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徽宗皇帝のブログ

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もはや「革命」では事態は変えられないか
「つむじ風」ブログから転載。
今日は「酔生夢人ブログ」の方にエネルギーを使ってしまったので、こちらは問題提起だけにし、後日じっくりと考えてみたい。(などと言って、そのままに放置している課題ばかりだが)
この「つむじ風」ブログ自体が、その問題提起なのだが、まさに現在の世界の諸悪の根本にあるものをえぐり出している。(本当は「テッケツ」していると書きたかったが、字を知らない。ワードでも出ない。)
もちろん、こんなことは誰でも考えていることだ、と言われそうだが、では、それを誰が問題提起したか。ほとんどいないのである。誰もが、この資本主義社会の悪に苦しみ、不満を持ちながら、その根本を考えることを恐れている。
資本主義はいやだが共産主義はもっといやだ。云々。そもそも、共産主義など実現された国は存在しない、と私は何度も言っている。あるのは全体主義国家だけである。しかも、全体主義国家というのが国民を恐怖支配している国家なら、米国も日本も実質的には全体主義国家だろう。日本の場合は、「空気」だけで恐怖支配がなされているわけだが。
経済を土台とした国家システムとしては「資本主義」と「社会主義」と「共産主義」しか無い、と見ていい。「資本主義」とは資本家の天国として「経済的自由主義=放任主義=経済的アナーキズム=強者の絶対的支配」を理想とするものであり、今の世界はすでにそうなりつつある。資本家の天国、すなわち労働者の地獄、というわけだ。
こうした状況は資本主義の勃興期にすでに出現していた。そこで労働運動が起こり、労働者の権利が確立されていったわけだが、今や労働者の権利はどんどん剥奪されていきつつある。
そうした状況で、搾取される側が一気にその権利を回復するために国家権力そのものを奪取したのがソ連などでの革命だったのだが、現在ではソ連の革命は資本家側の策謀によるもので、共産主義とはすなわち資本家の陰謀だ、などというワケワカメの説が横行している。
しかし、そういう歴史の話はさておき、問題は現在の世界だ。国際金融資本が国家より上位の支配層である以上、国家権力を奪取する「革命」では、事態は変えられない、という下記記事の指摘は鋭い。
では、それを変える手段はあるか。「つむじ風」氏(飃平氏)には何か考えがありそうなので、次回に期待したい。



(以下引用)





 現在は、金融資本家というものが、国家を超えた最大の権力者である。これを国際金融資本と呼ばれている。これが諸悪の根源である。





 現在の金融資本主義というものが、特定の金融資本家(複数)によって握られており、全ての経済支配を行っているという事である。経済支配は、政治支配に繋がるし、当然、最も資本を必要とする軍事支配も行われる。





 これが世界の現実である。





 資本により支配された企業は、その運営をする従業者を支配する。従業者は生活のために企業に身を売るのである。心まで売る必要がある。





 企業は、有形無形の価値を受益者に提供する事で、成り立っている。その実務を取り持つのは従業者である。従業者は、一面では受益者も兼ねている。大多数の従業者が、受益者を兼ねているから、経済は回るのであるが、最近の経済は少し、おかしくなっている。





 企業が競争という名の下、従業者を切り捨て、多くを日雇い労務者のごとく、非正規雇用に邁進しているのである。その原因は、企業の最大利益を求めるエゴから発している。それが国際競争力という大義名分の名の下、行われている。










 諸悪の根源は、ここにある。さらにそのもとを辿れば、通貨を支配する金融資本家の利益の最大化である事は容易に推察出来る。その金融資本家は、実体経済の利益率に飽きたらず、金融詐欺にまで手を染めているから、いわゆる国際競争力というものが、実体経済をはるかに凌ぐ苛烈さを示しているのである。





 そこには、生活という人間本来の欲求を超えた、飽く事なき利益の最大化の追求にある。





 生活ではなく、単なる儲けが目当てであって、それに邁進するものは大いに儲けるが、それにあぶれたものは、大いに貧窮するのである。それが勝ち組と負け組である。





 勝ち組は、少数で、負け組は大多数である。





 これを是正するとしたら、昔は、革命であろう。今、何を持って革命とするかは、定かではない。相手が見えないからである。





 普通、革命とは国家権力を転覆させる事を目的であった。しかし、今は、国家権力を転覆させたところで、状況は変わらない。国家が、金融資本家に支配されているからである。国家権力は国民にあると言うが、実体は金融資本家の代理人に依って、行使されている。





 政治家も官僚もその支配人であるから、選挙は単なるセレモニーである。その状況を革命によって覆しても何も変わらない。代理人をすげ替えるだけである。本当の相手は、別のところにあるからである。





 不正選挙等というものが、問題になっている。代理人として、相応しくない者が、不正選挙によって除かれるのである。これは常態化していると観て良い。





 その追求は、しぶとく大に小に進められなくてはならないが、実体権力が国家に属していない以上、正義はなかなか実現しないのも実情だ。しかし、これを繰り返せば、あぶり出す事が出来るのである。





 この原因は、国民自身の目から覆い隠され、洗脳の内にあるからだ。先ず、洗脳が解かれ、真実を知る事から始められなくてはならない。





 これには勇気ある行動が必要である。





 一つ一つの事件について、真実を明らかにする事である。今般の不正選挙等は、到底、その真実を国家に糾弾させようとする試み(不正選挙に関する行政訴訟)があるが、容易では無かろう。容易ではないだろうが、あぶり出しにはなっていると観測する一人である。





 騒ぐ事は出来る。





 今回の東京高裁の裁判所争乱事件などはその典型である。大いに騒ごうと思っている。洗脳し、覆い隠そうとする権力からすれば、喩え、代理人であっても、騒がれる事が一番の脅威であり、いやな事なのである。







 やがて、隠しきれない事態が訪れれば、代理人の放逐が始まるかも知れないからだ。これが、今流の革命かも知れない。しかし、その道は、長く、険しい。



 大まかに観ると、諸悪の根源は、この金融資本主義の金融資本支配にあるのは間違いない話である。が、細かに観ると、複雑多岐に亘る利権構造が、大木の主根から分かれた子根、細根のように張り巡らされている。



 その中で、弱い人間の生活基盤が築かれているのであるから、容易な話ではないのである。



 大きくは、政治利権であり、さらに経済利権がある。産業利権は、大企業から零細企業まで繋がるであろう。小さくは、生活利権がある。従業者間でも、その利権の中で生活圏を保っているのである。



 現実は厳しい。



 政治経済全般が、網の目のように人脈・金脈で繋がっているからだ。諸悪の根源は理解出来ても、それから離れる手段はというと、皆目分からないと言う人々は、圧倒的に多数なのである。



 ではどうすれば良いだろうか? それは長くなるので、続きを書く。







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