映像による宣伝広告、あるいは洗脳は現代の愚民支配の一番の手法である。
NHKの番組などでカダフィ政権打倒の実現に喜ぶリビア民衆の姿が撮影されており、やはり一般民衆はリビア「革命」を喜んでいるではないか、映像こそが真実だ、という考えを持った人も多いだろう。だが、映像が真実だとは限らない。あるいは、映像は真実でも、その伝えるメッセージが真実だとも限らない。
藤永茂博士の「私の闇の奥」ブログへの、あるコメントが、「革命」前のリビアの様子をよく伝えているので、それを転載・紹介する。
下記記事にある、
「反カダフィ派への残虐行為などは為にするデマであり、むしろ反乱軍・過激派への恐怖から一般市民は「反カダフィ」の姿勢をとらざるを得なくなっているのではないか」
という見方が、おそらく正しいだろう。後に自国民100万人余りを粛清するポル・ポトがカンボジアの政権を握った時も、おそらく大多数の国民はそれを「喜んだ」はずだ。たとえ内心がどうであれ、「喜んでみせた」はずだ。そうでないと自分の命は無いかもしれないのだから。
我々の見る「映像の真実」というのは、そういうものでしかない。
(以下引用)
藤永先生が紹介されていたダイアナさんのインタビュー記事を読んでみました。英和辞書を引きながら、わからない単語や表現は読み飛ばしつつ、なんとか大意はつかめたと思います。
ダイアナさんのプロフィールが紹介されていましたが、とりわけカダフィ革命を擁護するような経歴を歩んできた人ではなく、本当にごく普通の市民です。
リビアでは、カダフィ革命後、識字率が向上し、人々の暮らしのレベルが飛躍的に向上していったこと、伝統的なイスラム慣習による女性への束縛が解かれたことなどが語られていました。藤永先生がブログでまさに示されていたことです。
①カダフィが打ち出した資源国有化によって生じた欧米との対立。②第四次中東戦争で生じたエジプトとの亀裂(エジプトはカダフィ体制転覆のためリビア東部の反体制派を支援工作)。③国富を官僚が吸い取ることなく国民に直接還元するためにカダフィが打ち出した刷新策に対して既得権にまみれた側近たちが示した反発…。こうした歴史的事実に触れながら、カダフィがいかに多くの敵に囲まれてこの40年近くの国家統治を進めてきたかが語られていました。そして、それ以前の時代のリビアよりも格段に良い成果(国民にとって)を短期間で生み出した点を評価していました。
もともとカダフィ体制の敵は多く、こうした勢力(海外に亡命していた勢力など)が政権転覆の時機をうかがっていたところ、今回の「アラブの春」を好機として動き出したという点(リビアの多数市民の意思と行動ではないという点)、そして、そうした軍事反乱に対して、どこの政府でも治安行為に出るのではないかという点が語られていました。反カダフィ派への残虐行為などは為にするデマであり、むしろ反乱軍・過激派への恐怖から一般市民は「反カダフィ」の姿勢をとらざるを得なくなっているのではないかとも見ていました。
リビアの政治は「直接民主主義」とは名ばかりで「独裁」にすぎないと叩かれていますが、ダイアナさんは、低い投票率の選挙の結果、少数の政党間で権力をたらいまわしし、国民の権利を制限する法律を次々に生み出していく現在の「民主主義国」の姿を指摘していました。インタビュアーもコラムの中で、例えばアメリカでニューディール政策を推進したフランクリン・ルーズベルト大統領などは明らかに「独裁的要素」を取り込んで統治に当たったといった事例を挙げていました。こうしたやりとりのなかで、現実の世界における「民主」と「独裁」の相対性を鋭く突いていました。
また、このインタビュー記事を読みますと、カダフィが個人資産を貯めこんでいたというのも怪しい情報のようです。
これだけでも検証が必要な事項が多数存在するのですが、マスコミは、反カダフィ・NATO側、欧米側の声だけを反映して報じている状態です。「カダフィは狂った冷酷な貪欲な独裁者、それに立ち向かう反カダフィ派と欧米を支持すべきだ」といった言論が日本社会を覆っています。
かつて、ベトナム戦争のとき、南ベトナム民族解放戦線を「ベトコン」の蔑称で呼び、米軍側の情報しか伝えなかった主流マスコミのなかで、初めて解放戦線側に入りもう一方の側の声や実態を伝えたのが本多勝一さんという日本人ジャーナリストでした。ベトコンの残虐行為などはほとんどがデマということもわかり、むしろ米軍の残虐行為がその後次々と浮き彫りになりました。
リビアについては報道がまったく一元化してしまっていますので、藤永先生のブログやダイアナさんの声など限られた貴重な情報から判断していくことが求められます。
投稿 櫻井元 | 2011/09/02 02:28
NHKの番組などでカダフィ政権打倒の実現に喜ぶリビア民衆の姿が撮影されており、やはり一般民衆はリビア「革命」を喜んでいるではないか、映像こそが真実だ、という考えを持った人も多いだろう。だが、映像が真実だとは限らない。あるいは、映像は真実でも、その伝えるメッセージが真実だとも限らない。
藤永茂博士の「私の闇の奥」ブログへの、あるコメントが、「革命」前のリビアの様子をよく伝えているので、それを転載・紹介する。
下記記事にある、
「反カダフィ派への残虐行為などは為にするデマであり、むしろ反乱軍・過激派への恐怖から一般市民は「反カダフィ」の姿勢をとらざるを得なくなっているのではないか」
という見方が、おそらく正しいだろう。後に自国民100万人余りを粛清するポル・ポトがカンボジアの政権を握った時も、おそらく大多数の国民はそれを「喜んだ」はずだ。たとえ内心がどうであれ、「喜んでみせた」はずだ。そうでないと自分の命は無いかもしれないのだから。
我々の見る「映像の真実」というのは、そういうものでしかない。
(以下引用)
藤永先生が紹介されていたダイアナさんのインタビュー記事を読んでみました。英和辞書を引きながら、わからない単語や表現は読み飛ばしつつ、なんとか大意はつかめたと思います。
ダイアナさんのプロフィールが紹介されていましたが、とりわけカダフィ革命を擁護するような経歴を歩んできた人ではなく、本当にごく普通の市民です。
リビアでは、カダフィ革命後、識字率が向上し、人々の暮らしのレベルが飛躍的に向上していったこと、伝統的なイスラム慣習による女性への束縛が解かれたことなどが語られていました。藤永先生がブログでまさに示されていたことです。
①カダフィが打ち出した資源国有化によって生じた欧米との対立。②第四次中東戦争で生じたエジプトとの亀裂(エジプトはカダフィ体制転覆のためリビア東部の反体制派を支援工作)。③国富を官僚が吸い取ることなく国民に直接還元するためにカダフィが打ち出した刷新策に対して既得権にまみれた側近たちが示した反発…。こうした歴史的事実に触れながら、カダフィがいかに多くの敵に囲まれてこの40年近くの国家統治を進めてきたかが語られていました。そして、それ以前の時代のリビアよりも格段に良い成果(国民にとって)を短期間で生み出した点を評価していました。
もともとカダフィ体制の敵は多く、こうした勢力(海外に亡命していた勢力など)が政権転覆の時機をうかがっていたところ、今回の「アラブの春」を好機として動き出したという点(リビアの多数市民の意思と行動ではないという点)、そして、そうした軍事反乱に対して、どこの政府でも治安行為に出るのではないかという点が語られていました。反カダフィ派への残虐行為などは為にするデマであり、むしろ反乱軍・過激派への恐怖から一般市民は「反カダフィ」の姿勢をとらざるを得なくなっているのではないかとも見ていました。
リビアの政治は「直接民主主義」とは名ばかりで「独裁」にすぎないと叩かれていますが、ダイアナさんは、低い投票率の選挙の結果、少数の政党間で権力をたらいまわしし、国民の権利を制限する法律を次々に生み出していく現在の「民主主義国」の姿を指摘していました。インタビュアーもコラムの中で、例えばアメリカでニューディール政策を推進したフランクリン・ルーズベルト大統領などは明らかに「独裁的要素」を取り込んで統治に当たったといった事例を挙げていました。こうしたやりとりのなかで、現実の世界における「民主」と「独裁」の相対性を鋭く突いていました。
また、このインタビュー記事を読みますと、カダフィが個人資産を貯めこんでいたというのも怪しい情報のようです。
これだけでも検証が必要な事項が多数存在するのですが、マスコミは、反カダフィ・NATO側、欧米側の声だけを反映して報じている状態です。「カダフィは狂った冷酷な貪欲な独裁者、それに立ち向かう反カダフィ派と欧米を支持すべきだ」といった言論が日本社会を覆っています。
かつて、ベトナム戦争のとき、南ベトナム民族解放戦線を「ベトコン」の蔑称で呼び、米軍側の情報しか伝えなかった主流マスコミのなかで、初めて解放戦線側に入りもう一方の側の声や実態を伝えたのが本多勝一さんという日本人ジャーナリストでした。ベトコンの残虐行為などはほとんどがデマということもわかり、むしろ米軍の残虐行為がその後次々と浮き彫りになりました。
リビアについては報道がまったく一元化してしまっていますので、藤永先生のブログやダイアナさんの声など限られた貴重な情報から判断していくことが求められます。
投稿 櫻井元 | 2011/09/02 02:28
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