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徽宗皇帝のブログ

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他者の自由を攻撃し、自分の自由を主張するのがリベラルか?
リベラルやリベラリズムの完全否定はマズいだろうが、大筋では引用文に同感である。
私は弱者救済とか弱者保護の思想が「リベラリズム」という言葉で変質させられていると思う。自由の拡大はすべて善だという「宗教」になっているのではないか。「自由」ではなく、まさに「寛容と博愛」こそが政治のベースになるべきだろう。「新自由主義」というものがいかに残忍に無数の人々を苦しめてきたかを見れば、「自由」という概念の害毒性が分かると思う。

引用部分の上の方に書かれたツィートは小森何とかいう小説家・評論家のものだが、

立派な理想を掲げていれば、どんどん正反対のことができる

という言葉は興味深い。いずれ考察する思考素になるかもしれない。
昔の「連合赤軍事件」を思い出した。



(以下引用)
リベラルって寛容と博愛がベースのはずなのに、この通りだとしたら全く正反対ですね。隣人愛とか自己犠牲を掲げているキリスト教を信じる人達が、苛烈な異端審問やら魔女狩りやら異教徒迫害へと邁進するのに似て、立派な理想を掲げていれば、どんどん正反対のことができるということかも。
引用ツイート
ヤク物@ アドセンスクリック
@nezikure
·
リベラル、ハッキリ言いますけれど良い印象は欠片も無いですし リベラル族の方達、基本的に 『自分達が基準を決める』事を前提にしてて そんな権利も権限も無い事を突きつけると 頭ン中の理想と現実の格差で論理エラー起こしてバグり始めるので 『関わってはいけない厄介ヒューマンの代名詞』みがある

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コメント

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