「脱時間給」の欺瞞 その対策


<生産性という意味がめちゃくちゃになっている>
 
Q.
労働時間ではなく、成果に応じて賃金を支払う「脱時間給」(別名:残業ゼロ制度)が新聞に取り上げられていたのにゃ。残業が減れば生産性が高まり、企業の競争力が高まって経済成長するような事をにおわせているにゃ。本当なのかにゃ?
 
A.
以前にも指摘したのじゃが、マスコミも識者も、残業と生産性の話がめちゃくちゃじゃ。生産性と言っても意味がいろいろある。①「カネつまり「コスト」としての生産性」という考えと、②「時間当たりに生み出す付加価値の量としての生産性」という考えを分けて考えねばならん。カネとモノを分けて考えるのじゃ。
 
Q.ふ~ん、カネの仕組みと、財の生産と分配は別問題にゃ。ごちゃまぜにしてはいけないのにゃ。
 
A.
左様じゃ。まず「①コストとしての生産性」の場合を考えてみよう。従来の時間給制度であれば、労働者の労働時間が長ければ長いほど、企業が労働者に支払う賃金の総額は増える。企業の売り上げ金額が同じであれば、社員が長時間労働しておるほど、人件費コストあたりの売上金額が低くなる。これを「生産性が低い」というのじゃ。この場合に生産性を高めるには、残業代を払わず、ただ働きさせることで時間当たりの人件費コストを下げればよい。ちなみに、ブラック企業の生産性は非常に高い。なぜなら、低賃金で長時間労働じゃからな。これは、コストという意味での生産性じゃ。会社の経理では、コストが重んじられる。
 
そして、労働組合が問題としておるのは、この部分じゃ。「脱時間給」制度を悪用してブラックな企業がやると予測されるのは、残業代をゼロにして、なおかつ、制度導入前と同じだけの労働時間を「事実上強制」することじゃ。給料を下げて働く時間は同じ。すると、企業としては大幅な賃金カットをしたうえに、生み出される商品やサービスの量は同じままだから、商品のコスト単価が大きく下がる。つまり、賃金カットで商品の競争力が高まるわけじゃ。賃金カットで競争力を高めて市場シェアを広げる。これがブラック企業の成功の秘訣じゃ。
 
本来、これは生産性の向上にもとづく競争力の強化ではない。しかし、マスコミや識者はこれを「生産性の向上」と結びつけて正当化したがる気配がある。むしろ意図的に混同させようとしている記事が多い。こんなものはあるべき「生産性の向上」ではない。
 
Q.ブラック企業は、とんでもないにゃ。残業代を払わない事は、本来は生産性の向上じゃないのにゃ。
 
A.
そうじゃな。次に②「時間当たりに生み出す付加価値(商品やサービス)の量」としての生産性の場合を考えてみるのじゃ。社員が時間当たりに生み出す付加価値の量を増やせば、同じ量の仕事でも、所定労働時間内(8時間)で作業を終わらせる事ができるようになる。すると残業する必要がなくなる、という意味である。確かにこの意味での生産性の向上は必要じゃろう。生産性が高まると、マクロ的には国内の生産力の総量が増加し、国がより豊かになると思われるからじゃ。
 
そこで、どうやって生産性を高めるか?脱時間給の制度として提言されている内容によれば、社員の残業に対して賃金を支払わないようにすれば、社員が無駄な残業を減らそうと努力するようになり、生産性が向上するという。しかしこの考えは無理がある。単に残業代をゼロにしたからと言って、生産性が必ずしも向上するわけでは無い。生産性があまりにも低い企業であれば効果は出るかも知れんが、もともと生産性が高い業種であれば、残業代をゼロにしたところで、それ以上に生産性を高める事は難しいじゃろう。
 
つまり「時間当たりに生み出す付加価値の量」つまり生産性を高める、という事は、悪い事ではない。しかし、残業代をゼロにしたからと言って、生産性が高まるとは限らず、いわゆるサービス残業が増えるだけになりかねないのじゃ。
 
 
<脱時間給により、生産性とは無関係な「社員のサービス残業合戦」が始まる>
 
Q.
そうなのにゃ。それに労働時間の長さは、社員の生産性という観点とは別に、そもそも会社が社員に課す仕事の量によっても左右されるのにゃ。山のように仕事を指示しておいて、それを所定時間内にできないから生産性が低い、とかいう経営者が出て来ないとも限らないのにゃ。所定時間内で出来ないのは、社員の能力が足りないことが原因だから、サービス残業するのは当然とか言い出しかねないのにゃ。
 
A.
そうじゃな、そうした問題を未然に防ぐためにも、脱時間給の適用される職種というのは非常に限られるということじゃ。会社が社員に具体的な作業を課す、というタイプの職種には絶対に適用してはならない。それだと労働時間とは無関係に会社都合でいくらでも仕事を課すことができてしまうからじゃ。脱時間給が可能な仕事のスタイルとは「会社が社員に達成目標と報酬内容を明確に示し、具体的な作業内容は会社の指示ではなく社員が自ら決める(裁量)」場合に限られるのじゃ。そのような職種として例えば完全歩合制の営業職などは、すでに脱時間給になっておる。
 
じゃから本来の意味から言えば、管理職に対して「脱時間給制度」を導入する場合も、会社は社員に具体的な作業内容を課すのではなく、あくまでも達成目標を課さねばならない。そして達成目標を与える場合も、達成目標の難易度に応じた報酬が提示されなければならないし、報酬に対する交渉も行われる必要がある。つまり、難易度によっては、目標ごとに報酬を増額・減額する必要もあるじゃろう。そうした部分まで制度をしっかり整えてこそ、脱時間給は有効となるのじゃ。
Q.
他にも脱時間給の弊害はあるのかにゃ。
A.
そうじゃな、脱時間給制度になると、社員のサービス残業合戦が始まるじゃろう。生産性を高めると言っても、口で言うほど簡単ではない。結局のところ、生産性を高めるよりも、より多くサービス残業して長時間労働した方が高い成果を出すことが出来る。そして、企業は「高い成果」を出した社員を厚遇し、昇進させる。つまりサービス残業した方が会社からの評価が高まるのじゃ。となれば、社員はこぞってサービス残業するようになり、過労死などの問題はますます激化するじゃろう。しかも労災は認定されない。会社は残業を強要しておらず、あくまでも社員の自発性による長時間労働だからである。
<脱時間給なら、残業も禁止しなければならない>
 
Q.
そうなのにゃ、でも政府が言い出したら強行される可能性があるのにゃ。単に反対というだけでは押し切られるだけにゃ。どのように対抗すべきなのかにゃ?
 
A.
「脱時間給」を実施する場合には、労働組合として条件を付けるべきじゃ。それは、「脱時間給を導入するならば、同時に残業を禁止する(一日8時間労働厳守)」という条件じゃな。自宅やホテルでの残業も禁止じゃ。社員に対しては、あくまでも8時間の労働時間内で成果を出すことを求める。これが本当の「生産性の向上」というものじゃ。
 
このように、残業する事そのものを禁じれば(長時間労働の禁止)、社員の「サービス残業競争」を防止することが出来る。とはいえ、いままで残業を山のようにやって成果を上げていたのが実態じゃろうから、企業としては、いきなり残業を禁じるのはむずかしい。残業禁止を導入すれば、確かに時間当たりの生産性は高まるかも知れんが、総労働時間が減ることにより、生産力の総量そのものが低下して大変な事になるじゃろう。そもそも、「脱時間給」はマスコミの大好きな美辞麗句じゃが、実態は残業しなければ仕事にならんのじゃよ。8時間で仕事が終わらないのが実体じゃ。にもかかわらず、残業代を払わないなどという話はおかしい。
 
じゃから、無駄な残業時間を減らして(生産性の向上により)人件費を押さえたいと希望するのであれば、「脱時間給制度」などではなく、月間に可能な残業時間を法的にもっと厳しく制限して、その残業時間を徐々に減らしてゆくべきなのじゃ。たとえば、月間残業時間をまずは40時間に法令で制限する、1年後には38時間に制限する、2年後には36時間に制限する、そういう形で、残業そのものを減らす事こそ、正しい「生産性の向上」じゃと思うがのう。労働組合も、そういう主張をなぜせんのか、理解に苦しむ。
 
 
<残業代が減ると生活が苦しくなるという「異常な社会」>
 
Q.なぜ残業を減らすように労働組合が圧力をかけないのかにゃ?それは、サラリーマンの収入に占める残業代のウエイトが高くて、残業しないと生活が苦しくなる、という実態があるからじゃないかにゃ。
 
A.
ほっほっほ、それは一理あるのう。残業代を減らされると困る、と考える人もおるじゃろう。残業代がもらえなくなると生活が苦しくなる。だから残業代をゼロにする事に反対する、そして今後も残業して稼ぎたいという人じゃ。しかし、残業を前提として生活を設計することは、そもそも企業の支払っている給与水準が低すぎる事を意味する。生活のために残業する、これが実体だとしたら、生産性の向上など関係ない。それ以前の問題じゃ。それでは世の中から残業が減るはずはない。
 
つまり「低すぎる給与水準」が、残業代ゼロという考え方を拒否する国民感情を生んでいる一つの要因ではないかと思うのじゃ。もちろん、すべてではないがの。本来は残業などすべきではない。脱時間給を検討するのであれば、残業代が無くとも十分に生活できる給与水準についても検討されるべきじゃろう。
 
<生産性の向上により、ますますデフレになる危険性>
 
A.
生産性が向上して残業が減り、社員に支払われる賃金が低下すれば、確かに企業の収益性は向上する。しかし個々の社員の給料が減るという事は、社会全体としてみた場合、国民に支給される給与の合算総額も減少することになる。つまり国民にゆきわたるおカネの総量が減ることになり、国民の総購買力が低下し、内需は減少することになる。つまり、国民所得が減ってしまい、モノが売れず、デフレ不況圧力が高まるじゃろう。
 
 
<脱時間給とともに、給付金を支給すべき>
 
A.
個々の企業にそんな意図は無くとも、社会全体としては、生産性の向上によりデフレ不況圧力が高まる。これを防ぐためには、国民に支給される所得の合計、つまり国民総所得を維持あるいは増やす必要がある。ということは、企業から国民に支払われる給与が減る以上、別の方法で国民におカネを給付しなければ、国民総所得が増える可能性は無いだろう。
 
この問題に対しては、以前からワシが主張しておる「国民への給付金」を実現することで対処可能じゃ。景気対策として支給するのが給付金の目的じゃが、景気対策と同時に生産性の向上によるデフレ圧力も解決できると思うのじゃ。
 
そして、給付金により国民総所得を底上げしてやれば、国民の購買力が向上して企業の売上そのものは増加することになる。それが企業利益の増加を生み、「賃金ベースアップ」という形で、賃金上昇の流れを定着させ、デフレを脱却する事ができると思う。
 
つまり、脱時間給による生産性の向上は企業の純利益(株主資本)の増大には寄与するかも知れないが、それだけでは生産性向上の恩恵を国民に行き渡らせる事は難しいと思うのじゃ。そこで、脱時間給と同時に、国民への給付金の支給を行う事により、生産性の向上を実質経済成長(見かけの経済成長ではない)に結びつけることができるのじゃ。これが生産性の向上による実質GDPの成長となる。
 
それが実現してこそ本当の「脱時間給による経済成長」じゃろう。
そうしなければ、脱時間給は労働者の一人負けじゃ。
 
2015.6.1 修正