれで終わりで、その後出産するんだけど、とにかく当時の私は本当に日本人みたいな考え方だったんです。
 だから「女性の権利」については、本当に心から望んでいました。多分、他のアメリカ人だったら同じ気持ちにはならなかったでしょう。特に男性はね。アメリカ人も、当時の男性はそんなに進歩的ではなかったですからね。それは土井先生が言う通りです。でも、その考えがそんなに進歩的なことだとは私は思っていなかった。あたり前のことだと思っていましたから。確かに、他の国の憲法にもそういう条文が全部揃っているのはなかったけど、ある国の憲法にはある権利が書いてあって、別の国の権利条項には違うものが入っていた。それを、全て私は集めた。私の考えで、いろんな国から一番良いと思う権利をみんな「one constitution」に入れたんです。だから、日本のある専門家が言っていたのは、「GHQが全世界の叡智を調べて、それを日本の憲法に集約したみたいだ」って。アメリカの憲法とも違う。そう、ジェームス三木さんがそれを言っていました。「歴史のwisdom(知恵)がそこに入っている。だから、世界中が一緒に書いたみたいだ」って。私は本当にその通りだと思います。憲法を作った私達20人くらいの中には、1人か2人は法律の専門家だったんですけど、大体はそうじゃない普通の人達だった。先生とか役人とか、そういう人達。4人は大学の教授だった。他にも、普通のビジネスマンみたいな人が数人いて。社会のいろんな立場から来た人達が集まっていたんです。

伊藤 まさに、だからこそ、法律の専門家とは異なる柔軟な発想で、他国の憲法を集めてきては「これは良い条文」って素直に選択できたわけですよね?

ベアテ そう。だってね、誰も私達が憲法を作るなんて考えてなかったんですよ。全然考えていなかった。当初、マッカーサーは「日本の政府が書きなさい」って命令していたんですもの。でも、日本政府の案はあまりにも以前と変わらない憲法草案だったから。本当に明治の頃と同じ。ちょっとだけ違う漢字を使ったり、ちょっとだけ何か違う表現だったり。でも、何にも変わってなかったんです。『ポツダム宣言』には、民主的な憲法を「その国」が書かなければならないって書いてありました。それを命令していたの、マッカーサーに。でも、提案されてきたものは全く民主的な案じゃなかった。だから、憲法草案を作るとは思ってなかったところに、あの週末に突然決まったんです。金曜日か土曜日に。私達は月曜日に知りました。ケーディスさんも知らなかった。いや、彼はおそらく日曜日には知っていたのかもしれない。ホイットニーは、金曜日か土曜日には知っていたと思う。だって、マッカーサーはとてもホイットニーのことを…

伊藤 信頼していた?

ベアテ そう。面白いのはね、マッカーサーの事務所はすぐ近くだったんです。私達のGovernment Sectionと。

伊藤 同じフロアじゃなかったんですか?

ベアテ 同じフロアどころか、隣のオフィスだった。ケーディスさんは、マッカーサーと二回だけ話をしたことがあったそうです。二回だけ。後は、全部ホイットニーを通してマッカーサーの耳に情報が入っていたみたい。

伊藤 そうなんですか!

ベアテ そう、たった二回だけ。だから、実際はケーディスさんからいろいろな考えが出ていた。彼の頭の中から。Government Sectionのことだけじゃなくて、他のセクションのことも。私から見ると、ケーディスさんが指導者だった。

伊藤 しかし、マッカーサーと直接話したのはたった二回だけとは驚きですね。

ベアテ 二回だけ。マッカーサーは私達にとっては「天皇陛下」みたいな存在だったんです。もちろん、ホイットニーとかウィロビーとかそういう人達は話をしていたみたいだけど。毎日、報告に行くものだと思っていたから、私もびっくりしましたよ。

伊藤 そりゃそうですよね。

ベアテ 実際は、全部ホイットニーを通して。でも、ホイットニーはとてもケーディスさんのことを好きだったの。彼が優れたブレインだっていうことを分かっていたんでしょうね。

伊藤 その話を聞いた後に聞くのも何ですけど、ベアテさんがマッカーサーと直接話すなんてことは…

ベアテ 私はカクテルパーティで一回会ったことがあります。

伊藤 「会った」という程度なんですか?

ベアテ ええ。「会った」ってそれだけ。あの人は女性嫌いだったんです。特に事務所で勤めている人に対しては。彼の事務所には、全然女性はいなかった。男性だけです。

伊藤 じゃあ、隣のオフィスという距離なのに、ベアテさん達が会ったのはそのカクテルパーティのわずか一回というような関係しかなかったんですね。

ベアテ いつだったか、ちょうど私がエレベーターに乗ろうとしている時に、マッカーサーが食事から帰って来て、ロビーで見ました。でも、私は隠れました。会いたくなかったんです。怖かったですね、とっても。マッカーサーは怖かった。彼は、自分の奥さんのことは愛していたと思いますけど、女性に関して何かトラブルがあったみたいです、オーストラリアで。ある将軍が、自分のジープの女性ドライバーと情事があって、スキャンダルがあったんですよ。その後、マッカーサーは自分の事務所に女性は配属しないようにって命令したの。あっははは、いろんな面白い話を思い出しました(笑)。

伊藤 すごくリアルな話です。しかし、ケーディスさんでもたった二回なんて…。それが本当にびっくりです。

ベアテ 私もびっくりした。Oh, is that possible? General did not talk to anybody.

伊藤 そんな話は資料を読んでいてもなかなか出てこないです。

ベアテ 出てこないでしょうね。私も二年前までは知らなかったですから。あ、いや、四年前ですね。ケーディスさんが亡くなる前に会ったんですよ。ニューヨークにいた時に、時々は会っていました。ケーディスさんが帰って来た後、時々お食事に行くとかそういうことがありました。

伊藤 そうだったんですか。

ベアテ あの人は弁護士で、大きい弁護士会社のパートナーだったんです。だから、会う機会がありました。まあ、頻繁にじゃないですけど。あの人は、私のことも、私の夫のことも好きだったんです。うん、好きだったの(笑)。ケーディスさんを正式にインタビューしたこともありました。コロンビア大学が「日本の占領期」についてファイルを作成しようとしていて、その時に大学側が私に頼んで、私はいろいろな人達をインタビューしたんです。

伊藤 GHQの憲法草案に対して、日本側が「この“女性の権利”の条文は進歩的すぎる」と反対した時に、それに反論して認めさせたのが、確かケーディスさんでしたよね?

ベアテ ケーディスさんは、私の「日本女性の権利」に対する想いには反対しなかった。ただ、詳細に書くことは「憲法には合わない」と思っていて、その他の社会福祉関連の権利は「民法に書く方が良い」という考えでした。私も随分そのことについて考えてみました。あの人はアメリカ憲法のことについて詳しかった。他の『Steering Committee(舵取り委員会)』の人もみんなアメリカ憲法をよく知っていたんです。政府に勤めていた人達だったから。一人は「Governor of Puerto Rico(プエルトリコ政府)」のラウルさん。そしてもう一人はハッシーで、似たような立場。あの人達はいつでも「アメリカ憲法こそが一番良い」と思っていた。あるでしょ? ずっと以前からこうだったんです。ヨーロッパの憲法なんか読んでいなかった。アメリカ憲法には、そういう社会福祉関連の条文がないんです。だから、その三人は「それは憲法には合わない」って。「それは憲法という法律の趣旨とは違うものだ」って。憲法というのは何か…

伊藤 「Principle(信念)」 みたいなものってことですか?

ベアテ そう。だから「それはいらない」って。憲法に入らないとしても、ケーディスの立場からすればそんなに問題じゃなかった。民法に入れればいいと思っていたから。でも、私は「民法を書く人達は、絶対そういう考えを、社会福祉のことを書かないと思う」って言ったんです。なぜなら、「日本の官僚はとっても封建的な人達ですから」って。それを私は経験として知っていました。
 日本に暮らしていた時、私はパパとママの通訳をしていたんです。暮らしていると、警察とかいろいろ接する機会があるでしょ? 時々、日本の官僚に会わなければならないことがあった。私は通訳として話していたから、幼いながらも「こういう人達はイマジネーション(想像力)がない」と思っていました。とても保守的だということも。そういう人達は、こういう権利のことは自分からは書かない。もちろん、憲法に書いてありさえすれば、それが命令だから書く。でも、憲法に入っていなければきっと書かない。そのことについて、私は本当に随分と考えました。ケーディスさんが亡くなった後もずっと。彼と他の二人は、社会的な条文を具体的に憲法に書くことを「本当にみっともない」と思っていたんです。けれど、ケーディスさんはそういう社会福祉の考え方については反対ではなかった。もしかしたら、嘘をついていたかもしれません。私には本心は分からない。当時、彼が私に言ったことは、「心配しないで。私はまだ日本に長くいますから、その間民法を注意深くチェックしますよ」と。本心だったかどうかは分かりません。
 私が一つ思うのは、私の娘が弁護士になりたかった時にケーディスさんに電話して、「あなたの会社に入れるでしょうか?」って聞いた時のこと。そしたら彼は「娘さんはとても頭が良いから入れますよ。でも、これだけは伝えて下さい。私がこの弁護士会社にいる間は、女性はトップになれません」って言いました。あの会社には、パートナーが10人ぐらいいて、その人達が一番儲けて、決める人達。彼がそこにいる間は、女性はそういう立場にはなれないって言ったんです。その考え方は、もちろんちょっとねえ…

伊藤 彼の本心がそこに表れていたかもしれないってことですね?

ベアテ 私の娘のミキちゃんにそれを言ったら、「それじゃあ、私はそこには行かないわ」って。もっと違う別の良い会社に入りました。ミキちゃんは今52才ですから、今からもう30年前の話ね。とにかく、ケーディスさんはあの時にそう言いました。確かに、ケーディスさんが辞めた後は、すぐに一人の女性がトップパートナーになりました。だからそこに関してだけは、私は彼の考えに疑いがあります。だって、そういう考えであれば、社会福祉のことに関してもね…

伊藤 なるほど、そうですね。

ベアテ 今となっては分かりません。あの人の本心は。確かだったことは「あなたの書いたものに私は反対していません。民法には入りますよ」ということだけ。本当に土井先生が言った通りですね。弁護士の考え方と、私のような普通の人、素人とは考え方が違うんです。

PART3 世界の過去と未来と憲法9条。

伊藤 今日本では、「改憲」か「護憲」かの議論が盛んにされています。政治的な文脈で、改憲派か護憲派というと難しい議論になってしまうので、そうではなくて、もしも今ベアテさんが日本にいたとして、例えば日本人だとしたら、憲法を変えたいと思いますか? というのは、先ほど話していたように、ケーディスさんとのやりとりの中で、憲法に入れられなかった内容もいくつかありますよね? それをやっぱり入れたいと思いますか?

ベアテ 私は「Amendment(修正)」することは危ないなと感じています。それはちょうど「パンドラの箱」みたいなものだと思っていましたから。その「パンドラの箱」を開ければ、何が出てくるでしょうか? 例えば、「第何条かを変えるために改正しましょう」と言った時、本当にそれだけを変えるのだったら良いかもしれませんが、私はそうなる気がしない。「パンドラの箱」って分かりますか?

伊藤 はい、分かります。

ベアテ それを開ければ、何が出てくるか分からない。

伊藤 「憲法を変える」ということと「パンドラの箱を開ける」ことは同じということでしょうか?

ベアテ もちろん。だって、もし一つ変えたなら、また次にやりますよ。またやれる。私が思うのは、「パンドラの箱」を開けなくても、いろんな日本人が今望んでいる変更に関しては「民法」に入れればいいと(笑)。

伊藤 なるほど(笑)。

ベアテ 憲法はノータッチにしてね。民法に入れたらどうですか? 議会がいつでもいろんな法律を作ることができますでしょ?

伊藤 ベアテさんが今おっしゃった意味はすごくよく分かります。それについて2つ質問があります。ベアテさんがそう思う理由としては、日本の戦時中、いわゆる軍閥政府の頃を「日本の政治家」のイメージとして持っているからなのか、もしくは、憲法というものはそもそも変えるべきでないということなのか。つまり、例えばアメリカの憲法に対しても、同じようにずっと変えずにいるべきだと思っているのでしょうか?

ベアテ いいえ、そうじゃないんです。私は、60年前の戦時中の状態を、軍閥の性質を考えれば、人はそんなに早く変わらないのではないかということです。60年というのは「短い」時間です。封建的な国から、本当にモダンな進歩的な国になるのには、私は時間がかかると思うのです。それは私の考えです。例えば、ある人はこんなことを言ったんです。若い女の子がある男の子と結婚したい。でも、ちょっといろいろな欠点がある。でもその女の子が言うには、「私と結婚すれば、この人を変えることができる。私がこんなことをすれば、あの人の性格は変えられますよ」って。私にはそれは言えない。18歳くらいになると、もう大体人格が形成されている。私の夫は、結婚当時と比べても全然変わらないですよ(笑)。私も変わっていない。そういう考え方なんです。だから、60年という時間は私の心境としては全然長い時間じゃない。だから怖いんです、「パンドラの箱」が。

伊藤 なるほど、おっしゃっている意味が分かりました。

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コメント

1. 無題

ベアテ・シロタ・ゴードンさんロングインタビュー
http://www.shinyawatanabe.net/atomicsunshine/BeateSirotaGordon/interview
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