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徽宗皇帝のブログ

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お題目的民主主義から真の民主主義へ
「晴耕雨読」所載の想田和弘氏の記事を抜粋転載。
民主主義は虚妄である、という説もあるが、私は、民主主義は揺籃期にある、と見ている。自分の生きている間だけの範囲で物事を考えるならば、100年後に民主主義が正しい形になってきても無駄だ、と思うだろうが、歴史はゆっくりと進んでいくものだ。今の世の中は、実はロスチャイルド家が勃興したフランス革命時から、世界的な帝国主義にかけての頃と実質的には何も変わっていない。表面の支配者が王侯から富豪に代わっただけのことである。つまり、本当の民主主義はまだ生まれてもいないのだ。あるのは、「民主主義への試み」だけである。先に民主主義が揺籃期にある、と書いたのは、そういう意味では間違いで、まだ胎内にある、と言うべきかもしれないが、民主主義は現代世界のほとんどの国で憲法に謳われている以上は、誕生はしているわけだ。問題は、それが骨抜きになっていることであり、その原因は人民が意図的に本物の情報から隔離され、真実から目を逸らされているからだ。その操作も、だが、インターネットの誕生によって非常に困難になってきている、というのが現在の状況だろう。
「大摩邇」に、「主権在民」が虚妄である、ということを論じた文章が載っていて、それは或る大学で発表された論文のようなのだが、こういう文章が表の世界に出てきつつある事は、真の民主主義の誕生までそう遠くはない、と考えてもいいのではないだろうか。(参考までに、その論文の一部を後で追加する予定である。)

つまり、アメリカ独立革命、フランス革命などによって「お題目的民主主義」「理念としての、幻想的民主主義」が生まれ、それが現在まで続いている、ということであり、本物の民主主義が生まれるのはこれからなのである。人民(ゴイム・家畜)の過ちは現実を見ずに言葉を信じることだ、とユダヤ議定書は皮肉っているが、人民が言葉ではなく現実を見始めた時が、現在の世界支配者たちの滅亡する時である。



(以下引用)



舛添氏の政策も人柄も、知れば知るほど、都知事にしちゃダメな人だと分かる。

それなのに世論調査ではリードしている。

なぜか?

自公の組織票もあるだろうけど、舛添氏がテレビで有名だから。

「あの人見たことある」だけで投票する人が大勢いるから。

これが日本の民主主義の厳しい現状。

それは生活習慣病のようなもので、一朝一夕に治るようなものではない。

特効薬も無い。

私たちは民主主義の足腰を鍛えることから始めないと、どうにもならないんですよ。

そういう意味で、僕は宇都宮健児さんのスタンスと運動に共感する。

彼はまさに民主主義の足腰を鍛えようとしている。

僕は日本の民主主義が生活習慣病に冒され足腰がここまで弱っている状況の中、強力な「特効薬」でどうにかなるという考えに組みしない。

そもそも、そんなものが存在するとは信じられない。

遠回りに見えても、地道に足腰を鍛えるしかないと思うんですよ。



(引用2「大摩邇」より)*色字部分は元記事のまま。
日本を守るのに右も左もない

金貸し支配の構造3~司法支配(主権在民・三権分立の欺瞞)



立正大学阪口大和氏の論稿「現代社会の権力構造(6)立正経営論集(2005年12月)」から引用

1最高権力の否定と国民主権の幻想
 民主主義制度は,アンシャンレジーム下の専制権力への根強い不信から生まれた歴史的産物である。その中枢をなす概念は専制権力の専横に対するアンチテーゼとして工夫された国民主権の概念である。
 現実の民主制社会においては,主に経済機能別に分解編成された個別の権力主体がそれぞれの専門分野における部分的な支配力を持つことで社会的に必要とされる権力機能を担うことになると同時に,最高統合権力は主権在民という具体的な帰属主体を欠く抽象的権力概念のもとにあるとされたため,その存在が基本的に霧散してしまっているのである。そのため,実権を握った個別権力主体の自治的支配権(autonomy)によって統治される社会が出来あがったものの,特定の権力主体の独占的暴走などが起きた場合にはそれを規制する権限を有する上位の権力機構を実質的に欠いたシステムとなっているのである。

 さらに,主権在民の概念の持つ根本的欺瞞は,国民の主体的判断が最上位にあって,個々の実権者の行動を規定出来るとするところにある。実際には,個別分野の権力者がそれぞれの専門的知識や技術力にもとづく支配力を利用して,彼ら自身の手によって,門外漢で受動的な一般国民の意思なるものを意のままに操って自己の社会的支配力を維持しているのであるし,それに失敗した権力集団は消滅するだけなのである。 
 一方,様々な分野の個別実権者の立場からすれば,現代民主制はその上に立つ権力からの足枷ないし締め付けに欠け,自由気ままな行動を容認する都合のよい制度であり,さらなる支配力の維持拡大の道も開けているので,機能分化して流動性の高い現代社会には適合する要素を持っている。民主制は権力主体の固定化を否定し新旧勢力による社会的支配力の獲得闘争を容認し,社会変化そのものを制度内に容認した最初の社会システムであると言われる所以でもある。


 企業組織たれ,行政の一機構たれ,自らの限られた専門分野における目的をひたすら利己的に追求すればそれで良いのであり,社会全体の利益がそれで損なわれようと,それは主権在民のもとにあるとされる架空の存在たる最高次元の権力が解決するという逃げ道が用意されているのである。かくて現代民主制のもと誰もが最終責任を負わない巨大な無責任分断社会が構築されたのである。
1228396595.jpg ロスチャイルド家の例にみられように幾世代幾世紀にもわたって縦横の閨閥を国際的に形成, 蓄積し, 国家をも動かすほどの強力な権力複合体を形成しているものもある。彼らこそが経済万能の産業革命以降の近代史の陰の演出者どころか真の演出者であるかもしれないが, その全貌を掴むことはその秘密主義に加えて政治権力の鎧に隠れて歴史の表舞台には現れて来ないこともあって難しい。
 民主制の幻想的主権在民のスローガンが彼ら(ロスチャイルド家)の支配力の隠蔽と維持にどれほど資しているか計り知れない。彼らの情報支配力によって民主制は現代社会で神話化するまでに礼賛されている のであろう。
 特にこのような現代民主制の制度的欠陥を利用して成長したともいえる各国の産軍複合の権力体は二度にわたる世界大戦の悲惨な結果をもたらしたにもかかわらず, その行動は放任されたままであり, 国際紛争を自作自演するが如きに行う様々な策謀は止まる所を知らずに継続されて現代に至っている。  このような産軍共同体などが, 欧米を中心とする地球規模での現代社会の実質最強の権力保有者であるとしても, それをこの民主制憲法のもとにある国々では権力の保有者としてまとめたものとして認識しない以上, その権力体が如何に暴走しても規定できないのである(いまでは架空の存在となった専制君主の権力の暴走を防止することは出来るとしても!)。

 しかし何故, 憲法その他の基本法制がかくまでも権力体系の実情と乖離したまま放置されているのか? それは, 現体制のもとで潜在化しながらも実権を握っている権力集団にとっては, 時代錯誤の現法体系は彼らの我欲追及に対して実質的制約を加えることが出来ないので好都合だからである。逆に言えば,彼らはこの法体系を利用してその地位を築いたのだから変える必要はないのである。


 民主制や市場原理主義が一応の定着を示している現代先進社会では, ここまでの分析で示したように, 制度そのものの本質的欠陥が様々な面で露呈してきている。しかし, これだけ西欧文明の圧倒的影響下にある日本においては, 相変わらず民主主義神話が全盛である。
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 現世界を現実的に牛耳っている最強のグループたる軍事経済連合体は, 彼らの組織暴走が平和維持どころか国際規模での紛争や混乱を喚起するまでに逆機能しても制約を加えるべき統合権力が実在しないので防止され得ない。巨大(金融) 資本のあくなき私的利益追及についても同様である(経済戦争という意味での阿片戦争は終わった訳ではない)。彼らの暴走に歯止めをかけるもう一段階上の社会全体の調和を司る中枢権力機構が必要なのである。

現代社会の主権者が国民であり, 三権分立によって民主的に統治されているとする民主主義神話ほど, 彼らのように潜在化し巨大な組織連合の実権を握っている者たちにとってその支配力を隠蔽するのに都合のよい主張はない。彼らがその地位の保全に水面下でどれほど腐心しているか, またその権力が如何にエゴイスティックなものであるかは, 彼らがこのような冗談を通り越した空論としか受け止められないような主権在民神話の維持に躍起となっていることからも逆に推察出来るのである。


 この小論に取り組んで得た結論は, あらためて今日を実質支配する権力が野放図に放置されているということである。経済権力は環境問題や資源問題をここまで深刻化させながらその寄って立つ自由放任の市場原理は絶対とされ, 産軍複合体の権力集団が引き起こす国際紛争は愛国主義の衣を着せられて美化されたまま無益な国際紛争を繰り返している。権力分布の現実とあまりに乖離した基本法制のもと, 主権在民の仮面のもとに深く静かに潜行した実権者たちは,発達したメディア情報網を徹底的に利用して国民を洗脳し, 民主主義を絶対視した神話を繰り返して幻想の世界に我々を陥れている。

 一方で権力が分散化されているために, 国民誰一人, また権力者誰一人, 自分自身の責任と感じている者はいない。日本国内のもっと具体的な問題でいえば, 底なしの公的債務に対して, 歴代の首相の誰一人, 役人の誰一人としてその責任を感じている者はいないようである。巨大な制度と組織の慣性の中に埋没した現代人の無力感のもとにはあまりにも空しく響く人間性を賛歌する西洋の個人主義的思想によって啓蒙された現代人は権力者, 服従者共々かくも等しく, 日日和見主義的で傲慢不遜な人格の持ち主になり果てたのである。


 世界人口の爆発的増加, 資源枯渇, 温暖化, 環境破壊などの地球規模での深刻な事態を前にして, 帝国主義的侵略の時代からみれば潜在化しているものの,今でも隠然と現代世界を牛耳る西欧上流社会の権力者たちは当然その支配力と優位性を保つために水面下では露骨な力による対応策を考えている。先進各国を跨いで暗躍する軍産連合体は, その彼らの要請に答えるために, 又, 自らの社会的支配力を維持するためにも世界の軍事的緊張を演出し続けなければならない。原爆保有国中心に大量殺人兵器の開発が何処まで進んでいるかは, 軍事上の秘密とあって誰にもその正確な実態は知らされてない。選民意識や愛国主義の美名のもとで殺人という最も凶悪な犯罪行為すら正当化するこの産軍複合体の潜行する支配力は, 二つの世界大戦のあとに到来した情報化社会にも決して衰えず, どのような大義名分のもとであれ, その利己性ゆえの殺戮と破壊行為を行うチャンスを虎視眈々と狙い続けよう。


 一方, 経済権力が直接支配する分野では, 市場競争原理のもとの効率の追求で先進国人類の貧困からの脱却に貢献したことは認めるとしても, 今や主権国家の枠を越えた国際市場での寡占体制が確立されつつあり, 武力を資本に替えただけの経済的強制力による帝国主義的支配体制が地球規模で継続している。その実質の社会支配力は今や政治権力のそれを大きく上廻っているにも関わらず, 市場における闘いに勝ち部分的市場の権力の獲得者たらんとするだけで,それ以上の綜合的な権力としての社会的責任に対する自覚は決して高くない。





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