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メモ日記トゥディ「断片的思索 2」 10.3.21  

・常用漢字の中には、一般人がけっして「常用」しない漢字がたくさんある。「陛」「朕」「后」などの皇室用語と法律用語である。なぜこれらを「常用」漢字としなければならないのか、疑問であり、むしろこれらの漢字が常用されるのは恐ろしい時代なのではないかと思われる。
「子供が誘かいされた」のように書くのは確かに間が抜けてはいるが、子供が〈ゆうかい〉されるのが日常的であっては困る気がする。常用と言うからには、やはり一般人が日常的に用いる漢字に限定するのがよいのではないか。
ちなみに私は「憂鬱」や「薔薇」という漢字は書けるが、「誘拐」の「拐」は書けなかった。なぜなら、私にとって憂鬱も薔薇も日常的な概念や存在だが、〈ゆうかい〉を身近に経験したことは無いからだ。ミステリー作家以外で、「誘拐」という漢字を書ける人間が、はたしてどれくらいいるのだろうか。

・音楽が与える効果(快感や感動)については、計算できる部分とできない部分がある。曲の終わりをシやレなどからドで結ぶ時の安定感や安心感は計算できる部分だろうが、たとえば「ベティ・デイビスの瞳」のキム・カーンズの声の魅力は、計算できないものだろう。けっして美声ではなく、むしろしゃがれ声、かすれ声であるにもかかわらず、聞いて心地よい声というのがあるのだ。トム・ウェイツの声なども同じである。その一方で、オペラ的美声が、何一つ感動を与えないということもある。(これは男性テノールに多い。ソプラノの、『魔笛』の夜の女王のアリアなどの超絶的歌唱になると、やはり感動的である)
注:私は1970年代以降の音楽シーンには疎いので、上に書いたキム・カーンズやトム・ウェイツもかすかにしか知らない。

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