忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

戦争帰りの兵士たちが社会に持ち込んだ暴力が今の悲惨な日本を作った
久しぶりに「in deep」から転載。
この記事の筆者氏(名前は失念)は、「自分が子供のころには実の親から虐待されたという話は聞いたこともなかった」と言っているが、私も同じである。暴力そのもの(子供同士の喧嘩など)はあっただろうが、親から子への暴力というのはほとんど聞いたことが無い。そういうものを初めて知ったのは梶原一騎の「巨人の星」だったような気がする。
つまり、軍隊帰りの兵士が親になって、軍隊で受けた体罰を学校や家庭やその他の組織の中に持ち込んだわけで、あの漫画の中の星一徹は、子供にビンタする、ちゃぶ台返しをする暴力的な親もこの世にはいるんだ、と読者の子供たちにショックを与えたのだが、ある意味、今の時代の予兆があの作品にはあったわけだ。なお、梶原一騎の弟の真樹ヒサオ(漢字は失念)氏も、学校内の暴力というセンセーショナルな作品である「ワル」という作品で子供たちに衝撃を与えたものだ。これも今の学校教育での暴力やいじめの祖先のひとつだろう。

もちろん、だからと言って漫画が子供に悪影響を与えるから禁止しろ、という話ではない。私もこれらの作品を愛読したが、自分では喧嘩ひとつもしたことのない弱虫に育ったのであるww



(以下引用)



先程書きました過去記事「革命的行動の最上位は「子どもたちへの無条件の愛」を獲得した社会に戻すこと」には、作家の渡辺京二さんの著作『逝きし世の面影 』から、今から 120年くらい前の日本の「日本人の子どもへの態度」について、いくつか抜粋させていただいていますが、たとえば、1889年(明治22年)に来日し、慶応大学で客員講師として教えていたエドウィン・アーノルドという人は、当時の日本について以下のように書いています。


『逝きし世の面影』第十章「子どもの楽園」より

エドウィン・アーノルドは 1899年(明治 22年)に来日して、娘とともに麻布に家を借り、1年2ヶ月滞在したが、「街はほぼ完全に子どもたちのものだ」と感じた。


「東京には馬車の往来が実質的に存在しない。 従って、俥屋(くるまや)はどんな街角も安心して曲がることができるし、子どもたちは重大な事故をひき起こす心配などはこれっぽっちもなく、あらゆる街路の真っ只中ではしゃぎまわるのだ。


この日本の子どもたちは、優しく控え目な振る舞いといい、品のいい広い袖とひらひらする着物といい、見るものを魅了する。手足は美しいし、黒い眼はビーズのよう。そしてその眼で物怖じも羞かみもせずにあなたをじっと見つめるのだ」


「日本ほど子どもが、下層社会の子どもさえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、小髷をつけた子どもたちが結構家族全体の暴君になっている」。


モースは言う。


「私は日本が子どもの天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」



この『逝きし世の面影』には、このような、当時の日本に来た外国人たちが記した資料が数多く掲載されているのですが、その要点はも上の抜粋の、



> 世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい。



に尽きると思います。



社会が「子どものために動いている」。



そして、その当事者である子どもたちは、



「朝から晩まで幸福だった」



と。



このような状態の国に「体罰を規制するための法律が必要となるでしょうか」ということを私は先程書きたかったのです。



リンクした過去記事に私は以下のように書いていました。



当時のその子どもたちは、スエンソンの言うように、「どの子もみんな健康そのもの、生命力、生きる喜びに輝いており」というのなら、その数年後、十数年後には、そのような「生きる喜びに輝いている」子どもたちが「社会の中心となっていく」のです。


「生きる喜びに輝いている子どもたち」が大人になり築き上げる社会が良くなるか悪くなるか・・・というと、「悪くなる道理がない」です。


こういう社会が良くなるのは、ある意味当然であって、江戸時代の大衆社会が素晴らしかったのは、そのためであることに疑う余地はありません。


このメカニズムから考えると、今の社会を変えるには「徹底して子どもたちのための社会にする」ということだけのようにも思います。


そうするためには、いかなる社会的制度も不要ですし、議論も設備も不要で、必要なのはただひたすら「大人ひとりひとりが子どもたちを愛する」という行動だけです。そして、これは形の上だとか、中途半端なものではダメで、子どもたちのためなら、あらゆることを犠牲にしても、徹底的に、無条件に、子どもたちへの愛だけを考える。


制度や議論はむしろ愛を後退させます。



このように、私は当時も、「制度で愛を作り出す」ということに嫌悪を感じていました。



社会に出るまでの私の中には「親から子への暴力」ということは概念も存在していなかったのに、それはわりと普通のことだと知ってしまって、この日本の何に希望を持てと?





拍手

PR

コメント

コメントを書く