"挨拶・連絡など"カテゴリーの記事一覧
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しばらく帰沖して、だいぶ前に帰っていたのだが、帰ると同時にインフルらしきものにかかって、ずっと部屋で静養している。
という事情ですので、ネットもあまり見ておらず、世間の事件も知りません。そのうち、ブログは再開する予定。
下の田中角栄の言葉は、非常に重いと思う。竹熊健太郎《地球人》さんがリツイート通販生活の表紙が今回もググッと来ます。故田中角栄元総理の言葉。
「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない」 -
コピーが可能になったので、報告がてら、書いておく。
「昨日まで当然のようにあった物が一晩で消えてしまうという不条理はあることなのだな。目に見えない類の物でもそういうことはあるのかもしれない。権利とか空気とか。」
(以下引用)
唐沢なをきさんがリツイートしかしカールのように昨日まで当然のようにあった物が一晩で売場からもネット販売からも消えてしまうという不条理はあることなのだな。商品でなくて目に見えない類の物でもそういうことはあるのかもしれない。権利とか空気とか。
3件の返信 499件のリツイート 414 いいね -
面白い記事を見つけて、それをネタに自分のブログ記事を書こうと思ってコピーしようとした瞬間、「internet explorerは動作を停止しました。この原因を何とかかんとか」と出て、コピー不能になる、という事態が5,6回も続いて、音を上げた。まあ、「ネット統制」に引っかかっていることは確実なようだ。
他人の記事のコピーをネタにして記事を書く、という「株式日記と経済展望」式の、他人の褌で相撲を取る方式が使えないのはなかなか痛い。
この事態がいつまで続くのか、あるいはさらにエスカレートするのか分からないが、私は他人の記事に触発されて物事を考える習慣なので、しばらくは政治ネタや時事ネタは途絶えるかもしれないし、個人的な趣味の随筆的な記事なら「酔生夢人ブログ」で書くことが多いので、こちらの記事そのものが途絶えがちになるかと思う。
以上、報告である。「共謀罪」だけでなく、国民統制はどんどん進行している。小さなブログから先に、ターゲットにされている気がする。
(徽宗追記)ブログによって目をつけられているというより、現在の政局に関わるような記事がコピーできなくなっているようだ。このブログと無関係に、M次官関連の記事をコピーしようとしたら、やはり同じ現象が起こった。 -
朝からずっとパソコンがネットに接続できなかったので、記事が書けなかった。なぜか突然回復したので、やっと新年の挨拶ができる。
明けましておめでとうございます。
まあ、こんな気儘な、思いつき書き流しブログでも読んでくださる方がいるのは嬉しい。今年もよろしく。
新年の挨拶は先に書いたが、新年の抱負というか、今年のモットーとして、宮沢賢治の言葉を書いておく。有名な言葉だが、これが「農民芸術論」の一節であることを先ほど知ったばかりだ。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
ついでに、これも彼の言葉
「世界に対する大なる希願をまづ起こせ。強く正しく生活せよ。苦難を避けず直進せよ」
「なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」
そうだ。風とゆききし、雲からエネルギーを取るならば、くじけることなどないだろう。なべての悩みをたきぎと燃やすなら、悩みもまた幸福の原動力である。なべての心を心とするなら、争いも無くなり、すべての問題は平和のうちに解決していくはずだ。
まあ、こんなのは一種の宗教だ、と言う人もいるだろうが、それでいいではないか。ニヒリズムが楽観主義より賢いということは無いだろう。今年も、これからも、雨の日も風の日も明るい顔で生きていきたいものである。 -
長い間更新していなかったが、死んだわけではなく、例によってパソコンの不調のためである。このパソコンも半分壊れていて(おそらくウィルスのためだろう。)起動できないことが多く、数ヶ月前に新しいパソコンを買ったのだが、それもいきなり壊れてしまい、今、修理に出しているところである。いい加減、パソコンにはうんざりしたので、これを機会にブログの更新もやめようかと思っている。だが、私の頭の半分くらいはパソコンで外部化されているので、パソコンが無いと思考能力も半減してしまうのが困ったところだ。ブログを書かないと、一日に一度もまともな思考すらしなくなる気がする。
しかし、パソコンはなぜ故障するのだろうか。私の推理は、メーカーが結託してウィルスをばらまいているから、というものだ。(笑)あまり機械が長持ちすると、新しい製品の需要が無くなるから、というわけである。
邪推だろうか? ウィルスをばら撒く行為というものは、単に愉快犯の仕業にしては、あまりにメーカーだけに都合が良すぎる話ではないか。
さて、記事更新関係の近況報告はこれくらいにしておく。
私のジンクスだが、私にとって嬉しい事件(出来事)は、私の知らない間に起こることになっている。橋下の大阪都構想住民投票が失敗(反対派勝利)に終わったという事件や、横浜ベイスターズがいつのまにかセリーグの首位になっていたことなどがそれだ。(安倍総理の「ポツダム宣言読んでません」事件もそのひとつだが、私も読んでいなかったので、「罪の無き者まず石を投げよ」と言われたら、どうしようもない。)
ちなみに、私は弱小球団ファンなので、横浜を応援しているだけである。ただし、阪神などのように、弱いくせに関西マスコミにやたらにひいきにされているチームは大嫌いだ。つまり、世の中で不当な利益を貪っている輩が大嫌い、ということである。言うまでもなく、巨人などは読売の御用球団だから一番嫌いだ。パリーグはリーグ全体がマスコミに不当に軽視されているから、全球団応援している。
まあ、こうしたエコヒイキはエコヒイキされている側(巨人や阪神)の責任というわけではないが、エコヒイキによる利益を黙って受け取っているだけでも、彼らが完全に無罪というわけにはいかないのである。昔の谷亮子や巨人の松井、芸能界で言えば今のAKBなど、異様なまでのマスコミの寵児に対しては、どうしても不快感を持たざるを得ない。などと言いながら、昔の巨人の王や長嶋は大好きだから、首尾一貫していない。
確か、埴谷雄高だったか、「左翼のくせに巨人ファンでいいのか」と批判されて、巨人ファンであることと政治思想はまったく別だ、と答えた記事を読んだような記憶がある。今の横浜の中畑監督や高田GMだって元巨人なのだから、本当はアンチ巨人の私としては応援するべきではないのかもしれないのだが、そういうことを言い出せば、元巨人の広岡や森の作った黄金時代の西武ライオンズなども応援できなくなる。まあ、私は阪急の方が好きだったが、西武は「敵としても天晴れ」だった。
こういう駄弁は書いているときりがない。それに、数多い巨人ファンや阪神ファンの神経を逆撫でする発言を公開して、何のメリットがあるわけでもないが、とにかく、世の中で不当な利益を得ている存在というものに世間の人間はあまりに寛容すぎるのではないか、と思うから、プロ野球などをその一例として書いただけである。これは恵まれた者への嫉妬やルサンチマン(恨み、と訳すのか? 怨念と訳すのか?)ではなく、義憤とか公憤というものだ。
この公憤こそが社会正義の根源であり、社会を良くしていく原動力だと私は思っている。おそらく、不当な利益を黙認する人間は、不当な迫害や不当な悲劇にも目をそむけるのではないか。もちろん、私憤を公憤と掏り替えるインチキな輩も世には多いだろうが、それは別の話。
政治の話は、まあ、そのうちまた、気が向いた時にでも。もっとも、パソコンが死ななければ、である。 -
新年おめでとうございます。今年が善人にとっては良い年で、悪人にとっては悪い年でありますように。(笑)
言うまでもなく、悪人にとって良い年は、善人にとって悪い年だからだ。
もっとも、夏目漱石が「こころ」の中で言っているように、「善人も悪人も存在しない。ある人が、時としては善人になり、ある時には悪人になる。だから厄介なのだ」(正確な引用ではなく、「先生」の発言の趣旨です。)と見るのが正しいのだろう。
安倍や麻生だって、自分は日本のために頑張っているのだ、と思っているのかもしれない。(笑)その結果、日本人が不幸になっても「それは自分の意図したことではなかった」で終わるのだろう。まあ、要するに、本当に頭のいい人間、人格の優れた人間、見識の優れた人間が組織の上に行かないと、組織全体、ひいては社会全体が不幸になるということだ。
原発村の住人たちでさえ、自分は正しいことをやっている、と信じているのだろう。
自分が正しいと思い込むことが、一番危険なことなのかもしれない。
だから、何度も書いている言葉だが、「自分自身ほど信じられないものがあるか!」(by横島忠夫@「GS美神」)という金言を官僚や政治家や大企業社長のみなさん、あらゆる指導的立場の人々に贈っておこう。(もちろん、「勝利する」ためには「自分(たち)は絶対的に正しい」と心から信じるのが有効だが、果たしてその「勝利」は善良な人々の利益になっているだろうか、と顧みることが必要だろう。つまり、その「勝利」には自分たちの利得以外に何の意味があるのか、ということだ。まあ、それを言えばあらゆるスポーツやコンテスト、ひいては競争行為のほとんどが空しいものになる可能性はあるがw)
さて、下に引用したのは「fromdusktildawn」氏のツィートだが、これを引用したのは「視点を変えて考える」ことを面白いと思ったからだ。たとえば、これは「反戦な家づくり」の明月氏が言っていたことだが、「衆院選の投票率52%は、まだ48%もの潜在的票数があるということだ」と前向きに考えればいいのである。下のツィートにあるように、ピンチなのかチャンスなのか、それは所与の機会の本質ではなく、取り組む者がそれにどう取り組んだかによる、ということだ。
有給休暇の法定日数を増やすことが地方創生に大きく貢献する、という考えには私はまったく賛成しない(休暇が増えようが、そもそも庶民にはレジャーなどに使えるカネが無い。)のだが、しかし、「地方創生」と「厚生労働省」を結び付けて思考できる、その思考の柔軟性や発想法は見習いたいものだ。
とりあえず、それを今年の私自身の思考課題の一つとしたい。
(以下引用)
fromdusktildawn @fromdusktildawn ·「俺は運が良かった」って言う人は、ビンチにもチャンスにもなりうるイベントをチャンスに変えた人であることが多く、「俺は運が悪かった」という人は、それをピンチに変えた人であることが多い。それって、はたして「運」なんだろうか、と思うケースって多い。
すごい奇妙なことに、地方創生の成否の鍵を握っているのは経済産業省でも観光庁でもなく厚生労働省なんだ。労働基準法の最低有給休暇日数を定めているところの数値を30日に変えるかどうかで、地方創生の成否が決まる。ビジネスとも産業活性化とも関係なさそうな省庁が、ビジネス成功の鍵を握ってる。
自民党の地方創生ってインチキだなーと思うのは、小手先のしょぼい規制緩和とか補助金とかで地方創生しようとしてること。地方が都会から人を呼べない最大のボトルネックは、規制でも箱物でもなく、有給休暇日数なのだから、有給休暇日数の法律を変えないことには、どうにも明日が見えない。
地域振興に最も効果があるのは、法定有給休暇日数をフランスのように30日にすることだと思う。現在の日本の平均有休取得日数は5日。片道だけで1日潰れるような田舎だと、4日の連続休暇でも現地で過ごせるのは2日。この状態でどんなに地域振興に金を突っ込んでも都会から人を呼べるわけがない。
昼にだけ意味があるわけじゃなく、夜にも意味がある。生きることにだけ意味があるわけじゃなく、死ぬことの中にも意味が感じられる。どうせ死んでいくものにはお金をかけない、というのは貧しい。死を看取り、供養するプロセスにも、価値を見いだせると思う。