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徽宗皇帝のブログ

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「死のうは一定」さ
「暗黒夜考」から全文転載。
日本におけるネット内での自由な言論はほぼ終了、という感じだが、まあ、こういう時代は昔から何度もあった。我々のイメージでは呑気に見える江戸の時代でも言論弾圧で処刑された言論人はたくさんいた。太田南畝(蜀山人)などもその一人、平賀源内などもそうだったと思う。しかし、彼らは自らの言論を後悔はしなかっただろう。それによって彼らの名声は後世に残ったのである。
「沈香も焚かず、屁もひらず」で小心翼翼と無事に生きる生き方もよし、火薬庫の傍でマッチに火をつけて煙草を吸うような豪快な生き方もまたよし、である。
だが、今のこうした状況で、マスコミ人や宗教人、教育界の人間からなぜ大きな声が上がってこないのか。特に宗教者は、ぜひ発言してほしいのだが。
まあ、社会的地位が中途半端にある人間ほど、精神的には死んだような生き方をしているゾンビ人間が多い、ということだろう。




(以下引用)




【秘密保護法案】 『ブロガー処罰 政府否定せず』 ~ネット言論の弾圧が現実に~

2013年11月19日 | Weblog



既にご存知の方も多いかと思うが、11月14日に行なわれた「衆院国家安全保障特別委員会」にて、内閣官房審議官の鈴木良之が「秘密保護法案の解釈上、新聞・出版等の関係者以外の者が、何万人も来場者があるブログにて時事評論をすることは処罰対象となる」と明言した。

即ち、報道関連や雑誌の記者以外の小市民がネット上で「特定秘密」にあたる内容を書き立てることは、公権力による言論弾圧を受けるということである。

以下に同内容を報じた「しんぶん赤旗」記事(11/15)の切り抜き画像と同記事の書き起こしを記したが、これをご覧いただければお解りのように、今や国家権力はここまで”むき出し”に国民に対する思想弾圧・言論統制を行なうことを明言しているのである。

このトンでも発言については、以下の「衆議院インターネット審議中継」の動画(※3時間00分経過辺り)でも確認できるので是非ともご確認いただきたいが、これまで本ブログにて指摘してきた「秘密保護法案」の本質が国民の思想弾圧・言論統制にあることを如実に表す内容である。

この俄かに信じ難いやり取りを確認した後、数日間、その後の動きを注視していたが、驚いたことにこの「ブロガー処罰」発言は何ら問題にされることなく完全にスルーとされ、「秘密保護法案」と言えば、あくまで”法案成立ありき”の空気感の中、連日のように「第三者機関の設置」「慎重な議論」との論調一辺倒の状況である。

それにしても、防衛省の鈴木良之が示した処罰の条件が「不特定多数の人が閲覧可能」「客観的事実を事実として継続的に知らせる内容」「『出版又は報道の業務に従事する者』に該当しないブロガー」ということになると、これまで「ネット言論」をリードしてきた著名ブログは軒並みアウトということであり、本ブログも限りなくアウトということであろう。

この「ブロガー処罰」発言に関して、”沈黙”が意味する所は非常に危険なシグナルであると判断される故、本ブログの更新を暫し停止し、今後についてどうするのかを見極めたいと思う次第である。

「ブログ更新停止」となると、これまでご支援いただいた皆様から様々なご意見があるであろうが、ここまで書き綴ってきた”重み”については自分自身が一番強く認識しているつもりである故、何卒ご理解をいただければ幸甚である。

いよいよ暗黒面の帳(とばり)が舞い降りたことを痛感する次第である。





◆ブロガー処罰 政府否定せず
 2013.11.15 しんぶん赤旗(※書き起こし)

ブログ(簡易ホームページ)で時事評論などをする人(ブロガー)が「秘密保護法案」の対象となり処罰される可能性について、内閣官房の鈴木良之審議官は14日の衆院国家安全保障特別委員会で「個別具体的な状況での判断が必要で一義的に答えることは困難だ」と述べ、否定しませんでした。公明・国重徹氏への答弁。

鈴木審議官は「ブログが不特定多数の人が閲覧でき、客観的事実を事実として知らせることを内容とし、ブログに(記事を)掲載している者が継続的に行ってるような場合には、(秘密保護法案の)『出版又は報道の業務に従事する者』に該当する場合がある」と述べました。

行政機関が特定のブロガーを「出版又は報道の業務に従事する者」に該当しないと判断とした場合、処罰対象となることが明らかになりました。





http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=43212&media_type=fp

◇衆議院インターネット審議中継

・開会日 : 2013年11月14日 (木)

・会議名 : 国家安全特別委員会 (7時間11分)

・質疑者 : 國重徹(公明党)





(付録「ヤフー知恵袋」より)*いい回答だと思うが、小唄の最後部分は「語りをこすのよ」ではなく、「語りをこすよの」である。質問者も同じ間違いをしているようだ。



織田信長は幸若舞の「敦盛」の中の「人間五十年 下天のうちを比ぶれば、夢幻のごと...

jasonkodai2199さん


織田信長は幸若舞の「敦盛」の中の「人間五十年 下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」を好みしばしは口にしています。大意は大体理解できますが、


もう一つ信長は「死のうは一定、しのび草にはなにをしよぞ、一定かたりをこすのよ」という小唄を愛しています。これを現代語訳すればどのような意味かお教え下さい。



 


ベストアンサーに選ばれた回答


crc06u5さん


死のうは一定=誰にでも死は訪れる。
しのび草にはなにをしよぞ=自分の死後にも語り継がれる事をする為に何をしようか。
一定かたりをこすのよ=後の世の人は自分のしてきた事を語り継いでくれるだろう。

一度きりの人生に全力を尽くすという信長らしい小唄です。


  • 回答日時:2009/3/1 00:22:25



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