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徽宗皇帝のブログ

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君主制の「見えない制約」のこと
トイレで「大」をする暇つぶしにトクヴィルの「アメリカの民主政治」を読んでいたら(ふだんはこんな固い本はまったく読まない。漫画か大衆小説だけだ。だが、一日に数分くらいは「勉強」もいい気分転換なので、トイレの時だけはわりと真面目な本を読む。一日数行程度で終わっても、面白い発見があることが多い。)、こういう一節があった。

(以下引用)赤字部分は徽宗による強調。訳は井伊玄太郎によるもので、他の部分には悪文や難文が多い。新訳が欲しい。

王権の周りには意見と風習とが、よくは知られていないがしかも強力な防壁を高く築きあげていた。
宗教や臣民への慈愛や君主の温厚や栄誉や家族精神や地方の偏見や慣習や世論などは王権を制限して、王の権威を眼に見えない限界内にとじこめていた。
当時では、諸民族の政体は独裁制であったが、風習は自由であった。君主は何でもなす権利をもってはいたが、これを行う能力も願望ももっていなかった。
かつては圧政をおしとどめた防壁は今日残っているだろうか。

(徽宗注:以下の部分を読むと、宗教や道徳が無力化したこと、連続した革命のために君主への崇敬の念が消えたことなどのため、つまり「圧政をおしとどめた防壁」が消えたため、君主は国民に遠慮せずに権力を濫用することができるようになったと書かれている。もちろん、私は君主制に反対し民主主義を支持する者だが、トクヴィルのこの指摘は、いわば「政治心理学」として非常に興味深い。)

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