毎度言うが、ブログ画面をCMで汚染するのはブロガーとしてはやめたほうがいい。その手のブログは「カネのためにブログをやっている」と思われる。もちろん、その中にも優秀なブログはあるが、たいていはあまり長続きしないようだ。
(以下引用)
ドンバスのエレノフカにある兵舎が7月29日にミサイルで攻撃され、50名以上が死亡したと伝えられている。その兵舎はキエフ政府軍が送り込んだ親衛隊「アゾフ特殊作戦分遣隊(通称、アゾフ大隊)」の戦争捕虜をドネツク共和国軍が収容していた。ミサイルの残骸からHIMARS(高機動ロケット砲システム)による攻撃だと判明。つまりキエフ政府軍が撃ち込んだわけだ。その目的は口封じ以外には考えられない。
親衛隊は住宅地に攻撃拠点を築き、住民を人質にとって抵抗したので時間はかかったが、3月には結果が見えていた。親衛隊に拘束されていた住民が解放されると、人びとは異口同音に親衛隊が脱出を試みた住民を虐殺したなど残虐行為を告発、救出したロシア軍に感謝している。そうした証言をする住民の映像がツイッターなどに載せられた。そのアカウントをツイッターは削除してしまうが、一部はインターネット上に残っている。
その後、住民は次々に解放されるが、そうした人びとも親衛隊の残虐行為を告発する。ネオ・ナチによって建物は破壊され、人びとは拷問され、殺された人も少なくないようだ。若い女性はレイプされているとも告発されている。
そうした証言が都合の悪い西側の有力メディアは伝えたがらないのだが、ドイツの有力な雑誌「シュピーゲル」はひとりの証言を伝えた。マリウポリのアゾフスタル製鉄所から脱出した住民のひとり、ナタリア・ウスマノバの証言を3分間の映像付きで5月2日に伝えたのだが、すぐに削除する。ショルツ内閣や米英の政権にとって都合の悪い事実が語られていたからだ。(インタビューのロイター版と削除部分の映像:ココ)
その後も脱出した市民の声が伝えられている。現地で取材していいる記者がいるからで、ドイツ人ジャーナリストのアリナ・リップ、フランス人ジャーナリストのアン-ローレ・ボンネル、カナダ人ジャーナリストのエバ・バートレットが有名だが、フランスの有力メディアTF1やRFIのスタッフ、またロシアやイタリア人の記者もいたというが、西側のメディアはそうした情報を伝えたがらない。
しかし、こうした人びとによって事実は少しずつでも知られるようになり、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領や西側の政府や有力メディアにとって都合の悪い情報を発信するジャーナリストがブラックリストに載せられるようになったという。リストに載せることでジャーナリストを恫喝しているつもりのようだ。
ウクライナ軍の戦闘員は戦況の悪化で戦線から離脱し始めた。親衛隊の実態を知ったこともあるだろうが、ゼレンスキー政権から「玉砕」を命令されていた親衛隊の隊員も降伏、それに伴って住民のキエフ軍を批判する証言が増えてきた。
戦争犯罪を問われ始めた親衛隊の隊員は残虐行為を司令部やゼレンスキー政権からの命令で行ったと主張、その映像も伝えられている。隊員の証言を放置しておくと、親衛隊の幹部やゼレンスキー大統領だけでなく、アメリカやイギリスの情報機関、あるいは政府の責任が問題になりかねない。そうした状況になりつつある段階で捕虜になっていたアゾフの隊員がミサイルで攻撃され、殺されたのだ。
ところで、西側の人びとは今年2月24日より前の出来事に気づかない風を装っている。ロシアを悪魔化させられなくなるからだろう。
アゾフを含む親衛隊は内務省に所属、その中核メンバーはネオ・ナチの「右派セクター」だった。ネオ・ナチは2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したクーデターでも中心的な役割を果たしている。
右派セクターは2013年11月、「三叉戟」と呼ばれていた団体を元にして、ドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーらによって組織されている。
ヤロシュは1971年に生まれ、89年にネオ・ナチと見られるグループで活動を開始。ドロボビチ教育大学で彼が学んだワシル・イワニシン教授はKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)の指導者グループに属していた。ナチス、イギリスのMI6(正式名称はSIS)、第2次世界大戦後はアメリカのCIAと結びついていたOUN-B(ステパン・バンデラ派)の人脈によってKUNは組織されている。1994年にヤロシュは三叉戟を創設して指導者になった。
そして昨年11月2日、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領はヤロシュをバレリー・ザルジニー軍最高司令官の顧問に据えた。ウクライナ軍をネオ・ナチの管理下に入れたと言えるだろう。
アゾフが拠点にしたマリウポリはドネツクの重要都市。ウクライナの東部や南部がヤヌコビッチの地盤だが、マリウポリも例外ではない。ロシア革命後にロシアからウクライナへされたこともあり、ロシア語を話す住民が多く、文化的にはロシアに近い。当然のことながらロシアに親近感を持つ住民が多い。その地区をネオ・ナチの親衛隊が占領したのである。
占領は2014年5月9日にクーデター軍の戦車部隊がマリウポリへ突入したところから始まった。侵攻してきた部隊は住民を殺しはじめるが、同時に抵抗も始まる。5月11日にはドンバスで自治(ドネツク)や独立(ルガンスク)の是非を問う住民投票が実施され、ドネツクでは89%が賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が賛成(投票率75%)している。
この結果を受け、ドンバスの住民はロシア政府の支援を求めたが、ロシア政府は助けない。6月2日にクーデター政権はルガンスクの住宅街を空爆。その日、デレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りしていた。OSCE(欧州安保協力機構)も空爆があったことを認めている。
クーデターに続く軍事侵攻に恐怖したドンバスの少なからぬ住民がロシアへ避難、そこへ西側から入り込んだ人もいたが、ロシア軍が入って来るまでマリウポリなど親衛隊に支配されていた地域は占領地だ。占領を免れた地域も親衛隊などキエフ政権が送り込んだ戦闘集団による攻撃にさらされてきた。
そうした状況を気にもしていなかった西側の少なからぬ人びとは今年2月に突然、戦争の惨状に目覚めて平和を訴え始めた。キエフ軍が大規模な攻撃を始める直前にロシア軍が介入、自分たちが浸っていたイメージの世界に亀裂が入ったからだろう。
短期的に見てもウクライナの戦争はNATOの訓練を受けたネオ・ナチのメンバーがチェーン、ナイフ、棍棒を手にしながら石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどを持ち出した2014年2月の中旬から始まる。ネオ・ナチの一部はピストルやライフルを持ち出し、ベルクト(警官隊)の隊員を拉致、拷問、殺害している。目を潰された状態で発見された隊員の死体も見つかった。
これはキエフの状態。ヤヌコビッチの支持基盤である東部や南部の住民はクーデターを拒否、防衛策を講じようとしたが、成功したのはクリミアだけで、ドンバスの住民はネオ・ナチに虐殺されている。こうした殺戮を西側の政府も有力メディアも一般の人びとも気にしなかった。
クーデター後、ネオ・ナチは国会にナチスのシンボルを掲げて街を練り歩き、検察事務所へ押しかけてスタッフを脅している。ベルクトの隊員は命を狙われた。ネオ・ナチによる支配に反発した将兵やベルクトの隊員らがドンバス軍へ合流したと言われているが、当然だろう。
その結果、ドンバス軍は新兵主体のキエフ軍より強くなった。そこでネオ・ナチをメンバーとする親衛隊を編成、バラク・オバマ政権はキエフへCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み、傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名もウクライナ東部の作戦へ参加させた。2015年からCIAはウクライナ軍の特殊部隊をアメリカの南部で訓練し始めたともいう。
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