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徽宗皇帝のブログ

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表に立つ人間は文章表現にも注意を
「阿修羅」所載の植草一秀の文章で、内容には全面的に賛成。
ただ、氏の文章は端折りが多くて文意が取りにくい傾向がある。「阿修羅」内での賛同コメントが少ないことが多い気がするが、そのせいもあるのではないか。
以下の引用文の中で、氏が批判している、ある種の思想や立場が、前の文章と地続きなので、これが植草氏の意見の続きだと思って首をひねった人は多いと思う。
その部分を赤字にしておく。その冒頭の「自公の金属疲労が鮮明になっている」は、植草氏の意見でもあり、自公勢力を推進してきた側の認識でもあるから、誤解を招くのである。
簡明な文章は、勇み足で必要情報を抜いてしまい、誤解を生むもとでもある。英語だと、まず、主語を最初に置くものだ。それで誤解を避けられる。I think  とThey thinkでは大違いである。



(以下引用)



胡散臭い「SNSの勝利」説
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-8e0b71.html
2025年1月10日 植草一秀の『知られざる真実』


昨年来、政治に大きな変動が観測されており、2025年の変革が期待されている。


選挙ではSNSが威力を発揮して「オールドメディアの敗北」などと騒がれているが、私たちはそんな言葉に流されていないだろうか。


「オールドメディア」が敗北し「ニューメディア」が勝利すると言えば聞こえは良いが、実態としてはどちらも同根だろう。


メディアを用いて人心を誘導する。


この本質において違いはまったくないと感じられる。


「ニューメディア」でクローズアップされた面々を凝視する必要があるだろう。


本当に世の中を刷新するような面子に焦点が当たっているか。


むしろ逆だろう。


軽薄な、中身の薄い紙っぺらの存在が、「メディア」の力によって浮上させられているだけではないか。


この面子はどう見ても既存権力とつながっているようにしか見えない。


自公の金属疲労が鮮明になっている。


事態を放置すれば2009年のような本格的な政権交代が実現しかねない。


これを阻止するのに何が必要か。


人為的なオルタナティブ=代替品を用意すること。


この作業が懸命に行われている。


具体的には


維新、国民民主の育成・強化、類似勢力の育成と立憲民主の改変だ。


2009年の政権交代は画期的だった。


敗戦後日本の政治構造を根底から改新しようとする運動が開花したものだった。


鳩山民主党が目指したのは日本政治の刷新である。


パラダイムシフトと言ってよい。


米国が支配する日本


官僚が支配する日本


大資本が支配する日本


を打破しようとした。


狙いが本格的かつ抜本的なものであったから激しい反発に直面した。


敗戦後日本を支配し続けてきた支配勢力が総力を結集して鳩山内閣の破壊に力を注いだ。


彼らが活用した最大勢力は民主党内に潜伏していた「守旧勢力」だった。


この「守旧勢力」を活用して鳩山内閣は政権内部から破壊された。


「オールドメディア」に打ち勝つという「ニューメディア」が支援する勢力は「革新勢力」=「改新勢力」ではない。


新しそうな仮面をかぶった「守旧勢力」である。


維新、石丸現象、国民民主浮上、斎藤再選のすべてがこの文脈で理解可能だ。


従来のマスメディア支配よりもSNS等を中核とするニューメディアの方が人心コントロールに好都合。


オールドメディアとニューメディアの対立を演出して、日本の支配勢力が人心誘導のプラットフォームを旧メディアから新メディアに移動させているにすぎない。


高橋清隆氏が


『メディア廃棄宣言』



https://x.gd/PfeNF


を刊行されて訴えていることは、ニューメディアを含めてメディア全体を疑う必要性だ。


高橋氏はこれからの戦いは


1%対99%


ではなく


1%対0.1%


の戦いであると述べる。


世界を支配する0.1%勢力。


この構造を理解する人間は全体の1%に過ぎないかもしれない。


1%の真実を知る勢力が0.1%勢力による世界支配の構造を打破することができるか。


ニューメディアが作り出す政治のムーブメントに対して眉に唾して見極めることが必要だ。

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