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徽宗皇帝のブログ

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時事漫想
このブログは、自分自身の思考の補助と記録のために書き始めたものである。記録を自分で持っていても、私は記憶力がゼロに近いから、その記録がどこにあるか忘れてしまう。それよりは、公開しておけば、どこかの誰かのパソコンに残ることもあるだろう、というのが自分の考えを公開する理由である。まあ、自分の思考を公開するのは、他人の前で裸になるようなものでもあるが、今更それを恥ずかしがる年齢でもない。
今日は少し雑談風に、散漫な政治的随想を書いてみる。



さて、菅総理が八月頃の退陣を表明した。
つまり、小沢・鳩山連合は、「民主党は無傷のままで菅総理を辞任させた」わけである。
彼らの行動は、実に見事なまでの「最適解」だったわけだ。
小沢・鳩山を非難していた人々は、これをどう思うだろうか。


私が前に書いた鳩山前総理についての評価や、民主党政権内部の政治家の行動の意味についての推測も正しかったと少々自慢したい。
もちろん、私も菅総理の自発的退陣までは予測していなかったが、彼らの行動が米国の背後支配を前提としてのものだという推測は、おそらく正しかったと思う。おそらく、鳩山・菅会談の中で、「米国支配下における総理の存在意義」が語られたのではないか。でなければ、「権力亡者」の菅総理の「自発的辞任」などありえない、ということになる。彼に辞任を決意させたのは、鳩山の私心無き説得と、その後の、「菅総理続投表明」後の怒りの発言だろう。

鳩山がただのバカだと他の政治家に思われていたら、これほどの影響力を持ち得るだろうか。
鳩山前総理は馬鹿どころではない。いや、馬鹿かもしれないが、有象無象の「賢い人たち」よりもずっと優れた人物である。人を信じる人間は馬鹿だと「賢い人たち」は言う。しかし、人間は、自分を信じてくれる人間を裏切ることはなかなかできないものだ。それが「誠心誠意」ということの強さだ。こうした「私心無き誠意」があるかどうかが、政治家としての最高の資質なのであって、ただの頭の良さならば官僚どもを道具として使えばそれでいいのである。

もちろん、小沢・鳩山を非難していた人々は、私のこの言葉はただの結果論だと言うかもしれないし、実際、この結果は幸運な偶然かもしれない。しかし、小沢鳩山の「脅しと諌言」がなければ、菅総理の退陣決意もなかっただろう。
というのは、権力者というものはアンデルセンの「裸の王様」に見事に表されたように、周囲から情報的に操作されている場合が多いからである。面と向かって諌言してくれる人間がいるかどうかが権力者の判断の正否の分かれ目になることもある。
鳩山はそれをやったのである。鳩山前総理に私心がないことは、菅総理にも分かっていただろう。だから、彼の忠告に従う気になったのだと思う。

米国に支配されたこの国で、政権政党を担っていくことは容易なことではない。マスコミや民間の多くの評者の政治に関する評言が的外れなのは、半分は意図的な人心操作だが、半分は「米国による日本支配」を知らないからだ。

話は変わるが、お笑いなのが「トモダチ作戦」である。
いったい、彼らが何をしてくれたというのか。原発のメルトダウンを知るやいなや、真っ先に日本近辺から逃げだし、何一つしなかったではないか。こういうのがトモダチ顔をするのだから、日本という国はどこまでなめられているのだろうか。
日本の若者も、アメリカかぶれはもうやめるが良い。アメリカという国は、もはや政治的にも文化的にも社会的にも破産した国なのである。今やただの泥棒国家である。

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