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徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

今の日本人に必要なのは「公憤」、つまり政治と社会への怒りと、行動である
昔、非常に若いころに読んだ誰かの文章で、「学生のころに教師から『批判精神の無い人間はダメだ』と言われたことが強い印象に残っている」、という内容のものがあって、それが私自身に強い印象になっている。その当時は「批判精神」というもの自体を何か、他者を傷つける悪い物のように思っていたナイーブな、つまり子供レベルで無知だった私には、批判精神を肯定する言説が不思議であったわけだ。その私が今では政治批判、社会批判が大半で、あとは不細工な冗談だらけのブログを書いている。これは劣化なのか進歩なのか。
少なくとも、自分が読むにしても現在の私は鋭い批判精神に満ちた文章が一番面白い。「楽しい」や「好きだ」だけの文章は、いわば寝心地のいい寝床でまどろむようなもので、気持ちはいいが、その寝床から一歩も出られない。つまり、社会の大半がそういう人間だけだと政治を悪意で動かす人間たちにとっては非常に都合がいいのである。


(以下引用)


小田嶋隆
@tako_ashi
人々の感情はさまざまです。個人的には、2月からくすぶっている黒川氏の定年延長問題が、後付けの法改正というあからさまな形で決着(←しかも強行採決で)しかかっている現在のタイミングで、「怒り」や「失望」の感情をエンジンとしたツイートが増加しているのは自然なことだと考えています。
引用ツイート
たられば
@tarareba722
·
何度か書いているけど、SNSを含むメディアというものは、「情報」は「感情」というエンジンに乗って四方八方に飛んでゆきます。その感情が強く鋭いものであるほど、遠くまで飛んで深く刺さる。だからもし選べるなら、選ぶことができるなら、「楽しい」だとか「好きだ」というエンジンに乗せたい。

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